僕は、最近は物理以外の本はあまり読まないので、自分の過去の回答から寄せ集めで;
物質に「目的」はありません。
しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に進化を導きます。
「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に「生きる事」を目的とするよう導くのです。
(あなたが死にたいと思っても、死ねばそのような形質は遺伝せず、やはり全体は「生きる事」に収束する)
一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。
生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。
1.人は生物として、生きることを志向します(淘汰により常にその方向に収束する)。
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2.その自覚化において、意志の充足を志向します。
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3.その環境の認識において、人生を通算した精神的充足量の最大化を志向します。
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4.その環境認識の発達において、分業化や組織化の発達による生存強化を志向します。
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5.その分業化における市場&流通の拡大において、貨幣制や社会制度の発達を志向します。
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6.そこにおいて、発達する社会性に対し、認識の発達により自己の社会生命性(全体への依存)を自覚して、自律的に社会行動をとるのではなく、お金や権力といった先入的価値=馬車馬の目の前のニンジンによって、他律的に社会行動をとらせる方法を、人類の進化はとった。
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7.それによって、本来助け合うために集まっているはずの社会は、お金や出世を競い合い、奪い合う、弱肉強食のジャングルとなり、本来、社会生命として生きる事そのものである労働も、お金をもらうために仕方なく働くものとなった。
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8.よって、生物でありながら、楽にお金を稼ぎ、何もしない、半分死んだ状態を理想とするようになった。
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9.その結果、より多くの事を為すための組織性や道具も、他人を使役し、より楽に為すためのものになる。
お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働くものにする)、当然、自由意志を束縛=充足量を低減します。
本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変え、死による±0から充足量の増進を目指して生きているはずが、苦痛から逃げる(かろうじて±0)だけの死人に等しい状態に堕する、悪魔のツール。
(「助け合う喜び」から「奪い合って勝つ喜び(幻想)」への変質)