• 締切済み

なぜ日本は捕鯨にこだわるのか

IWCの総会をみていると、捕鯨賛成国、反対国の両者とも全く歩み寄りを見せようとせず、話し合いというよりは、ただ感情的に相手の提案を否決し合っているように見えて仕方ありません。 ここでは、反捕鯨国が捕鯨に反対する理由はおいといて。。。 そもそも、日本はなぜそこまでして捕鯨にこだわるのでしょうか? 鯨肉というのは、商業捕鯨が禁止される以前でもそれほどポピュラーな食品ではなかったように思います。年に1、2回口にするかしないか程度の珍味(私だけかもしれませんが。。。)だったように思います。一般消費者の多くは私のようにIWCの感情的に白熱したやり取りをさめた目でみているのではないでしょうか。。。 捕鯨推進の理由として、捕鯨が日本古来から続く固有の文化であるからこれを守る為、というのは分かりますが。。。時代は移りゆくものです。鯨肉がポピュラーだった戦前戦後とは違い、現代(商業捕鯨が禁止される直前)では、安い牛肉に押されめったに食卓に上がることはなくなっていました。つまり日本の捕鯨文化は既に風前の灯だったわけで、この際、いずれ廃ってしまうだろう文化には固執せず、国際世論に配慮しながら、削減または廃止するのも一つの選択肢ではないでしょうか。。。(かつて、ちょん髷や帯刀を廃止したように。。。←ちょっとちがうかな。まぁ、文化に固執しないという点では似ている) 又、捕鯨産業の保護の為、というのも分かりますが、日本にとってこれほどまでに固執し保護すべき重要な産業なのでしょうか?(←捕鯨産業に従事している方、失礼な事言ってごめんなさい) 多種多様なご回答お待ちしております

みんなの回答

  • sdamau
  • ベストアンサー率7% (7/95)
回答No.24

鯨美味しいよ。(つい最近刺身食べた、美味) 鯨、大型の魚を食べるよ。(漁業資源問題) 鯨、伝統工芸の材料だよ。(文化の問題) 他にも海のPCBやダイオキシンの除去にも役に立つ。 犬肉と同様、西洋の思想を押しつける、許せない暴挙、賢いなら食べちゃ行けないの?牛かわいいよ。鶏だってよくなつくよ。豚かわいいよ、ゆうことよくきくし。 どんな生き物だって、飯をくって、他の生き物を殺して、生きているんだ。それを食べて生き物は生きているんだ。毒というならまだしも、食べ物を区別して食べるなというのは明らかにおかしい。いっそのことIWCから離脱して、勝手にとればいいんだ。文句を言うやつは言うだけで、実行は伴わないだろう。 平和主義者ですが、鯨問題ならアメリカと戦争しても、捕鯨したいと思う。 そもそも、鯨の個体が減少したのは、鯨の脂を灯油として、アメリカが乱獲したからなんだ。また、鯨が増えてきているようだし、調整しながら、捕鯨することは、生態系の維持にも役に立つし、そのおこぼれを貰うことが出来る。 さらに、鯨の廃棄率は、きわめて小さい。

neko358
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます 参考になりました

neko358
質問者

補足

私自身の意見を押し付けているような気がしてきたので、質問を打ち切ります。 ご回答をいただいた皆様ありがとうございました

  • popesyu
  • ベストアンサー率36% (1782/4883)
回答No.23

国際世論が反対しているということにこだわっているようですが、ではその国際世論を味方にしようとする行為はどうなんでしょうか? アメリカ辺りは今までその戦略をとって、捕鯨問題に関係ない国をまきこんで票を獲得してきましたよね。 んで最近では日本もODAなどを武器にこれまた関係ない国を引っ張り込んで味方にしています。 これは自然の流れなどというものではなく、政治的駆け引きの産物でしかありません。神の見えざる手なんかではありませんよ。 日本には日本の思惑が、他の国にはその国の思惑があって、お互いの主張を通そうとしているのであって、他の人が嫌がるからやらないでは結局何をすることも出来ません。 日本が車を売るのは欧米の自動車会社が嫌がることですよね?じゃあ止めるべきなのでしょうか。欧米が諸外国を味方につけようと行動するなら、当然日本もそれに反対する行動をとるべきでしょう。何もせずに傍観しておいて、実際そうなったらああ自然には逆らえないと白旗をあげるのでしょうか。

