- ベストアンサー
小学唱歌にスコットランド民謡、イングランド民謡がとりいれられたいきさつ
小学唱歌にスコットランド民謡、イングランド民謡がとりいれられたいきさつは、どのようなものですか。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
幕末に生まれ、蘭学から英語に転じ、明治日本の西洋音楽の父と呼ばれている伊沢修二、 と、その恩師L.Wメーソンの功績です。 明治八年(1875年)文部省の国費留学生として渡米しブリッジウォータ師範学校に入学した伊沢は、英語などの学課はなんとか努力して進歩したが、どうしてもついていけなかったのが音楽の授業であった。そのためボストンの音楽講師L.Wメーソン)の個人指導をうけた伊沢氏はメーソンの自宅で、ピアノと唱歌のレッスンをして、ようやく学校の授業についていけるようになった。彼がメーソンから与えられ指導に使われたのがバイエルピアノ教則本と、当時のアメリカの小学校の唱歌でした。 帰国後、東京師範学校(筑波大)兼文部省音楽取調掛(東京芸大)長に任じられた伊沢は、恩師メーソンを、お雇い外国人として招聘し、二人が中心になり、「小学唱歌」が編纂されました。 当時の英米で唱歌と言えば、大陸のハイドン、ベートーヴェンにも影響を与えた英国系のケルト・スコットランド民謡やイングランド民謡が主流でしたので、「小学唱歌」に翻案されたのも、当然です。 メーソンは、バイエル教則本20冊とともに自身のピアノ他10台のピアノと一緒に来日、20人の音楽教師伝習生に、一冊ずつ、元来は、子どもがピアノ教師について本格的にピアノを学ぶ前に、親が子どもにピアノの基礎の基礎を教えるための、バイエル教則本を手渡し「音楽については、今日から、私は君たちの親であり、君たちは私の子だ」といい、バイエル一番から猛訓練を始め、一年後、バイエル全百六番、唱歌さらに若干のショパン、ベートーヴェンを習得した20人は、全国各地の教壇に立ち、「小学唱歌」に基づき、授業を始め、我が国の音楽教育のパイオニアとなっていきました。
お礼
とても勉強になりあした。ありがとうございました。