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宇宙、エネルギー、地球、人類が存在するのもただの自然の偶然の成り行きな

宇宙、エネルギー、地球、人類が存在するのもただの自然の偶然の成り行きなのでしょうか?

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  • cyototu
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回答No.4

近年の物理学の進歩により、世界の認識に対して非線形現象の分析に基づいた「分岐の理論」と言う捉え方が重要であるという認識を人類は手に入れております。現象の安定性を調べて行くと、その現象を記述する方程式に現れる定数(これをパラメーターと呼ぶこともある)変えて行くと、今まで安定だった事象が、あるパラメータの値(閾値という)で不安定に変わり、その閾値の値より大きい所で、二つの新しい安定点が現れてくることが判りました。そこで、その系はそのどちらかの安定点に遷移しなくてはならないのですが、これが完全に非決定論的で、どちらに移るかはサイコロを振るのと同じ程度に確率的に起こります。それは、そのバラメーターが閾値より十分小さいか、あるいは十分大きいと、現在の事象の回りの揺らぎの幅は大変小さく、実質的に無視出来るのですが、閾値の回りではその揺らぎは大変大きくなり、その結果どちらの安定点に移行するかが非決定論的になるのです。 例えば、貴方が今日何処かに出かけようと考えた時、私鉄で行くか、JRで行くか二通りの選択肢が在ったします。その時、貴方が異姓を見る時に放出するホルモンの状態が特別な場合でない時には、どちらで行くかは貴方の人生に殆ど何の影響も与えないでしょう。ところが、そのホルモンの分岐量と言うパラメーターがある閾値近傍にあった場合、たまたま私鉄で言ったおかげで、普段好意を抱いていた異姓に遭遇出来た場合、それが切っ掛けで貴方は恋に陥り、その人と結婚するかも知れません。しかし、たまたまJRで行ったとすると、その方と遭遇出来なかったので貴方は全く別な人生を送ることになるかもしれません。この時に重要なのは、貴方のホルモン分泌量がある閾値近傍にあったことです。その結果、貴方のその後の振る舞いに関する揺らぎが増幅され、どちらの安定点に遷移するかが完全に非決定論的になってしまうのです。一方、貴方のホルモンの分泌が閾値よりずっと離れていた場合には、その日に私鉄を使ったかJRを使ったかで貴方の人生が決定的に変わってしまう訳ではなく、たとえその異姓に合えようが合えまいが、どちらかと言うと予測可能な決定論的な振る舞いをすることになります。 以上のことから、貴方の存在はほとんどの場合偶然の成り行きではなく、決定論的に予測可能なのです。ところが、上の例のようなホルモンの分泌量や、あるいは他の例では貴方の給料の額など、貴方を規程する外部パラメーターがある閾値の近傍になって来るような稀な状況では、貴方は完全に偶然の成り行きで支配されてしまうと言うのが、非線形数学に基づいた近代物理学の認識です。

jjojoe
質問者

お礼

ありがとうございました。 深いご見解です。概ねわかりましたが難しいですね。

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その他の回答 (3)

回答No.3

 人間が意識する上では偶然といえるし、その偶然は、必然とも思えます。  「有」か「無」か。  「宇宙の存在」といった事に思いを馳せると、「無」の世界とはそれこそ何もない世界という事なので、考えてもしょうがない。  「宇宙」は、有ってこその宇宙、「有」かと思います。  「無」とは何もないということ。  でも「無」が“在る”のは「有」があってこそ。  「有」があるから「無」も“ある”。  有と無は表と裏、表裏一体。  無がなければ有もなく、有がなければ、無もありえない。  色即是空。 色は空であり、空は色である。  なんてことを思ってしまいました。  ☆自然の成り行きは偶然、偶然は必然。

jjojoe
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 結局は必然だということでしょうかね。

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回答No.2

宇宙が、地球環境が、動植物が、人体が、星々が、偶然にできたと思いますか。 思う人間の方が、ただの動物でしょう。

jjojoe
質問者

お礼

ありがとうございます。

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回答No.1

最新の量子論的世界像において、有限な存在性は観測される事に よって生じています。 量子的な相補的不確定性を介した、自我仮説と時空仮説の相補分化 と、そこにおける、無の射影としての存在性。 (無の無限の闇に対する自我の射影) 全てのものは、あなたが存在するための(物理的根源にまで遡った) 補完なのです。 我々は「過去は既に終わっている」「未来はまだ来ていない」ので、 「存在するのは現在」と考えますが、真の『現在』とは、認識体の 感受表面での量子相互作用(光速)のみであり、その経験 (過去=超光速)による予測(未来=光速下)として時空的 広がりは発生しているのです。 (認識体自身が、その仮説的空間に有限な大きさを占めている ことで先入的根拠の完全否定) 相対性理論の四次元時空の方程式において、時間項はマイナス になっており、そのため空間軸と時間軸の等距離点に、“ゼロの面” ができます。 それが「ライトコーン」、即ち光子の形成する面であり、光速以下の 領域(未来)と超光速の領域(過去)を分ける界面原点なのです。 そして超光速においてエネルギーは虚数化し、相互作用=二乗に おいて負=過去(時間的反転)と等価になり、即ち、現在から過去 と未来が対発生していると言えるのです。 即ち「自我仮説」が、宇宙膨張=光速の低下=物体収縮=不確定 性(h)の収束における、hの減少の時系列化である時、それが架空の 時間軸となって、空間的確定性としての無限不確定的空間性が、 超光速(過去=経験)と光速下(未来=予測)に相補分化する受け皿 となり、直交基底をなす事によって、相補的不確定性を生じ、経験に よる予測=現象表面的定性化における、有限的存在(=非光速)を 幻出しているのです。 即ち、「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の相補として 生じた時空仮説に対して、「本当はないんだけどね」という無の射影として、 存在は生じていると言えます。 無いとは分からない事が有なのです。

jjojoe
質問者

お礼

丁寧な御回答ありがとうございます。 少し難しいですね。 でもなんとか理解しようと思います。

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