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ボランティアの意味
ときどきボランティアをすることがあるのですが、 結局自己満足のためにやっているのかなと思うときがあります。 でも一方で、本当に「誰かのために」と思ってボランティアをすると、 それはそれで相手を見下しているのかなと 不安になるときもあります。 抽象的な質問で申し訳ないのですが ボランティアをするときはどんな気持ちでいればいいのでしょうか。
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- ota58
- ベストアンサー率27% (219/796)
清掃業を職としている人も「誰かのために」やっているのです。 そのことで、「誰か」が他の人のために専念できる人がいるから。 目的は各々生活のためでも、それが社会を助け合っているのです。 この人を殺してくれれば、何千人の人が助かると頼まれ、それを実行するのも同じボランティアです。 結局は自分のしたいことを選んでいるのです。 自分のしたいことをするのに、無償であることは当然です。 目的が健康のため、暇つぶし、何でも同じです。 人を助けるため、と奥底にも考えること自体が畏れ多いことです。
- tarku
- ベストアンサー率71% (15/21)
(身障者用の)高校生だった頃、一度だけボランティアをさせていただきました。 『普通高校の人達に、街の中を車椅子を押してもらいながら友好を深めましょう!!』 というものでした。 私は、普段から自走で早く走るのが好き(スピード狂とも言いますが…)だったので、 押してもらうなんてのはとても嫌だったのですが、企画が企画だし、『これもボランティアだよ。』と 同行していた高校の先生に言われ、仕方なく押してもらいながら街を歩きました。 (まぁ相手が男の子だったので友好どころでは無かった気がします。笑) 質問者様がどんなボランティアをされているかは判りませんが、 『ボランティアをする・される』はお互い様なのではないでしょうか? また、その場でのお互いの気の使い方が一番重要なのだと思います。 受ける側としては、気を張らずに普段通りに接してくれる方が気は楽ですし、お互い気持ちよく過ごせると思います。
ご質問とちょっとずれてしまうかもしれませんが、感じたことを一言いわせていただきたいです。 他の人の回答はまだ読んでませんが。。 家には障がいを持つ家族がいるのですが、たまにボランティアと名乗る人が突然訪ねてきたりということがあります。 でもそこでいつも思うことがあるのですが、ボランティアで善意とかでされていてとても素晴らしいと思うのですが、 必要としていない所に突然現れて、お気持などはありがたいですが今は必要ないからお断りしたい と こちらが言うと、「善意の手を差し伸べてやってるのに断るのか」と怒る人がたまにいらっしゃいます。 確かにお気持ちは嬉しいですが、必要がなかったのでお断りするのは間違ってるのでしょうか? このことを言われた時は、はっきりいって良い気分じゃなかったし、ボランティアで自分から善意の手をとかいう言葉がでてくるのも 私には信じられないというか、それってホントに善意?って疑問に思いました。 お断りしたことに怒るっていうのは完全に自己満足でボランティアやってるのかなって思います。 だって、される側の気持ち全部無視してますからね。 それこそ、ボランティア精神ってなんなんだろう?って質問者さんと同じことを思ってしまいます。 善意って押しつけるものじゃないと思います。 される側からの一言です。ボランティアなさる方は素晴らしいと思いますが、される側の気持ちも少しでいいから考えてほしいと思いました。 ボランティアの種類により違うと思いますけどね。 やってるうちに、感謝されて当たり前と思うようになったら、それはボランティアではなくただの自己満足だと思います。
- riderfaiz
- ベストアンサー率31% (1072/3360)
現代のボランティアの意味は志願よりも奉仕のほうが強くなっていると 思います。ただ聖人になれということではなく、ボランティアをやっている 人の中には意外にもやましい人もたくさんいます。 私はボランティアが普通の職業と一番違うのは普通の「仕事」はお金を 稼ぐことが強い動機になっているのに対し、ボランティアはお金以外の 何かを得ることを自分の利益と考えられる人がやればいいと思います。 その「何か」は人によって異なり、一番多いのが「自己満足」なんだろうと 思います。自分の持っている特技とか趣味を人のために生かしたいが、 職業としてはやっていけないからボランティアでやっているというのは 有りだと思うし、特定の国に住みたいという動機から海外ボランティアを やっている人なんて結構多いんですよ。
- nontan0001
- ベストアンサー率33% (2/6)
No.1の方の回答にあるように、ボランティアは徴兵の反対語である志願兵です。 ですから、そこから派生して自発的にする行為を、ボランティアということになります。 例えば、電車でお年寄りに席を譲るのもボランティアとうことになります。 そういう意味では、行為をする側の気持ちの問題であり、他人に指図されてする行為はボランティアにはなりません。もし、その行為に相手が満足しない場合、例えば席を譲ってもらうことを望まないのであれば、断ると思います。何事も自然にできるようになれば、いいのではないでしょうか?
- nanchara18
- ベストアンサー率57% (8/14)
わたしはJRC部に所属している高校2年です。 JRC部とは、簡単にいうとボランティア部です。 部長として、その質問にお答えいたします。 行列でしまだしんすけさんが カンボジアに学校を建てるという企画をしたときに言っていました。 「結局は同情と一緒。 でも、しないよりはしたほうがいい。」 そうだと思います。 しないよりは、したほうがいいのです。 たとえ自己満足でも、たとえ同情でも、 しないよりはしたほうがいいのです。 悩む前に行動していただければ幸いです。
- blackhill
- ベストアンサー率35% (585/1658)
自己満足というと、どうしても否定的、消極的な意味合いがあります。そうではなく、自己実現だと考えてはいかがですか。自己実現については、たとえばマズローの5段階理論などをgoogleで検索してみてください。
- rimurokku
- ベストアンサー率36% (2407/6660)
所詮自己満足です。 自分が一方的にやりたいからやるのであって、相手の為にやっているとの思いがあるのは、ともすれば思い上がりに成ってしまいます。 自分の自己満足で行なっていることが、その自己満足によって誰かが少しでも喜んでくれれば良しとしましょう。 誰かのためにと思って行なうのはトラブルの元になりかねません。 何かの行き違いで、相手が喜んでくれなかったり苦言を聞いたときに、とても不愉快になってしまいます。
- FEX2053
- ベストアンサー率37% (7991/21371)
「ボランティア」とは、元々「徴兵」に対する「志願兵」と言う 意味でして、「条件等に従って労力を提供する」以上の意味を 持ちません。ですので、参加条件に適合した労力を提供できれば その人の思想信条は全く言及されないのです。 要は「ボランティア対象になる状況」に対して、一定の満足を 与えられればそれでいいわけで、ボランティアより優先するものが あっても、自己満足でも全く問題は無いのです(現場ではむしろ 参加条件をはっきり出してくれた方がやりやすいそうです)。 結局、「あなたが思ったままでいいですよ」が答えになると思います。