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捕鯨に関して

反捕鯨と言われると超ムカつく。でも冷静に考えてみると、もう何十年も鯨肉食べてないし、美味い牛肉・豚肉が豊富に出回ってるのに、今更大して美味くもない鯨肉を食べたいとも思わない。そもそも今時スーパーでも魚屋で鯨肉なんか売ってないし。まあ、別に鯨肉食べられなくなって何にも困ることは無いんだよね。でもじゃあ反捕鯨に一票入れますかって言われたらやっぱりノーだよね。この矛盾した心理はいったいなんなんだろう? 巧く説明してくれる人いませんか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • ueda21
  • ベストアンサー率15% (82/542)
回答No.6

自分の子供や家族が世間一般のレベルから言えばそれほど可愛くないと薄々自覚はしているが、赤の他人から不細工だと世間に広げ言われるとカチンと来るのと同じでは

noname#122775
質問者

お礼

ユーモラスだけどなかなか鋭いご指摘です。ありがとうございました。

その他の回答 (6)

  • gungnir7
  • ベストアンサー率43% (1124/2579)
回答No.7

白人の押しつけがましいところに辟易しているのでしょう。 日本人は外人に仏教の概念を強制したりしません。 ところが彼らは自分らがルールだとばかりに強引に振る舞って来ます。 南米のインカ帝国を滅ぼした頃から、やり方は何も変わっていません。   話は変わりますが、日本が捕鯨に執拗になっているのは 将来的な食糧難を見込んでいるからです。 元々、捕鯨は戦後の日本人のタンパク質不足を補給するものとして 大々的に始められました。   今は飽食の時代と言われていますが、食糧難は忍び寄っています。 膨大に増え続けた人口の胃袋を満たすために畜産が広がりました。 畜産は大量の地下水を奪い去り、全世界で干ばつが進行しています。   やがて人口を減らすための戦争が始まるといわれています。 筆頭は中印であり、ここの直接対決は避けられないでしょう。 今では色々なニュースも表面化しているので、より現実的になっています。 このような時代に、恐らく捕鯨は貴重な食料源となるでしょう。

noname#122775
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

回答No.5

日本人は自分のことを無宗教或いは無神論者だと思い込んでいます。 しかし、実際には無意識のうちに神道や仏教を信仰し受け入れているのです。 これは武士道のような精神論に宗教を取り込んでしまうため、学問という意識が強く教義だという意識が希薄なのでしょう。 常識、マナーあるいは迷信という言葉を日本人はよく使います。 多くの日本人は精神論だと思って語っていますが、実際には宗教論であることも珍しくありません。 動物、植物、水、土、石、火・・・・・・ 多くの日本人はこれら全てに生命・魂が宿り、野菜や肉、魚。鯨であっても同じ命であることに変わりない。 大地や水の生命が植物へ。植物の生命が動物へ。動物が死ねば大地へ返る。 そういう命の繋がりが自然であり、人間は自然の一部であると考えています。 それに対してキリスト教の思想は、進化論を否定した創造論であり、人間は神様が作った特別な存在である。 動物にも食べ物となるものあれば崇高な生き物として扱われるものもある。 彼らにとって差別することは、特別なことではないのです。 恐らく質問者さんは多くの日本人と同様の精神をもった人間なんでしょう。 キリスト教信者に「創造論は間違いだ、進化論を受け入れろ」といっても簡単には変わらないでしょう。 科学の発達した時代における進化論の否定は、矛盾していますよね。 つまり質問者さんの心理が矛盾しているのでなく、反捕鯨を叫ぶ欧米の人たちの心理が矛盾しているんです。 鯨も人間も同じ自然界の一部だという日本人の精神論に立ち返れば、矛盾は消えてなくなるはずです。

