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心霊的に、スビリチュアリズムでいう地獄は、古来宗教で説かれてきた地獄よ
心霊的に、スビリチュアリズムでいう地獄は、古来宗教で説かれてきた地獄ように、火で焼かれるとか、舌を抜かれるといった、肉体的苦痛を伴うところなのでしょうか?
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>現実そのものとして感じられるのでしょうか? 現実そのものという言葉のとらえ方の問題です。現実とは、現世の実際を省略したものだと考えています。ということは、幽界は現世ではないのだから、現実であるはずがありません。幽界の実際、短縮すれば幽実ということになります。私の造語ですが。 現実とは肉体の神経を通して感じられるものでしょう。幽実にはそれがありません。ですが、意識は夢の記憶よりはっきりしたもののようです。夢の記憶は幽界の記憶ですが、幽界の体験そのものではなく、幽界の体験を脳で再現したものです。脳という現世の物質の波動には、幽界の非物質の再現度に限界があるために、記憶があやふやなものとなっています。 幽実ははっきりした夢と考えたらいいでしょう。肉体の神経はないですが、想念が夢のようなリアルな像として感じられ、その上で意識がはっきりしている、それが幽実でしょう。 ちなみに、幽実は私が勝手に作った造語で、スピリチュアリズムでも存在していない言葉なので気をつけて下さい。(もちろん、中身はすべてスピリチュアリズムの世界です。私はスピリチュアリズムの世界観について、かなり正確にトレースしていると考えています。説明を分かりやすくするために、今回は造語を用いました。)
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>そのままリアルな火炎地獄を体験してしまうということですね。 だから、リアルという言葉のとらえ方の問題です。リアル=現実的です。そうではなくて、幽実的なのです。肉体の神経を通さないのです。リアル=幽実的というならそうと言えるでしょう。 それで、あなたのおっしゃる「宗教の言う地獄」がどんなものかはあなたしか分からないのだから、それを人に依存せずに自分で答えを出して下さい。、
お礼
度々ありがとうございました。 参考になりました。 もう少し考えてみます。
スピリチュアリズムで言う最たる地獄は現世です。 次に、現世で言われている地獄に相当するのは、 実際には幽界下層部の苦しみの精神世界です。 肉体的苦痛はありません。なぜなら肉体がないからです。 あるとするならば、それは想いの中の思い込みです。 自分自身の思い込みが、幽界で自分自身を苦しめることになるのです。 例えば、生前病気で苦しんでいた人の中には、 死後もその錯覚に苦しめられる場合があります。 このように、自分の中の想いが体現するのが死後の世界なので、 自分が何かに苦しんでいたらそれがそのまま長期間続きます。 死後は生きていた時より素直になります。 そこで、生前無視してきた良心、正しき心と直面することになります。 良心を無視する生き方をした人はそういう意味で苦しめられます。 いわば死後正しき心、神の心、愛ということを感じること、 それ自体が閻魔大王であり、自分を裁くものは自分自身。 他の誰も自分を裁くことはありません。 そこに至るまでの間に、憎しみ、ねたみ、そねみ、すさんだ気持ちのまま幽界下層、 幽現界などをさまよう霊たちも居ます。現世の事情に執着する魂たち。 こういった死後の事情を説明するのに、 過去の人たちには正確にそれを把握するほどの理解力が付いていなかったので、 単純に現世の拷問がそのままイメージになってしまったのです。 地獄が現世の拷問とそっくりなんて短絡的すぎるでしょう。肉体もないのに。
お礼
丁寧な御回答ありがとうございました。 幽界はどこも想念が生み出す世界だといいます。思い描いたものが現実になるようですね。 例えば火炎地獄で焼かれるということは、ただの想念だとしても、霊たちにとっては現実そのものとして感じられるのでしょうか?
お礼
再度御回答いただきありがとうございます。理解いたしました。 自殺霊が幽界で、火炎地獄を想念しますと、そのままリアルな火炎地獄を体験してしまうということですね。 すると宗教で説かれているものと同じような地獄はあるということでしょうか?