>永山基準は本当に妥当なんでしょうか?
私の個人的な気持ちとしては、妥当とは思っていません。
が、日本法曹界の常識で考えると妥当でしようね。
「加害者の人権は、被害者の人権より重い!」
「殺すよりも、殺される方が悪い」
「盗みより、盗まれた方が悪い」
「騙すより、騙された方が悪い」
某マンション管理受託会社が、修繕積立金約1億5千万円を横領していた事が発覚。
この会社は、弁護士の勧めもあり「先手を打って、自己破産」を裁判所に申請・受理。
債権者・被害者説明会での、担当弁護士の発言。
「過去の事は水に流して、今後の事を考えましよう。民事・刑事で訴訟を起こしても、1円の得にもなりませんよ」
法曹界の常識に則った、教科書通りの回答ですよね。(笑)
弁護士という商売は、カネを貰った方の権利を法的に守ります。
ですから、この永山基準も「法曹界の常識的見解」ですね。
「たった二人しか殺していない。それでも、被告人は反省している」
弁護団としては、本音では「無罪」を目指したかった事でしようね。
山口県光市での母子殺害・暴行事件では、犯人「FUKUMOTO」に対しても弁護団の主張は同じです。
最高裁での極刑の可能性が高くなると、「ドラえもん真犯人説」まで弁護団は準備していました。(笑)
これでは、大阪府知事が怒るのも無理はない。
>個人的にはいつもこの基準は疑問が付きませんが私だけなのでしょうか?
質問者さまの知人・親族・家族が「殺された場合」を考えると理解できるでしよう。
(極端ですが)「親を殺されても、恨みませんよ。子供を殺されても、怨みませんよ」と言えるか言えないかですね。
無期懲役は、10年から15年で社会に復帰します。
(刑務所に入って、翌日に出所しても無期懲役です)
まぁ、極刑を廃止すなら「終身刑(死ぬまで、絶対保釈はしない)制度」を確立する事も必要でしよう。
私は、質問者さまと違って悟りを開いていません。
身内が殺されると、何十年でも犯人を怨むでしようね。決して、許しません。
国が極刑にしないのなら、「仇討赦免状」を自分で書いて行動するかも?
お礼
今までの裁判の結果のおかしさは永山基準(正確にはそのときの結果)が原因ではないかなと思いますよ。未成年なら死刑に出来ないとか。一人しか、計画性がないとか・・。 それが今でも結果を元に判断していて前の方が述べられている9項目の基準を客観的には判断していないのではないかと思います。 裁判員制度であくまで現実的なしてんで裁くのにこの基準をもちだすことはどうなのかなと思います。 理不尽な結果の諸悪はこの時の判断の結果なのではないかなと思います。 回答ありがとうございます。