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人を泣かせる者は人に泣かされる?
人を泣かせる者は人に泣かされる? と母言いますね。人に嫌な思いをさせた人間は違う人に嫌な思いをさせられる。 因果応報みたいことを母は言いたいみたいなんですが・・そうですかね?
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それは、お釈迦様が教えられた言葉なんですが、屁とも思わず、他人を踏みにじり虚仮にしても仏罰とやらも跳ね飛ばす方が、古今東西に蔓延るくらいに多くて、塗炭の苦しみに喘いでるのが曳きもきらないからです。 慈悲の心で・・・と言うお釈迦様の尊い教えなんですが、残念ながら弱肉強食の本能は簡単には排除できませんね。何処の宗教も似たり寄ったりの教義なんですが、強いのは強いまま天寿を全うし、弱者は這い上がれぬまま踏みつけられたまで朽ちていきます。因果応報は、弱者だけに通用する言葉で、強者には屁みたいなものです。
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- iris-come
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こんにちわ。 お母様の仰るとおりだと思います。もっと単純に言えば、『1円を笑うやつは1円で泣く。』と似たようなもので、“戒め”の様なものでしょうか。 歳を重ねる毎に、そういうものだ。と言う事がよく判ってまいります。 『人』を悪く言うものではないと云う事だと思います。(本当に悪いヤツはべつとして・・・。) >『因果応報』・・・必ず有ります。『善行』を積めばそれなりに訪れるとおもいますし・・・。 人の道に外れた様な生き方をすればいつか必ずそのしわ寄せが襲ってきます。 できる限り“公明正大”でありたいと思っているひとりです。こうした心構えでいる者には神様は少しくらいのミスなら目を瞑って下さるのではないかと思っています。(勝手な思い込みですが。) そうしたものではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 返事が遅くなりました。ごめんなさい。
- まつい たかあき(@mamitakun)
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nicechampさん、こんにちは。 回答のレベルが期待に会っていないかもしれませんが、、、、 ほとんどの人は、人に泣かされることは経験するかと思います。 だから、その中に人を泣かせる者がいる場合は多いので、 事実そのことは正しくなるかと思います。 この理屈を正しく言い表すと、 人に泣かされるものの中には人を泣かせたものもいる。 ということになりますでしょうか? さらに続けますと、 人を泣かしたことがないかたは、泣かされた場合、 ただただ悲しいし悔しい気持ちで泣くのでしょう。 人を泣かしたことがあるかたは、泣かされた場合、 悲しさと悔しさに加えて、過去に泣かしたことの 反省の気持ちも交じってくるのだと思います。
お礼
回答ありがとうございます。返事が遅くなりました。ごめんなさい 深い言葉ですね。
- sakura-333
- ベストアンサー率10% (952/8905)
遠い先の話になる場合もあるでしょうが、そうなった様々な要素を踏まえると確率としては高そうです。
お礼
回答ありがとうございます。 返事が遅くなりました。 ごめんなさい。確率ですか。
- kaiyukan
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そうだといいな、とは思いますけどね; 実際には泣かされてない悪いズルイ人もいる気がしますが。
お礼
回答ありがとうございます。 返事が遅くなりました。 ごめんなさい。 そうですね。3億円事件とかグリコ・森永事件とかそうですものね。
- 246z-goo
- ベストアンサー率41% (194/473)
『人を泣かす人は 人に泣かされる』 まさにそうだと思います。 というかそうであって欲しいって思うことの方が近いかな? これは泣かす側の人に もしくは泣かそうとしている人に言っている教訓ではありますが ある意味これは泣かされた側へのメッセージかもしれないとも思います。 泣かされたから泣かせてやろうって思えば報復になります。 それをする事によって泣かされた側から泣かせた側になりますから 無限連鎖となってしまいますよね。 また人を泣かせるような事をした人間は 人から泣かされても文句は言えないっていう風にもとれます。 だからそれを教訓として 人を泣かすようなことをする前の戒めなのです。 よく『バチが当たる』とか『バチが当たった』などと言いますよね。 これも同じようなもので戒めの言葉です。 この場合自分が仕出かした罪な事が自分に降りかかってくるというのではなく ぜんぜん違う思わぬ仕返し しっぺ返しがあるというものです。 これは自分が一番愛してるもの 大切にしているものや人に 降りかかってくるものだと言われたりもしています。 これは恐いです。自分に同じようなバチが当たるのであれば 自分が悪いことしたのだから仕方ないって思えるのでしょうが そうじゃなく 大切な人に降りかかる不幸ですから 精神的に相当きついです。 人に対して悪い事や泣かすようなことをしちゃ~いけないよっていう戒めです。 人から泣かされるような事をされた人間は人の哀しみを知ります。 こんなことをしちゃ~誰々が哀しむっていうのが分かります。 その人の立場になって考えられるっていうことですよね。 『憂い』って言葉がありますよね。 辛い・苦しい・せつないなど 心苦しいっていう事ですが 『憂』の横に人が付くと『優しい』っていう言葉になります。 人の心の哀しみを知っている人は『優しい』っていう事になります。 『優』っていう字は『優れている』っていうもうひとつの意味があります。 人の哀しみを知っている人は“優しい”だから人として“優れている”んだって言えます。
お礼
回答ありがとうございます。返事が遅くなりました。 ごめんなさい。 救われる言葉ですね。
私もそう思います。 私を取り巻く現実は全部今までやってきたことの結果 だと思ってますし、お母様のおっしゃるとおり、人に 嫌な思いをさせれば、いずれ同じ思いをすると思います。 うちの母は、商売人の奥さんって感じで、昔から人に 物をあげるのが趣味で、どこに行っても山ほどお土産を 買って来て人に配ります。 でもなぜか昔からすごく金運のいい人です。
お礼
回答ありがとうございます。返事が本当に遅くなりました。 無償の善意だからそうなるんでしょうね。
- sMcA
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普段そのような事を真剣にそれだけを考えて生きていけますか 怒ってしまったり 怠けてしまったりと いろんな事が同時期に起こりえますので それはあくまでも教訓として とらえ 少しでも他者を思う気持ちを大切にすれば良いのではないでしょうか
お礼
回答ありがとうございます。返事が本当に遅くなりました。 そうですね。
その通りですね^^ 私たちの生きているこの世で起きることにはすべて原因がある、これが因(いん)です。起こった結果が果(か)です。因果応報(いんがおうほう)というように、必ず結果は来るのです。 つまり、蒔いたものは刈り取らなきゃいけないのですねー☆
お礼
回答ありがとうございます。 返事が遅くなりました。m(__)m 。 最近は、因果関係というのを凄く感じます。
お礼
回答ありがとうございます。 返事が遅くなりました。 ごめんなさい。 現実はそういうものかもしれないですね。