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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:鉄鉱石のできた時代や期間について)

鉄鉱石のできた時代や期間について

このQ&Aのポイント
  • 鉄鉱石の産地(鉱山)で、鉄が集積した時代や期間について知りたいです。
  • 特定の鉱山の鉱脈がいつ形成され、何年間で堆積したのか知りたいです。
  • 鉄鉱石の形成時期の判定はどのような方法で行われているのでしょうか。また、最近形成された鉱脈の情報も欲しいです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • kv2007
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回答No.2

日本においては,砂鉄以外の鉄資源の利用は明治以前にはほとんど行われていません。 鉄資源として鉄酸化物が一番重要ですが、日本においては砂鉄が最も容易にある程度の量採取できる鉄酸化物なので、需要がそう大きくなかった江戸時代までは砂鉄で需要がほぼ賄えたのです。使われた砂鉄は、現世に形成された漂砂鉱床やカコウ岩の眞砂から流水選別したものが大部分です。一部更新世、第三紀の砂鉄が使われました。 http://www.gsj.jp/Pub/News/pdf/1955/01/55_01_02.pdf 明治以降、釜石などスカルン鉱床に伴う磁鉄鉱、倶知安や群馬などの褐鉄鉱沈殿鉱床の褐鉄鉱が利用されるようになります。 褐鉄鉱沈殿鉱床は小規模で採算がとりにくいのですが、戦争中は採算度外視で採掘され、1944年には日本の鉄鉱資源の約45%を占めるようになります。褐鉄鉱は焙焼してから製鉄に使いました。現地形に沿った形で形成されているため、形成年代はごく最近と考えられ、大半が数万年以内とされています。 日本最大の鉄鉱山である釜石鉱山は白亜紀のカコウ岩と古生代の石灰岩の接触交代作用の結果作られたもので、鉱床形成時期は白亜紀末ごろです。採掘されたのは磁鉄鉱です。 柵原鉱山は褐鉄鉱の沈殿鉱床ではなく、古生代の海底火山活動による黄鉄鉱を主体とする海底堆積鉱床が白亜紀(1億~6500万年前)のカコウ岩貫入による熱水活動で磁硫鉄鉱を生じたものです。褐鉄鉱は硫化鉄などが地表で酸化してもできますのでこの場合現世で沈殿してできた沈殿鉱床とは違います。黄鉄鉱や磁硫鉄鉱などの硫化鉄鉱石は、硫黄分や銅などの不純物も含むので、鉄資源としては重要度は低いのですが、主に戦中から戦後にかけて硫酸生産の後の残渣(硫酸焼鉱)が製鉄に使われています。

