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JR境界地点、境界駅の関係
旧国鉄時代と現JRの会社境界や管理局境界の違うところの質問です。 大糸線の南小谷駅より糸魚川方に少し行った所にありますが、昔は県境付近にあったと聞いています。(北小谷ー平岩間) 両区間は会社も運転形態も車両も違いますが 当時は南小谷ー県境付近は長野管轄だったわけですが実際に運営していたのは金沢管理局ですよね。 国鉄時代は一社だったから経費の配分だけで済んだから中途半端的と言っては難ですが こういう形態だったのでしょうか? 東海道本線は丹名トンネルまで東京南管轄だったようですが そのトンネルは現在はJR東海の資産になっていると思いますが どのようなことから地点を移動したのでしょうか?
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国鉄時代は全国1社だったので、設備の管理上などは相手をする行政機関の境界すなわち県境などに合わせておいたほうが、申請等もちょっとのことでもうひとつ他県に申請しなければならないといった手間も省けます。それに地形的も県境より先には道路で行きにくい場合が多く、事故時等に駆けつける時も守備範囲が県境で分けていたほうが移動時間的にも有利です。 しかし、JR分割民営で全く別会社になったので、料金の区分として駅でないと区分できなくなっています。但し、駅の真ん中で区切ったのでは駅業務が2社合同となって不便ですから、全て境界駅の駅と駅中間の境界である場内信号機の位置で区分されていると思います。
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- TooManyBugs
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回答No.2
大糸線については大糸南線が長野、大糸北線が金沢で全通時に結合地点で分割したと見るのが妥当でしょう。 民営化時の移動については当時の運転系統の分割点に近づけて他社への乗り入れを避けるのが目的でしょう。
- tetu758
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回答No.1
支社境界等は相殺により何度も変更されており、理由は様々です。