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なぜそんなに言わないのですか。
なぜそんなに言わないのですか。 中学校の先生の教えと言ったら、深く印象に残っているのは、【人生はパンツのゴムの如く】です。 担任だった美術の先生に教わりました。 【担任だった】、なぜ【担任していた】と言わないのですか。何か違いでしょう?
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こんにちは。 いつもきれいな日本語を書かれるので感心していますが、 残念ながら、今回のご質問文には直さなくてはいけない箇所があります。 ・なぜそんなに言わないのですか。 ⇒ なぜそのように言わないのですか。 ・何か違いでしょう? ⇒ 何が違うのでしょう? さて、本題ですが、 まだほかの回答者の方々が書かれていない、「担任していた」があまり適切でないことの理由を書きます。 「担任する」という行為は、その先生本人がクラス・生徒達のためにするものではありません。 上から命じられた結果、そのクラス・生徒達を受け持つということに過ぎないのです。 つまり、「担任する」という行為に対して生徒達が感謝の念や親しみを感じるのは、あまり正しくないのです。 したがって「担任した先生」「担任してくださった先生」という表現は、あまり使われません。 一方、「(うちのクラスの)担任の先生」「(うちのクラスの)担任だった先生」というのは、 「(ほかのクラスの受け持ちではなく)自分達のクラスの受け持ち」、 つまり、単に区別をするために用いられることばです。 生徒の立場から見れば、「担任している先生」よりも、むしろ単に「担任の先生」とするほうが適切です。 したがって、 先生についての思い出話をするならば、「担任だった先生」とするのが正解です。 ご参考になれば。
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- gldfish
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「担任していた」でも厳密には間違いではないですが、「担任していた美術の先生」と言われると「(他の誰かが)担任していた美術の先生」とも受け取れたりして、主語が色々考えられるので紛らわしいです。 実際「担任する」という言葉は生徒と先生という状況以外でも使われます。例えば「美術の先生を担任している主任の先生」というような場合などです。 「担任してくださっていた先生」と言えば多くの人は「(自分を)担任してくださっていた先生」と受け取ると思いますが、いちいちこの長い言葉を用いるのは面倒です。 そこで定番になったのが「担任」。この一言で「担任してくれている人」という名詞を表しています。シンプルに済ませることが求められる日常会話では、この用法を用いて「担任の先生」、過去なら「担任だった先生」と言われることが実際多いですね。単に「担任」とだけも言います。(例:「私の担任は厳しい人だ。」) でも、特に丁寧に表現したい場合など、「担任してくださっていた先生」と表現しても変ではないです。 それから、語学を学んでいらっしゃる方でしょうから、質問文で気になった点に触れさせて頂きます。 「なぜそんなに言わないのですか」はかなり不自然で、これは一例ですが「なぜこういう風に言わないのですか」等と言う方が一般的でしょう。 「何か違いでしょう?」という日本語表現は文法的にも無いと思います。「何が違うのでしょう」とか「どういう(どういった)違いでしょう」、でももっと美しく言うなら「どういった違いがあるのでしょう」なんかがベストですね。
- koritsusan
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「担任していた」はその先生からみての使い方 また生徒の立場として使うなら「私(達)を担任していた」 「担任だった」は主に生徒からみて使う時。 または「私(達)の担任だった」 要は名詞として使うか動詞として使うかの違いではないでしょうか?
- born1960
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担任されていた もしくは 受け持たれていた っていうべきですね。 担任していたって言葉になると先生側の立場での言葉です。
- sotom
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「担任する」という動詞としての使い方が普及していないから。