moto_koukousei
質問者

お礼

ご協力 ありがとうございました。 一旦 この質問は完了扱いで、閉じさせていただきます。 kv2007さん おかげさまで、ある程度の見当がつきました。 ' 砂鉄:堆積時期は地質年代のあらゆる時期になる(浜砂鉄、山砂鉄、川砂鉄、湖岸砂鉄) '    大部分は、現世に形成された漂砂鉱床やカコウ岩の眞砂から流水選別したもの。 '    一部が、更新世、第三紀中新世、中生代、古生代の砂鉄。 ' 倶知安や群馬などの褐鉄鉱沈殿鉱床の褐鉄鉱:(褐鉄鉱は焙焼してから製鉄に使用) '    形成時期はごく最近と考えられ、大半が数万年以内。 ' 釜石などスカルン鉱床に伴う磁鉄鉱 '    形成時期は白亜紀(1億~6500万年前)末ごろ '☆ 現在の製鉄業で使用する世界の鉄鉱石は、沈殿性鉱床の大鉱山、大鉄鉱鉱床から。 '  23億年から19億年ぐらいの間にバクテリアが海水中の鉄分を沈殿させた。 '☆ 日本列島は新しいので、そうした鉱山は存在しない。 http://www.gsj.jp/Pub/News/pdf/1957/s10/57_s10_02.pdf 高師小僧などからの製鉄の可能性は非常に低い http://www.toyohaku.gr.jp/sizensi/06shuppan/syuppan/takashi-kozo.pdf (これが結論) http://mutsu-nakanishi.web.infoseek.co.jp/iron/12takashi.pdf(結論が出る前) http://mutsu-nakanishi.web.infoseek.co.jp/iron/4iron05.pdf (結論が出る前) 高師小僧などから簡単な炉で鉄滓ノロを除き、還元鉄を含んだけらを取り出すことは難しくない(炭素分が多く、鋼の状態になることも多い)(製錬が可能な可鍛鉄にするのが難しい) (戦時下で国力を使って沼鉄鉱を利用した場合にはできたのかがわからない) 高師小僧などの鉄分が多いものが、非常に短期間で形成され、条件が整えば数十年ならば大量にできる可能性があることがわかりました。 砂鉄も同様で条件が整えば高濃度に鉄を含んだものが高師小僧以上に短期間に大量に集積する可能性があるのはわかります。 近世、江戸期では、たたら製鉄で砂鉄が原料にされています。 中世以前では、野だたらで砂鉄原料の製鉄がされたように(私も以前は思っていた)いわれていました。 http://mutsu-nakanishi.web.infoseek.co.jp/iron/6iron00.pdf http://www.ipej-hokkaido.jp/ch/ch114/p046.pdf http://rose.lib.hosei.ac.jp/dspace/bitstream/10114/4594/1/77-2zadankai.pdf 小規模生産であること、設備らしいものが大がかりではないこと、移動が多かったらしいことのために、あまり遺跡がないし、原料や製法の記録がないので、鉄滓やけらが見つかり、炉跡が見つかると、製鉄されていたこととされるようなのです。 本当に、選べば砂鉄ならば鍛錬できる鉄、鉄器を製造できたのでしょうか。 砂鉄から簡単な設備の野たたらで作るけらは、鍛打製錬に使えるものだったのでしょうか。 けらができたので、製鉄ができたことの確認にはならないです。 当時の人の目的は農具、工具、武器などを作ることなので、鍛造加工できるもの、あるいは鋳造加工できるものができることを確認しないと………(けらの確認だけでは)  http://www.pref.tottori.lg.jp/dd.aspx?menuid=98623  http://www.toyohaku.gr.jp/bihaku/tatara.htm  http://www.jsme.or.jp/tsd/news/newsletter16/amanoTatara.html  http://www.nsc.co.jp/yawata/csr/tatara/project/pdf/080702.pdf  http://www.tetsunorekishimura.jp/tatara.htm# 近世以降の本格的なたたらならば、不効率でも銑、鋼などがとれるのはわかります。   http://www.wakou-museum.gr.jp/tetsu1.html 砂鉄から銑鉄、鋼ができた例もある!   http://www.kajidai.com/kanemasaryuu-kodatara-seitetu.htm   http://www.kajidai.com/D13-sougyou.htm