neko358
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます 国際間には絶対の正義は存在しません。国によって正義の定義が違うからです。極論すれば国同士のやり取りには、絶対的な正義も倫理も道徳もなにもなく、あるのは利己主義だけです。しかし、そのままだと国同士の問題解決手段は武力闘争だけということになってしまいますので、問題をジャッジする何らかの拠り所が必要であり、それが国際世論だと思うのです。判断基準が国際世論しかない以上、どんな手段であるにせよ国際世論を味方につけた者勝ちだと思います。 捕鯨産業・鯨食文化が日本にとって重要な産業・文化であるというならば根気強くどんな手段を使ってでも国際世論を味方につけるべきだと思います。実際、エスキモーの場合、国際世論が「彼らには鯨は必要である」と認めたため捕鯨をすることができています。 しかし、実際日本人にとって商業捕鯨はそこまでしてまで必要なものなのでしょうか?

  • ikazuti
  • ベストアンサー率27% (130/469)
回答No.22

日本が商業捕鯨を推進しようとする理由は、鯨が魚を食い散らかして水産資源が減っているという科学的な調査結果、それから、鯨を食べたいという人やかつて鯨産業に従事していた人の希望などが背景にあると思います。 それから、他の人も言っているように欧米諸国のむちゃくちゃ子供じみた理由に対する反発でしょう。 それでも、日本はこれまでは国際世論に同調するように欧米諸国の言う事を結構聞き入れていたんですよね。先住民の捕鯨もそうですし、商業捕鯨を中止したのもそうですし。 それが、今回はやたらと強硬に出たのはここまで聞き入れてもまったく変わる事の無い反捕鯨国の主張に堪忍袋の緒が切れたのではないでしょうか。実際、先住民にも捕鯨は必要ないんですよね。特に、アメリカが捕鯨を認めようとしていたエスキモーの人たちは油田を持っていて潤っているので捕鯨などする必要が無いんです。確か、そんな事を聞いた事があります。 彼らは伝統など守らずに、最新のモーターボートで鯨を追いまわしているのです。これで文化云々と言っているのだから、水産庁のお役人が怒るのも無理なからぬことのように思います。それに、鯨以外にもアザラシやアシカなどといったものが彼らには狩れるのですから。 本当に捕鯨枠が必要なのは、アメリカの先住民などではありません。 それに、どうも彼らは捕鯨国の中でも日本だけを狙い撃ちにしているように思います。同じ捕鯨国のノルウェーには風当たりが強くありませんからね。日本だけが非難されてます。 そもそも、馬鹿高い分担金のせいで発展途上国はほとんど参加できてません。 こんな馬鹿らしいものを国際世論などとは呼べません。断固として、反対すべきだと思います。

neko358
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます 国際間には絶対の正義は存在しません。国によって正義の定義が違うからです。極論すれば国同士のやり取りには、絶対的な正義も倫理も道徳もなにもなく、あるのは利己主義だけです。しかし、そのままだと国同士の問題解決手段は武力闘争だけということになってしまいますので、問題をジャッジする何らかの拠り所が必要であり、それが国際世論だと思うのです。判断基準が国際世論しかない以上、どんな手段であるにせよ国際世論を味方につけた者勝ちだと思います。 したがって、欧米諸国の子供じみた理由やエスキモーの実情などはあまり関係なく、国際世論がどう判断したかだけが重要だと思うのです。 また、ノルウェーは86年の捕鯨モラトリアムに異議申し立てを行い認めておりません。モラトリアムを認めてしまった日本と風当たりの差がでることはいたしかたの無いことだと思います

