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因果応報(カルマ)を信じますか?
因果応報(カルマ)を信じますか? 因果応報のように、悪いことをしたら自分に返ってくると思いますか? それとも、因果応報は弱者の負け惜しみや心の寄りどころ程度の迷信だと思いますか?
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「因果応報」は、「原因」があって「結果」があると言う意味で、「迷信」とはまた意味が違いますよ。 極端な話し。 悪い事をした人間が、自分がやらかした悪事と同じ目に合うと言う様な「判り易い世界」では無いとも思いますネ。 何年か前でしたが、学校の女性教員を強姦して首を絞めて殺し、その遺体を自宅の床下に埋めて生活していた男の事件を思い出しました。 女性教員は、「行方不明」から「死亡したもの」と見なされ、事件は「時効」が成立します。 しかし、犯人の男の家が道路用地で買収され「取り壊し」が決まる。 男は、「遺体が見つかる」と思って、警察に自首するが「時効が成立」している。 でも、この犯人の男の事を、 「人を殺したのに逮捕もされず、まんまと逃げおおせた幸運な男」 と思えるでしょうか?。 「因果応報」は、この男には成立しないと考えますかね?。 女性教員の、確か弟さんは、 「刑事訴訟がダメなら、民事訴訟を起こす。あの男を許さない」 と言ってました。 男は、顔こそモザイクされてましたが、テレビカメラにも映されてました。 私は、「因果応報」を信じてます。 「原因」に合った「結果」は、出るものだと思いますがね。 まあ、その「結果」に「納得出来る人」と「納得出来ない人」が出るのは、仕方がないと思いますけど。
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- zakire
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個人レベルでは迷信かもしれません。視野をひろげて社会全体として考えれば真理といえると思います。
お礼
ありがとうございました またお願いします^^
- neji1999
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カルマとは「業」=因果 応報とは「因果」に対しての報い(ここに善悪は関係ありません) 信じるか信じないかは当事者次第でもあり、また、当事者の心境や環境によっても左右されるものだと私は思っています。 因果応報、業などを信仰している人、又は信仰しない人はブレないかも知れませんが… >因果応報(カルマ)を信じますか? という事なので、私見で述べさせていただきます。 先日、不当なやり方でクビになった会社に小さな報復をした数日後、自転車の鍵を紛失しました。 直感的に「これは因果応報だ」と思いました。 しかし、思えばこれまでに何度も私は鍵類を紛失しています。 心の中に罪悪感があったから、そう思ったのです。 これまでに鍵等を紛失した際には、「因果応報」など考えた事もありませんでした。 また、私はなるべく人と接する際に相手にとって良い気持ちを与えられるよう努力をしている面もあります。 しかし、いつかどこかで良い事があっても「これは因果応報」だとは一度も思った事がありません。 因果応報や業という言葉は、悪事に対して心に刻まれる事が多いのではないでしょうか 本来は違いますが。 結局は、個人的には悪い事の報復として「因果応報」「業」という観念を持っています。 善意に対しての因果応報は信じません。 悪意に対しての因果応報は信じている部分と信じていない部分があります。 人間ってブレていますね。
お礼
私と同じ考え方の人もいるのですねぇ。 ここでneji1999さんが書いてらっしゃるとおりの事を経験したりしていました。 悪い事をして、なにかあった時、私も「バチが当たった(因果応報)かな」と少なからずそう反省することがありました。 けれど、私に対して裏切りなどした友人は何もバチが当たらずにいる。 そこで、因果応報ってなんなんだと考えさせられた事もありました。 やはり日頃の行動、悪い行いは慎みたいですね。 ありがとうございました^^
- okkinaa
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宗教で言うところの因果応報は信じませんが、 子供には分かりやすい考え方ですので教えたことはありますね。 弱者の負け惜しみではありませんね。 なぜなら何時の時代も反映しているのは弱者です。 歴史上の有力一族もいずれは滅びます。 心の拠り所とか迷信とも思いません。 安心して暮らす為の生活倫理くらいでしょうかね。 個人的には情けは人の為ならずの方が好きですね。
お礼
確かに、情けは人の為ならずという言葉とよく似てますね~ 昔から伝わる言葉に間違いは無いですものね。 私もいつかは子供に教えてあげたいです^^ ありがとうございました
- mojitto
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因果応報になるものと、ならないものがあります。 良くも悪くもその結果を生むようなことをしていれば因果応報になりますが、 運のレベル、例えばたまたま買った宝くじが当選した、通り魔に刺されたなどのレベルは“こじつけ”でしょうね。 要はそれを引き起こした主な原因が、自分の行動にあるかどうかです。 ただ因果応報を信じて、悪い結果を引き起こさない行動をするのは“善し”だと思います。
お礼
>運のレベル、例えばたまたま買った宝くじが当選した、通り魔に刺されたなどのレベルは“こじつけ”でしょうね。 例えば、道ばたで「ダッセー」などと不良に言われたら、 それは運が悪かったということですよね。 でも「ダッセー」と暴言を吐いた不良は、悪いことで返ってくる...という訳でもないのですよね? 「こじつけ」というものも有るんですね。とても勉強になりました。 ありがとうございました^^
- homeshomes
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因果 は 原因と結果 因果応報 は 善悪の行為が因となり、その報いとして善悪の結果がもたらされること 良いことをしても、悪い事をしてもなんらかの形で身に返る。 信じると言ってしまうと宗教的匂いが出て抵抗がありますが、、、信たい かな
お礼
因果応報は善いことも、善いことで返ってくるのですか? 悪いことだけが返ってくるものだと思ってました^^; だから今日まで、因果応報という言葉が暗く重苦しいものに聞こえてました。 善い行いが善い結果になるのなら素敵なことですね! 私の中で、因果応報が素敵な言葉に変わりました^^ 因果応報がそんなに素敵なものなら、私も信じて是非、善い行いを実行したいです! ありがとうございました^^
お礼
早速の回答、ありがとうございます 実にわかりやすいです。 人にキモイなどと言うと、「負の因果を積む」と聞いたことがあります。 そのへんの意味がどうも分からず質問したしだいです。 負の因果って何?積んだらどうなるの?と考えたってよくわかりませんでした^^; >悪い事をした人間が、自分がやらかした悪事と同じ目に合うと言う様な「判り易い世界」では無いとも思いますネ。 私はてっきり、同じ目に遭うことなんだろうなと誤解してました 勉強になりました。