どちらの場合も、自立できていない、つまり、
何らかの現実的障壁によって、自我の脆弱状態を呈していることが根本的な要因です。
もっとわかりやすく言うと、自己アイデンティティの確立に失敗した、あるいは、自我的な未熟さによって、こういった現象が出現します。
他者に拠りかかることによって、自らの生の足場を確立しようとする心の動きの一種と言えます。
誰にでも、一時的な熱として起こりうるのが「ファン」という心理ですが、これは若者を中心として、自己アイデンティティ確立までのあくまで一過程に過ぎない場合が殆んどで、特に不自然なこととまでは言えません。
ストーカーが病的であるのは、現実問題として、自らが否定された存在である、と思い込んでいる点でしょう。
昔風に言えば、劣等感の塊、という表現になりますかね。
その満たされない部分を、他者にすがりつくことで何とか挽回しようという、けなげな(しかし、相手を間違えた)言動として現出してくるわけです。
根は深いので、なかなか癒えるものではありませんが、本人の気づきが来るまで、静かに見守ってあげるのが人としての情けかもしれません。
ストーカーになりたくてなっている人はいないでしょう。
そういった形でしか自己表現ができないような精神体験をしてきているわけです。
慮ってあげましょう。
後半は、ちょっと論点がずれたようですが、こんなところです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 とても参考になりました。 なるほど「そういった形でしか自己表現ができない」 という部分が印象的でした。