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なぜ人間は宗教をつくりだすのか?
なぜ人間は宗教をつくりだすのか? 猿などの動物は宗教をつくりませんが、人間は宗教をつくりだします。これは人間が猿などの動物よりも優れているからではありませんか?
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宗教とは何かというと、 人間が神的なもの、永遠のもの、普遍的なもの、或いは、神そのものを実感するための過程や結果ではないかと思います。 人間は神ではないですが、少なくとも神というものがどういうものかは、猿よりは知っています。創造主とか、全知全能とか、なんでもいいですがそういうイメージを持っているし、実際そのようなイメージによって神がどういうものかを示すからです。 猿ももしかしたら、何らかの神的なものを仄かに感じ取ってはいるかもしれません。が、それを明確に自己と対象化し、それに向き合って考え、更にそれを表現するというところまではいっていません。逆にここまでいけば、宗教の初期段階のようなものが生まれるかもしれませんが。 もし人間が神そのものであれば、現歴史上の宗教のようなものは存在しないだろうし(別種のものは存在する可能性があります)、動物であれば、上記猿のように表現できません。人間は動物でありながら、動物ではない何物かであり、この何物かがあることによって、ないものより優れているということはできると思います。そしてそれによって、人間は神ではないが、何らかのかたちで神に近づこうという姿勢が、宗教の内容を形成するのだと思います。
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- magga
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paradox_8 さん こんにちは^^ 僕なりに思うところを書いてみますね。 我々生命は、生まれた肉体によって認識の制限がかかり その肉体によって似通った、認識の癖がつくと感じます。 生きていくために、肉体に毒ならそれを嫌い、有益なら好むといった傾向があると思います。 もちろん、欲や怒りに支配されれば、人間も動物もその判断基準が揺らぎもしますね。 気付く能力がなくなってくると、身体にとって良い悪いの判断もできなくなります。 動物達は各々の認識の癖があり、その癖によって集団を作り、その枠から外れたモノを追い出したりもしますね。「我こそは正しい」と。 人間はここに言葉が入るのでよりややこしくなります。「我こそは正しい」ということがより強化されますし・・・、多く集団をつくってその心を安心させたいという心理も働くのでしょう・・・ 生命には認識した情報を「固定のモノ」として捉え、その「固定したモノ」の捉え方を「我は正しい」という態度で決め付ける働きがあると思ってます。ここにはもう一つ「固定した私・我」という幻想も入り込みますね。 ここで言葉が入るから他の動物よりも 「我こそは正しい、他は間違っている」という思いを強化し、バカにもなれますし 「我こそは正しい、他は間違っている」という思いを薄め減退し、消滅させることも出来る と僕は思ってます。 しかしながら、それを理由に他の動物より優れているとは言いません。 能力の優劣なら、数多の項目でばらばらでしょう。 人の劣る項目など腐るほどありますしね^^ 上記の理由において、人間は恵まれているとは感じますが、生命として優れているとは思いません。 この回答があなたの思索の役に立てば幸いです ~幸福であれ~
お礼
回答をありがとうございます。宗教心とは社会形成のために後天的につくられたとは思えません。人間は生まれながらに自然と宗教心が備わっていたと思います。ですが集団での宗教は生まれながらの宗教心を利用したものもありそうです。これは言葉に騙されたものかもしれません。
回答者の中で誰が醜い物体であるかという判断が まず先決になるのではないでしょうか? 意味をなさない回答もあります。自分が動物よりあらゆる面で劣っているのに自分を知るということを忘れているようです。
お礼
回答をありがとうございます。意味をなさない回答もありますね。
- 雪中庵(@psytex)
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宗教などなくても生きられる生物と、 宗教がないと社会性が崩壊する、自己チューな生物の、 どちらが優れているか、答えは簡単ではありません。 多くの生物において、社会性も遺伝子によって先天的に 導かれ、あるいは本能的(条件反射的)に社会行動を とるのに対し、人類はそうした行動の多様性や適応を、 淘汰によって遅々としてしか変化しない遺伝子によらず、 認識による環境の把握~自己の行動の結果の予測(分業) ~環境の改変(道具、産業)といった方法をとった。 しかし、そうした認識性は、肉体に付属した感覚器官を ベースにしている以上、放置しておくと自己チュー化し、 社会性を阻害する歪みを生じがちである。 そこで、他律的に社会行動をとらせるための「アメとムチ」、 すなわち、お金や出世といった“馬車馬の目の前のニンジン (本来、助け合うために集まっている社会をお金や権力を 奪い合う弱肉強食の疑似ジャングルに変える)”や、 宗教や法規といった足カセを発達させたのである。 その「バカにつける薬」をして、「優れている証拠」とは 言いづらいものがある。
お礼
回答をありがとうございます。人間は生まれながら宗教心があるので、社会性はまた別ですよね。
- ginzake
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サルは基本的に四足歩行ですよね。 たまに二足歩行もしますが、俊敏に動いたり走ったりする時は必ず四足歩行になります。 二足歩行は人間特有の物ですが、安定性が悪くバランスをうまく取らないと転びます。 二足でいる間は常にバランスを取り、神経を使っていなければ成らず気力体力が必要となる。 気力の支えとなる要因に「宗教」つくってしまったのでは?。 人間も他の動物みたいに四足歩行となれば、宗教観念がなくなるのではないですか?。 「人間が猿などの動物よりも優れている~」的から外れている気がします。 ・四足歩行の動物の中で人間はかなり遅い方です。 ・今だ、クモの糸の様な繊細な繊維を作れません。 ・体の大きさの割りにジャンプ力など運動能力が低い。 ・裸の状態での環境適応能力が低い。 など等、あります。
お礼
回答をありがとうございます。逆に猿などの動物よりも人間が優れている面は何でしょうか。
補足
人間は死んだ人に墓をつくりますが、動物はそのようなことがありません。人間らしいというのはある意味、宗教心があることではないでしょうか?
ねたきりおぢぢが、サルより優秀であると判断する根拠は、具体的に何か提示せよ。 経験不足は自分を滅ぼす。 サルは怪我をしても大げさに騒ぐことはない。ほっとかれてもたくましく生きている。 イタイイタイと大声で叫ぶのは、今までちやほやされてきた高齢男性。 始末に終えない。 自分がベットに貼り付けに成ったとき騒がないように死なさい。
お礼
回答をありがとうございます。人間は誰でも死にますが、安らかに死にたいものですね。
- gadovoa
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動物よりも優れているからではなく、 時間という物を持った時、 命が有限であると分かったからです。
お礼
回答をありがとうございます。猿などの動物は命が有限であるとわからないのですね。
お礼
回答をありがとうございます。