noname#122775
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.4

この矛盾した心理はいったいなんなんだろう? 巧く説明してくれる人いませんか。 ○ 人種差別とかいろいろなご意見がありますが、本当ではあるがほとんどの人は信じないであろう回答をしておきましょうね。 鯨は地球起源の動物なのです。一方、牛は地球起源の動物ではありません。地球人類といっても地球起源の人類と、そうでない人類が交じり合っているのですね。牛は地球起源ではない人類が彼らの入植時に持ち込んだものです。地球起源でない人類が持ち込んだ食べ物や飲み物はパンやビール、ワインなどありますね。 つまるとこと食べ物に関して人類の起源がそもそも違うということなのですね。 ある意味いろいろな起源のことなる人類が一つのポットでかき回されているというのが地球の様ですから、地球人類というという統一的な方向に進めるのであれば是是非で判断していかなければいけませんね。そうでなければ戦争などの方法による民族の淘汰しか勝ち残る方法がなくなりますからね。 日本的な和の精神が世界であるべきだと考えるならば、外来人類の数と力の論理に対抗してそのように日本も世界に主張していくべきですが、それだけの気概がないのであればどこかで「鯨肉」はあきらめないといけないかもしれませんね。 つまり、食は人類起源の違いなのですね。あなたの心の底の底にあなたの人類起源が刻印されてますから、それが出てくるのですね。理性でわかっても心の底からは納得できないのですね。 ・・・そういうことなのですが理解不能な話でしょ。

noname#122775
質問者

お礼

大変ユニークな回答です。ありがとうございました。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.3

同コミュニティーだからじゃないかと。 日本と他のアジアの国がサッカーの試合をしたら、日本人は日本を応援しますよね。 だけど日本が負けて、他のアジアの国とヨーロッパの国が試合した場合、アジアの国を応援しますよね。 近いコミュニティーをかばうのは、近いコミュニティーに連帯意識があるから。 反捕鯨団体の目的は鯨やイルカの保護じゃないんです。 人種別なんです。 人種差別することで優越感を持ちたいからなんです。 なんで他の国はよくて日本は駄目なのかというと、他の国にテロ行為をしたら、攻撃を受けて撃沈させられます。 日本の漁船を攻撃しても、捕鯨船を攻撃しても、保安庁の巡視艇を攻撃しても、硫酸をなげつけてそれにすべって人が海に落ちたところをモリで突いたり、船で落ちた人の上を通過しても、絶対に反撃されないことを知っている。 日本人は穏やかな民族だって十分知っている。 カナダで同じことをやったらボコボコにされて逮捕され系に服すことになる。 やりたい放題に暴力を思う存分ふるえ、強者の立場に立て、自分はすばらしい美徳があると思い込めるのは、日本人に対してだけ。 本当の理由は人種差別なんです。 日本人は下等で野蛮な生き物だけど、イルカや鯨は高等な動物だ、って思うことで、自分は日本人より優れた人種だって思いたいんです。 そういう人種差別主義の人にいくら「捕鯨は日本のカルチャーです 鯨は増えていってます」って説明しても、全く意味がありません。 だって彼らの目的はイルカ保護でも鯨保護でもイルカを愛しているからでも鯨を愛しているからでもなく、自分だけを愛してるのだから。 日本のカルチャーを説明しても、その中に彼らの求める優越感は無いので、説得を試みるなんて全くの無駄なんです。

noname#122775
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

noname#129118
noname#129118
回答No.2

簡単に言えば、「自国の地域の文化は地域住民の総意で決めるから、外野は黙っていて下さい」ってことでしょう。 たとえば、米国に留学して拳銃事故の犠牲となる。でも、米国では防衛は個人の権利であり義務。そこへ、他国から拳銃は危ないから放棄しましょう…って、余計なお世話ですよね。郷に入っては郷に従え…のはずですが。

noname#122775
質問者

お礼

正論ですが、アメリカ人野蛮、銃規制しろよ、って思っちゃう私は反捕鯨の人たち同じになっちゃうんでしょうか…? まあ、それはともかくとしてご回答ありがとうございました

noname#121264
noname#121264
回答No.1

説明は出来ません。 (1)シーシェパード・グリーンピースの犯罪行為に良い印象が無い。 (2)周りを海で囲まれた国の住民は海の資源を活用したい思うのが自然。 (3)正当な理由も無く、捕鯨を、他国が禁止するべきでもない。 直接に関係ない話ですが、一度でいいから、おいしい鯨肉を食べてみてくださいな。お勧めは、新鮮な尾の身(刺身)です。実は、和歌山県の勝浦に行ったときに、居酒屋で食べましたが、これが、ほんのり甘くてとろける食感でした。 マグロのトロと並ぶ高級品のようです。 正直、こんなにおいしいものとは思いませんでした。

noname#122775
質問者

お礼

説明は出来ません、とおっしゃる割には、けっこうよい説明になっていると思います。ありがとうございました。

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