不足感の原因は物だと思うからじゃないかと。
実際は物じゃないのですが、不足感を物で補おうとする人は、買い物依存症になる。
不足感に耐えられず、物を買うことで満足を得ようとするわけです。
しかし、たくさん買ってもって帰っても、パッケージを開けようとすらしない。
だって商品が欲しかったわけじゃなく、不足感を補うために買い物をしたから。
しばらくは代償で補うが、結局 元の欲望(不足の原因)がわかっておらず、根っこは残り続けるので、やがて芽を出しまた、不足感にさいなまれ、買い物をするわけです。
人によってはカタログを見て「欲しい」と思うことで、不足感を忘れてそっちにのめりこむ。
そして通販で物が届いたときあれほど欲しかったと思ったのに 何故今は手に入ったのにうれしいと思わないのか? ってなっちゃうわけです。
一時的に他に興味を向けたことで、当面あった欠乏感から目を反らせるので、買い物をするってのは一時的には効果あるわけです。
で、何かが欲しいというものは人それぞれ違うと思うし、本人にもそれは何なのかわからないので、手っ取り早くお金で解決しようとするわけです。
例えば愛情が欲しいと思った人は、ホステスさんにお金を払うと、ホステスさんはかいがいしく身の周りを世話してくれるので、一定の時間 愛情を手に入れられでしょ?
そんな感じで不足感をお金で解決して来た人がある日「純愛をしたいんだ」と言ってた。
金をくれるから愛情を注いでくれるという条件つきの契約じゃなくて、条件無しにただ自分だけを愛してくれる絶対的な存在者が欲しい ってわけです。
んーーーー そりゃ 愛されたいと望むより、愛する方がたやすく充足感を得られるんじゃない? とか思ったりしました。
ということで、人によっては買う側から創る側に方に回ったりする人もいるわけです。
創造することって 充足感を得られますよ。
そりゃ できたもに対して「エヘ」と満足しますが、完成した時の満足感より、創造する過程の方が楽しいです。
仏様になったときより、四苦八苦奮闘して生きている時の方が楽しいと思う。