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生きる意味についてのさまざまな見解を集めています
生きる意味についてのさまざまな見解を集めています 現在、「生きる意味」についてのレポートを書いているのですが、 比較や引用の為に、哲学的、生物的、宗教的など、さまざまな見解を集めています。 生きる意味について多くの人の見解が書いてある本など知っている方いらっしゃらないでしょうか? おすすめの文献やWEBサイトなどありました何でも受け付けます。 どうぞよろしくお願いします。
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僕は、最近は物理以外の本はあまり読まないので、自分の過去の回答から寄せ集めで; 物質に「目的」はありません。 しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に進化を導きます。 「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に「生きる事」を目的とするよう導くのです。 (あなたが死にたいと思っても、死ねばそのような形質は遺伝せず、やはり全体は「生きる事」に収束する) 一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。 生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。 1.人は生物として、生きることを志向します(淘汰により常にその方向に収束する)。 ↓ 2.その自覚化において、意志の充足を志向します。 ↓ 3.その環境の認識において、人生を通算した精神的充足量の最大化を志向します。 ↓ 4.その環境認識の発達において、分業化や組織化の発達による生存強化を志向します。 ↓ 5.その分業化における市場&流通の拡大において、貨幣制や社会制度の発達を志向します。 ↓ 6.そこにおいて、発達する社会性に対し、認識の発達により自己の社会生命性(全体への依存)を自覚して、自律的に社会行動をとるのではなく、お金や権力といった先入的価値=馬車馬の目の前のニンジンによって、他律的に社会行動をとらせる方法を、人類の進化はとった。 ↓ 7.それによって、本来助け合うために集まっているはずの社会は、お金や出世を競い合い、奪い合う、弱肉強食のジャングルとなり、本来、社会生命として生きる事そのものである労働も、お金をもらうために仕方なく働くものとなった。 ↓ 8.よって、生物でありながら、楽にお金を稼ぎ、何もしない、半分死んだ状態を理想とするようになった。 ↓ 9.その結果、より多くの事を為すための組織性や道具も、他人を使役し、より楽に為すためのものになる。 お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働くものにする)、当然、自由意志を束縛=充足量を低減します。 本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変え、死による±0から充足量の増進を目指して生きているはずが、苦痛から逃げる(かろうじて±0)だけの死人に等しい状態に堕する、悪魔のツール。 (「助け合う喜び」から「奪い合って勝つ喜び(幻想)」への変質)
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- yuniko99
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物質や生物でもある人間の体ですが 人間は存在する為に生きています 人間存在として存在する為に 生命として生きて脳などを守るのです 存在することに意義があります 存在することが価値なのです もし脳の損傷などで 生きていても精神も心も働かなくなったら 親や家族はさぞ嘆く事でしょう。 存在しないことには話も始まりません 何もできません 何も無いのですから。 存在を充実させ 存続し 未来の存在を実現していく。 自分が死んでも 生きた証として 未来の存在に自分の営為と思いが伝わって行くのではないでしょうか?
- magga
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yoshimasa_ さんこんにちは^^ 僕の思うところを書いてみますね。 ★ 「生きる意味」 を探す前に「生きる」とはなんなのか探求する必要があると思いますよ。 その答えがないうちは、「~~の意味」を探すようなもので曖昧模糊としてしまうと思います。 初期仏教を宗教的に捉える方も多いでしょうが、個人的には、「生きる」とは何かということが研究テーマの研究結果・論文のように感じます。 まず、物質的には自分と変わらない遺体と生きている自分の違いを、根拠の強いものからあげてみるのは有意義なことと思います。 その違いが心が影響している範囲と。 そのようにしていると「感覚」「感情」「動き」などに分類できるかもしれません。 次いで、「感覚」について、変化する感覚器官において、対象の変化する物質との接触で、情報を受け取り、変化する認識が生まれることに気がつくかもしれません。 そしてそれらを変化しているものなのに「固定したもの」として捉え、それまでに培った固定したものという体験的知識から、機能を当てはめそれが何であるか判断し、言葉をあてていくと発見するかもしれません。 それを、その人の、思い癖・傾向・慣れによって、好き・嫌い・つまらないなどのカテゴリーにいれ、変化生滅する現象に「変わってほしい・変わってほしくない・どうでもいい」と貪欲瞋恚・無知系の感情に添加していくことに気付くかもしれません。 「固定したものである私」という実感も、この五感の「もの」としての経験的知識の集積によって、つくっているものという見方も出来るかと思います。 そしてなぜ動かずにはいられないのか考えるもの有意義でしょう。 ・基本的には感覚が苦だから・・・ お腹がすいた(苦)から食べる苦の減った分楽と感じるが、それは苦が減っただけ。 その減る行為に「好き」という分別をしただけ。 「楽」があるわけじゃない。食べ続ければまた苦がたまる。 痛いから(苦)立つ・歩く・座る。これらも同じこと。 ・苦を避けるから動かずにはいられない。 ・生きたいから苦をさける。 という考えが浮かぶかもしれませんし、 ・欲した「もの」も、欲した「自分」も、共に違う現象に変化している。 欲したものが得られない。不満足・悔しさ・五感への欲・・・ 全ての現象が変化生滅するから そしてその【諸行無常】ということを知らないから(【無知】)。 【渇愛】 ・【好きな感覚を求める】 ・【嫌いな感覚を避けたい】 ・【死にたくない・生きていたい】 という衝動に突き動かされてしまう。 というような思索の結果「前もってあるような、生きる意味」は無い。 となるかもしれませんw 仏教徒はこの無知を破ることに生きる意義を見出すのだと思います。中道・八正道ですね^^ 何か思索の参考になれば幸いです^^ ~生きとし生けるものが幸せであれ~
- HANANOKEIJ
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NHK高校講座 倫理 http://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/2009/radio/r2_rinri/ 現代社会 http://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/2009/radio/r2_syakai/ NHK大河ドラマ「竜馬伝」面白くなってきました。 140年くらい昔の、お話ではありません。現在の日本の危機と、二重構造になっています。 人間は、どの時代に生まれてくるか、選べません。 また、どの夫婦の間に生まれてくるか、それも選べません。 生まれてきて、大人になって、死んでいくまで、何かをして生きていなければなりません。 「生きる意味」?人生の要所要所で、大きな選択があります。そのときに、悔いのない選択をして、仕事に、家庭に、一所懸命に生きていけばよいのではないでしょうか? 先日、ある新聞で、「日本政府は、元軍人・軍属と遺族には、これまで恩給や年金など約48兆円の補償をしています。」とありました。本当に国民の生命と財産を守るためには、戦争を始めてはいけなかったのではないでしょうか?日本は、戦前、戦中、戦後と、支配体制が変化していません。不思議な国です。 「なぜ?」と問うこころを育てていくことが、私の「生きる意味」かもしれません。
- 勢十郎(@Arrogance1)
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生きるのは本能だが、それに価値を与えるのは社会での趣向です
- lovekubo
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書籍になりますが、 『生きがいの創造』飯田史彦著は有名でしょうか? またこの飯田史彦先生は他にも『いきがい』に関する書籍を多数出されています。 私の周りの精神医学を志す方などがとても愛読されていました。 私自身興味ある分野でしたので、もちろん読破したのですが、多少考えが飛躍してしまうようなところもありますが、全体的には良くまとめた本だと思います。 お時間がおありの時にでも、ぜひ。