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障害者や老人は社会のお荷物なのでしょうか?
障害者や老人は社会のお荷物なのでしょうか? また、この問題をどのように解決するのが適切なのでしょうか? 知人の91歳になる老人曰く、お金ばかり使って社会のお荷物だから居ない方が良いんだが寿命が尽きないからねぇーという話ききました。 他、姥捨て山も老婆が社会に役立つほどの才能を持ち合わせていたため認められましたが、実際は、全員が全員そうではありません。老老介護(102歳を78歳が介護)など見ていると、どちらも老人だし、長生きは良くないと言っているのをよく聞きます。
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現代の先進国社会では、そのような考え方、そのものをしないことになっています。容認しない理由が大きく三つあります。 1、人間個々の能力を客観的に示す物差しがないことと、 2、仮に客観的物差しがあったとして、どのレベルでお荷物と判断するか、線引きする基準に客観性がないこと。 3、もし仮にせんびきしたとしても、線引き後どうするのか。 イ、線引きしただけで、一般レベルと同じ生活となるよう援助するのであれば、現状の生活保護や社会保障と何ら変わりません。 ロ、援助しないというだけなら、社会保障をなくせば良いだけのこと。線引き自体は不要。 ハ、もし、安楽死と言う切り捨てをやるとすれば、切り捨てをやった後の社会においては、平均レベルが上がり、以前切り捨てに合わなかった人間が、次の切り捨ての対象になります。いずれ自分に切り捨ての番が回ってきます。 現代の先進国では、個人個人が、自分を守るために、全ての人間を守るという選択を了としています。 現代でも、国内に問題のある国では、社会保障が行き届かず、ハンデのある人は一般に長生きできません。
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- sudacyu
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<<-そのような考え方、そのものをしないことになっています。― これはどこかの学説か何かでしょうか? 綺麗に条件分けされてあり気に成っています。 個人的には、アメリカの保険制度など結構厳しく、この線引きが引かれているように思います。>> 1、先進各国の法的な「基本的人権に対する考え方」について言っています。 日本国憲法でも、基本的人権は、老人でも子供でも大人でも、年齢に関わりなく同等で、身体的能力によっても差をつける考え方をしていません。 2、現実には、結構線引きされています。 ですから、『先進各国では、建前上、基本的人権が守られている』=『お荷物と言う考え方をしないことになっている』と表現しました。 <<また、現状、経済は非常に大切ですので、敢えて、経済に焦点を絞りますと、 >いずれ自分に切り捨ての番が回ってきます。 とありますが、過去に賭けた保険料or通常の保険ではあり得ないくらいの高額(国民生産能力<障害者×給付額)になっているように思います。これを続けていれば、いずれは、回らなくなり、共倒れやいずれは切り捨ての番が回ってくるように思いますがいかがでしょうかね?>> 現実問題として、いくらやっても、切り捨ての順番が回ってくる可能性は、否定できません。 しかし、『基本的人権を守る社会』という空想の看板を掲げてしまっているので、表立って切り捨てを論じることが出来なくなり、諸制度の現実の実施の結果、予算や制度の枠などによって「実質的に切り捨てが行われている」状況になっています。 ただ実際問題として、切り捨てを認めてしまうと、少ない予算で出来るだけ公正に運用したり、少ない費用でより効果のより大きな運用が出来ないかというような努力をせずに、切り捨てによって解決すればよいという安易な行動が多くなる可能性があります。 人間として、「達成されることは永遠にないが、努力目標・理念として」、基本的人権の普遍性を看板にするという選択は、あっていいかもしれません。
お礼
回答いただきありがとうございます。 >人間として、「達成されることは永遠にないが、努力目標・理念として」、基本的人権の普遍性を看板にするという選択は、あっていいかもしれません。 まさにここに(良くも悪くも)エゴがあるのかもしれませんね。
- Waver01
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なんと悲しい国でしょう 統治者が、金銭に絶対的な権力を与える工作をしていることが原因です
お礼
今一よく分かりませんが、金銭に絶対的な価値がないから、こういった問題が起こっているのでしょう 絶対的な価値があれば、お金が無い人は生活すら出来ませんので生存できません 一人では自活出来ない人も生きられるのですから、先進国では障害者や老人に優し過ぎると思いますよ
- oo14
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いままでどんなお荷物だったかとか、 自分より若いほうのお荷物を持ったことが分かった時 あなたは下ろすんですか? また、自分は現在どっち? 下ろされるほうですか? 重荷はどのように解決するんですか? あるいはされるんですか? どっちかというと あなたも、私といっしょで、 される側かなって感じがします。 私は、処分されたほうがみんなのためというような 感じを受けます。
お礼
>自分より若いほうのお荷物を持ったことが分かった時あなたは下ろすんですか? 年金や保険、累積債務など見ていますと、過去に蓄えた以上の富を使い無理矢理支えている現状と比較すると、これから社会を支える人をおろすか?という話とは議論がずれると思います。 強いて言えば、昔のように、年金など無くして、自分の将来を子どもに託せるほど、子どもをたくさん作るべきかもしれません。 どのように解決するのが良いのでしょうかね? 処分は非人道的でしょうが、高額な医療費を使い無理に生かしておくことが人道的とも思えない時もあります。 ちなみに、私自身は、常にお荷物ですけどね・・・
補足
回答いただきありがとうございます。 >そのような考え方、そのものをしないことになっています。 これはどこかの学説か何かでしょうか? 綺麗に条件分けされてあり気に成っています。 個人的には、アメリカの保険制度など結構厳しく、この線引きが引かれているように思います。 1については、本当にごもっともな意見に思います。能力をお金を稼ぐ能力のみで考えすぎていたように思います。文化や種の保存などに置き換えて考えると超長期的な点では必ずしもお荷物にならないかもしれませんね。ただ、マクロな視点や過去の事例から、老人や障害者を高く評価することをなかなか思いつきません。例えば、老人には効力のない、不治の病気が発生して老人だけが生き残ったりするなど極端な例しか思いつきません。特に、老人自身が、居ない方が良いのにという話をしているのを聞くと、諦めすら感じられる時があります。 また、現状、経済は非常に大切ですので、敢えて、経済に焦点を絞りますと、 >いずれ自分に切り捨ての番が回ってきます。 とありますが、過去に賭けた保険料or通常の保険ではあり得ないくらいの高額(国民生産能力<障害者×給付額)になっているように思います。これを続けていれば、いずれは、回らなくなり、共倒れやいずれは切り捨ての番が回ってくるように思いますがいかがでしょうかね?