  • bumin
  • ベストアンサー率31% (219/686)
回答No.21

どうも国際世論がイカンと言っているから捕鯨は止めるべきという論のようですが、 国際世論=正論と言う訳ではありません 何かを言った人(国)の思惑 その説が自分(自国)に与えるメリットデメリットを考えるその他大勢 発言者(国)に対する考え方の違い その説の是非が云々されること自体が与える、その他の情況への影響 etc.etc... そんなものが凝り固まって国際世論などと言うものが出来あがるのではないでしょうか?

neko358
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます 仰るとおり、国際世論が正論であるとはいえません。というより正論である場合はほとんど無いとおもいます。しかし、だからといって国際世論を無視するという訳にはいかないのでは。。。

  • bumin
  • ベストアンサー率31% (219/686)
回答No.20

#8のものです 鯨の個体数を一部の海域で、一時種の存続が危ぶまれるほど激減させたのは反捕鯨国アメリカです 前に書かれた方がいらっしゃいましたが,燃料として油脂を採取していました 余談ですが,黒船が日本に開港を求めたのはその捕鯨船の基地として必要だったからです しかし,化石燃料の利用が始まって捕鯨の必要がなくなったので,一転して反捕鯨国になったわけです 自国に不必要で他国が利用している物を認めないというのは,いつもながらズルですよね~

neko358
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 捕鯨反対国の思惑は重要ではないと思います。国際世論が反対しているという事実が大切だとおもいます。

  • janome
  • ベストアンサー率0% (0/3)
回答No.19

IWCの総会の参加者の中に「鯨は知能が高いから食べてはいけない」などと言う意見を前面に出しているような「鯨以下の低知能」な人間はいないでしょう。 もしいたらIWCそのものが無意味な存在であると表明しているようなものです。 環境保護団体の主要な資金源の一つに石油会社があります。 彼らの目的は石油をより多く使わせる事にあり、その手段として反原発運動をしている環境保護団体に資金提供をしている訳です。 間違っても環境の為にでは無く、金儲けの為に金を出しているのです。 だから石油を使わない大規模発電施設の建設には必ずと言っていいほど環境保護を前面に出して反対しています。 そのような偏った目的を持った資金を使って調査捕鯨船に体当たりをして妨害している人達にどんな正義があると言うのでしょうか。 環境問題を口にするなら金を出している石油会社のお偉いさんに「キャビアを食べるな!」と言うほうが先だと思います(笑) 彼らは鯨が殺される場面を撮影してはニュースで流し、幼い子供達にもその映像を見せていますが、自分たちが食べる牛や豚や鶏が屠殺される場面は決して幼い子供達には見せないのです。 まさに利己主義の典型です。 そもそも食料に関しては個人個人にその選択の自由があるのであって、「日本が鯨にこだわる」などと言う次元の問題ではないはずです。 ただ絶滅に瀕している間は食べないでおこうと言うだけで、その数が増えて一定量の捕獲には問題が無いのであれば食べない方がおかしいと言うものです。 嫌いな人は食べなければ言いだけで、好きな人の食べる権利を食べたくない人が制限できるはずもありません。 私自身は「給食と言えば鯨肉」の世代ですが特別食べたいとも食べたくないとも思いません。 しかし他の生物の命を奪って食料とする事に躊躇いは無く、その生物に対する感謝の念はニンジン一本もハゼ一匹も鯨一頭も同じです。 そこに差をつける人間の、偏狭な知識や刷込みによる欺瞞に満ちた意見に違和感を覚えるからこそ、多くの日本人がこの問題に関心を払うのでしょう。 捕鯨に反対している人たちは、食べてはいけない合理的な理由が無い限り犬でも猿でも猫でもどんな動物でも食べる権利が誰にでもあるという「原則」を頭(たとえ知能が鯨以下でも)に叩き込んで欲しいものです。

neko358
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます 個人個人に食料の選択の自由があるのは分かりますが、国際世論を無視してまで選択の自由を主張すべきなのでしょうか。鯨は現代日本人にとってそこまで重要な食材なのでしょうか。