moto_koukousei
質問者

補足

とてもありがとうございました。おかげ様で、見つけられなかった資料が探せるようになりました。 http://riodb02.ibase.aist.go.jp/DB011/geolis_search.jsp http://www.gsj.jp/Pub/News/pdf/1955/01/55_01_02.pdf http://www.gsj.jp/Pub/News/pdf/1955/03/55_03_03.pdf http://www.gsj.jp/Pub/News/pdf/1957/s10/57_s10_02.pdf http://www.gsj.jp/Pub/News/pdf/1959/04/59_04_04.pdf http://www.gsj.jp/Pub/News/pdf/2001/04/01_04_08.pdf  子供用の説明ですが『奥出雲では明治に入ってからも農民が冬の農閑期に小だたらで鉄を吹いて、それを鍛冶屋に持っていき農具を作ってもらったという話が残っています』と自給たたらの参考に載せられている写真3は、私には新鮮な情報です。 日本の製鉄の始発原料は、近世(江戸時代)以降では砂鉄が席巻しますが、古代(8~9世紀)では砂鉄は使っても製錬過程で使ったものが多かったようです。 (古代では高温を得られないので技術的に砂鉄製鉄はできない。砂鉄を製鉄原料に使える知識があったかどうかも疑問です。日本古代では砂鉄からも鉄鉱石からも製鉄ができなかった可能性が高い。日本で鉄器を作るには、朝鮮半島から輸入した鉄鋌 鋼や銑鉄を使うほかなかった) http://ohmikairou.org/col15.html   http://www.geocities.jp/rock4garden/sub22.html   http://munakatakouko.web.fc2.com/2-28tetu.pdf     6世紀後半 千引かなろく谷遺跡 鉄鉱石     6世紀後半 大蔵池南遺跡 砂鉄   http://211.132.45.133:48676/shares/www/dock/iron/7iron11.pdf     8世紀 柏崎軽井川南製鉄遺跡 砂鉄 http://www.okunomasao.com/kodaiseitetu.html http://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/nnp0202.htm http://211.132.45.133:48676/shares/www/dock/iron/4iron12.pdf   古い時代の製鉄遺跡と言われるものは、鉄/鋼/銑鉄を作るのではなく、鍛造製錬や鉄器鍛冶遺跡などのようです。   佐々木稔さんが(古代刀と鉄の科学p203~237)、砂鉄を利用した"製鉄遺跡"でも6世紀後半~7世紀のものは、輸入した銑鉄から鋼を作る製鋼の際に(銑鉄を溶融し脱炭材の目的で低チタン砂鉄を使っていた)可能性を指摘し、その後の蕨手刀も、近江製鉄も製鉄ではなく輸入銑鉄を精錬していた遺跡だと、炉の構造から指摘しています。またそれら始発原料もほとんど磁鉄鉱のようです。  磁鉄鉱、砂鉄、餅鉄、高師小僧などが製鉄始原原料候補に挙げられますが、日本では磁鉄鉱と砂鉄が中世から利用され、近世は磁鉄鉱が中心になったようですね。 餅鉄の利用可能性 http://211.132.45.133:48676/shares/www/dock/iron/4iron06.pdf (p38/86) http://www.asahi-net.or.jp/~vm3s-kwkm/kodai/kk10.html 1977年に釜石西中学校生徒と新井氏が餅鉄約24kgから12.5kgの還元鉄を作ることに成功(炉本体内部は40×60×高さ60cm、レンガと粘土) これは古代タタラ復元による砂鉄製鉄に比べて、原料半分、炭半分、製鉄時間5時間という驚異的なものだったようです。 http://home.hiroshima-u.ac.jp/er/Rmin_SS_T1.html http://www.h3.dion.ne.jp/~china/point137.html 得られる還元鉄はけらです。鋼や銑鉄ではなく、そのままでは鉄器製造には使えません。海綿鉄を鍛打して錬鉄にする(直接製錬ができたら)問題は解決です。 いつから直接製錬ができるようになったのかが大きなポイントのようです。 平安時代までは直接製錬はできず、日本では鉄資源を採取利用できなかった? http://211.132.45.133:48676/shares/www/2008htm/iron4/0802road04.pdf 高師小僧や褐鉄鉱は製鉄始原原料だった可能性が

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その他の回答 (1)

  • kv2007
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回答No.1

褐鉄鉱床は,鉄を含んだ温泉水などが空気に触れて酸化したりバクテリアの活動で急速に形成されることがあります.日本では火山周辺の温泉地帯に分布している例が多く,北海道の倶知安周辺や長野県などでは鉱山として採掘されていました.現在の地形に沿った分布をしていることから,そんなに昔ではなく,更新世後期から完新世,数十万年前から現在に至る期間に作られたものが多いと思います.すくなくとも現在も鉄鉱の沈殿が起きていることが確認されているところもあります.阿蘇の褐鉄鉱床は阿蘇カルデラの成立が約9万年前ですから,それ以降なのは間違いないです.褐鉄鉱,褐鉄鉱床で検索すると,他にもいくつかの鉱山が引っかかりますよ. ただし,褐鉄鉱床はそれほど規模が大きくないものが多く,鉄資源としての重要性は高くありません.江戸時代以前の鉄資源はほとんどが砂鉄鉱床でした.これは川の下流域や砂浜などに堆積した砂の中から水の流れや波で選別された砂鉄を取り出すものです. 明治以降の日本の代表的な鉄鉱山だった釜石鉱床は,白亜紀のカコウ岩がより古い石灰岩と接触して交代反応が起きたスカルン鉱床です.また現在最も重要な鉄資源である縞状鉄鉱層は大部分が27億~19億年くらい前に形成されています.縞状鉄鉱層も当時の海水中の鉄が,生物活動で増えた酸素で急速に酸化沈殿したものですから,規模がケタ違いとは言え成因としては褐鉄鉱床と似ているとはいえます.

moto_koukousei
質問者

補足

kv2007さん ありがとうございます。 追加のご回答をいただけると幸いです。 褐鉄鉱の鉱床や鉱山は沢山あるのですが、私がインターネット検索で探した範囲では、製鉄用や製鋼用の原料として使ったのではなくて、顔料、土壌改良の原料として使っていたことが多いようです。また褐鉄鉱のそばで硫化鉄鉱などがあると化学工業の原料にも使っていたようです。柵原鉱山(やなはらこうざん)も褐鉄鉱の露頭が発見されたのがきっかけですが、褐鉄鉱は利用されず、硫化鉄鉱が塗料や硫酸を作るのに使われたようです。 http://wapedia.mobi/ja/%E6%9F%B5%E5%8E%9F%E9%89%B1%E5%B1%B1 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B5%E5%8E%9F%E9%89%B1%E5%B1%B1 阿蘇の沼鉄鉱も鉄原料ではないという意味で同様です。 日本では第2次大戦中の鉄原料不足対策のため各地で褐鉄鉱や沼鉄鉱を増産させて八幡製鉄、川崎製鉄などに送らせたようですが、本当に製鉄に使えたのか、まだ私にはわかっていません。 なお、スペインではカタラン製鉄で褐鉄鉱(ブラウンリモナイト)が使用され、これで作った還元鉄を大型ハンマーで鍛造製錬して鋼材を作ったようです。昔の製造法では鍛造製錬できそうな還元鉄を褐鉄鉱から作れたのかが疑問に思えるのです。褐鉄鉱鉱山、リモナイト鉱山からの採掘出鉱があったにしても、製鉄、製鋼原料供給源ではなかったのではないかと思えてしまうのです。 日本で製鉄、製鋼の原料として使ったことが推定されている鉱山や鉱脈の古いのは、どんなところのものなのでしょうか。 日本で鍛造加工以前の工程である製鉄/製鋼が行われたのは早くても6世紀末で、10世紀まで始発原料は日本産ではなくて輸入銑鉄を使っていたようです。砂鉄を製鋼原料に純日本製の製鉄・製鋼をしたのはかなり後のようです。そうであると、褐鉄鉱がけらの製造に使えたとしても、利用は10世紀以降になると思います。 製鉄に現実に使われた鉱脈・始原材料を、どこのものか(場所)(鉱物名)(鉱山の鉱脈はいつ頃生成されたのか? 地質時代?、歴史時代? 中世、近世、のどの頃)に形成された、何年間(100年間、1000年間、1万年間、100万年間?)ほどの期間で堆積(集積した)ものが、いつ頃鉄鉱石として採取利用されたのか、日本で最初がわからなくても、この特定鉱山についてはと言う情報で良いので、是非教えていただきたいと思います。 よろしくお願いいたします。 バクテリアの活動で急速・短期間でに形成される沼鉄鉱リモナイトがあることはわかります(詳しくはわかりませんが)ユーチューブにはイギリスの番組からのクリップで、砲丸投げの砲丸ほどの大きさの沼鉄鉱が簡単に掘り出されている映像が出ていて、その画像の後で製鋼している画像が出てきます。しかし、こんな沼鉄鉱が本当に製鉄・製鋼に使われたのか??疑問なのです。In order to win wars (or to prevent them) a civilization needed iron. Here is one of the sources in England.Making History - Bog Iron 阿蘇カルデラの成立が約9万年前という情報 ありがとうございました。 http://www.kk-avance.jp/gallery.html?start=2 に、阿蘇市(旧阿蘇町)萱原 阿蘇カルデラ北側の阿蘇谷に、約2万年前~5千年前に存在した湖の末期に形成された沼鉄鉱の鉱床である。という記載がありました。日本では縄文時代に形成された沼鉄鉱リモナイトなのですね。しかし、この沼鉄鉱リモナイトが鉄鉱石には実質ならないのが確実ならば、使い物にならない鉱脈資源の、形成時期、鉱床形成に掛かった期間の長短は、知りたいことのトップではないのです。

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