  • panpannya
  • ベストアンサー率15% (6/40)
回答No.18

たしかに感情的になってるところもあるでしょうが、 商業捕鯨はダメで原住民族(アメリカの)は捕って いいよって言われれば、むきになるのもわかりませんか? 鯨の次はマグロって話も聞いたことあります。 自分たちの食文化にないからって他の国の食文化を否定 するのはおかしいと思います。

neko358
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます エスキモーにとって鯨肉は欠かす事のできない主要なタンパク源だと思いますが、我々日本人にとってはどうでしょうか。 マグロがかわいそうという理由で国際世論が盛り上がるとは思えません

  • poor_Quark
  • ベストアンサー率56% (1020/1799)
回答No.17

 私は思うのですが、商業捕鯨を推進する立場、反対する立場それぞれに欺瞞があるような気がします。まず反捕鯨の旗頭に立つアメリカですが、ベトナム戦争のときの枯れ葉剤使用による発生したさまざまな人道的問題を隠蔽するために突如持ち出したのがこの捕鯨問題であり、結果国際世論の目をそらすことにまんまと成功した経緯があります。また、国内の畜産農家の消費市場確保のために動いているという話もあり、そのために捕鯨どころか海洋漁業も存在しないようないくつもの内陸国をIWCに引き込んだという事実もあるくらいで、たいへんな狡猾さを覚えます。  一方商業捕鯨推進の立場をとる日本ですが、食文化を守ると言いながら、一方では例えば米作に関しては減反政策という名目で農地に大きなダメージを与えてきました。「伝統的な食文化」という言葉を口にするなら、せめて食糧自給率を西側先進国の平均並みに引き上げてからにすべきかと思います。国際的には200海里の経済水域設定以降、多くの漁業従事者が職を失い、商業捕鯨に対しては大きな期待があることも十分に理解できます。しかし国内産業の浮揚政策と、偏っているとはいえ国際世論からの大きな批判が存在する商業捕鯨の開始はしばらくは分けて考えるのも結果としては得策になるのではないでしょうか。  また、資源保護という観点から見ても実効的な管理ができるかどうかについても極めて疑問です。例えば報道によるとロシアの漁船が乱獲した大量のカニを水揚げする際、スキャナで読み込んで作ったような稚拙な証明書で、日本の役人はいくらでも輸入を許可しているふしがあるそうです。カニが資源としてどうなっているのか知りませんが、せめて大量に輸入するならきちんとした対応や客観的な調査を通じた管理が必要だと思います。しかし、そのようなことがおこなわれたという話は聞いたことがありません。  また、周辺諸国との二国間の漁獲割り当てにしても、具体的な数字は細かく決めますが、結果としての水揚げの量や、当事国すべてで流通量を調査して、資源保護のための実行ある手続きがとられたと言う話もないようです。周辺諸国の漁船の中には、禁止された漁具を隠して漁場に出かけても、それが調べられる機会はないと報道されていたのを聞いたことがあります。国際的な約束のもと商業捕鯨が始まったとしても、始めのうちはその漁獲割り当ては厳密に守られるでしょうが、モラルとしてその漁獲高の枠が守られ続けるかどうかは、現状を見れば自信を持って言うことはできないような気がします。  もう一つは新しい産業が生まれることによって利権が発生し、政治献金してくれる団体と農林水産省の高級役人の天下り先がふえるだけという人もいます。もしそれが事実なら商業捕鯨が始まっても政治家や官僚のために高い鯨肉を買わされるわけで、いくらおいしくてもご遠慮申し上げたいところです。実際はどうなるか分かりませんが、このような疑心暗鬼に容易に陥るほどの経緯が今まで現にあったことを思い出さずにはいられません。商業捕鯨開始の問題が誰かの巨利と結びついているという主張が事実なら、消費者である私たちは第三者の立場に過ぎないわけで、現に発生している利権や天下りの問題が速やかに解決されるのかどうかを判断の基準としても遅すぎることはないと考えます。  鯨が補食する水産資源の枯渇は鯨自体の個体数を減らす効果をもたらすという主張がありますが、同時に真っ向からそれを否定する主張があるのも事実です。そのどちらが正しいなどという主張は私にはできませんが、商業捕鯨開始に対して賛成するのか、反対の立場をとるのかという主張の裏返しにしか、今のところ見えません。もう少し客観的な材料がそろうのを待ってもよいのでは、という気もします。  それからノスタルジーも結構ですが、私たち大衆の中に食べ物と生命に対する畏敬の念があるのかという疑問もあります。人間に必要な栄養素は、基本的に生命活動によって作られます。他の命を奪うことなしに私たちは1日たりとも生きてはいけません。「美味しんぼ」という漫画の中ではそれは人の持つ「業」であると書かれていますが、大げさに言えば生命への畏敬と食物にたいするいくらかの感謝の気持ちが、大衆の中にあるものでしょうか。テレビをつければ大食い競争番組がもてはやされており、視聴者からの批判が相次ぎ番組が中止になったという話を私は聞きません。また、世界中の多くの国々の抱える事情とはうらはらに、日本の消費者に提供される食料の4割は食べられることなくそのまま捨てられるそうです。私なりに少々偏狭な考えを申し上げれば、食文化云々というのは、そのような現象を批判的に扱う文化的前提が大衆の側にあってこそ主張できると蛮勇を振るって申し上げておきます。  かくいう私もながながと失業中でかなり過激な意見になったことはお許し下さい。

neko358
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます 仰るように、鯨肉はいまや超高級食材となり商業捕鯨が再開されれば一部の人たちに莫大な利益がもたらされるのでしょう。政府としてもこのうまみが目当てで必死に捕鯨推進をしている(消費者そっちのけで)ような気がしてきました。。しかし、消費者そっちのけで推進しても破綻するのは目に見えています。そこで政府は消費者に対し、反対国が反対する不条理な理由をナショナリズムをくすぐるようにアピールし、巧みに消費者を推進運動側に取り込んでいった(一般家庭では鯨食は消えつつあるにもかかわらず)のではないでしょうか。この質問に対する回答でほとんどの方が反対国が唱える反対理由を挙げておられるのがその証拠だとおもいます。

回答No.16

 環境保護団体は、日本を叩けば欧米企業からの寄付を集め易いようですよ。IWCの総会も純粋にクジラの保護ならいいんですけど、ただ単なる日本いじめでは、ないでしょうか?

neko358
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます 反対派の目的はどうであれ、国際世論が反対しているという事実からは目をそらすことは出来ません。国際世論を無視してまで捕鯨再開を目指すべきなのでしょうか

  • nubou
  • ベストアンサー率22% (116/506)
回答No.15

反捕鯨国は純粋に科学的に鯨が絶滅するから捕鯨に反対しているのではなく 1.鯨はかわいい 2.鯨は頭がいい 3.自分たちは食べない という理由だけです 昔はアメリカがベトナム戦争での環境破壊を批判されるのを防ぐために目をそらせるために反捕鯨キャンペーンを始めたようですが しかしミンク鯨などは増えすぎて人がとる魚の数倍を食っているそうです だから間引きしなくては漁業資源が枯渇してしまいます オーストラリアはカンガルーが多すぎるといって間引きしているにもかかわらず 反捕鯨です 反捕鯨国は明らかに合理的理屈ぬきで反対しています 菜食主義者がすべての動物はかわいいから取るな というのに似ています

neko358
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 反捕鯨国が捕鯨に反対する理由は、日本にとって重要ではないと思います。 反捕鯨を唱える国が大多数でなければ、たとえ反捕鯨の正当な理由があっても適当に鼻であしらっておけばよい(衰退しつつあるとはいえ捕鯨・鯨食文化は日本古来から続く固有のものだから)ですが、 反捕鯨を唱える国が大多数の場合、状況は変わってくるとおもいます。このとき、日本にとって捕鯨・鯨食は本当に必要なものなのでしょうか。商業捕鯨を再開したとして、かつてのように鶏豚牛と肩を並べるほどポピュラーな食材に戻るのでしょうか。国際世論を無視してまで、衰退しつつある文化を守ることに意味はあるのでしょうか

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