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池田小学校事件の国の賠償について
国が責任を認めたとのことですが、正直驚きました。責任があるという事は、防止措置が可能であったということです。 あの犯人のような人間、弱い子供を無差別に殺戮することに対する強い意志を持った人間、180cmを超える自衛隊出身の屈強な男をどうやって止めることができたというのでしょう。 文部省は今後学校に刑務所の塀並みの侵入防止措置を取るのでしょうか。それとも武器を持ったガードマンを配置するのでしょうか。 放課後、公園で遊ぶ子供や、登下校途中の子供に対してはどうするのでしょうか。 絶対に防げません。 あの事件が起きた時に、流行の「危機管理不足」という範疇でマスコミが取り上げました。 それは正しい認識でしょうか。 マスコミはあの時、命がけで、凶行を止めた教師、刺され生死をさまよった教師を取り上げたでしょうか。 事件の調査結果や血液のDNA鑑定でも、教師が血を流し、闘った事があきらかになっているにも関わらず、無視されつづけています。 文部省は3流官庁の証明をしたようなものです。 その場しのぎの賠償になんの意味があるのでしょうか。 無残に殺された子供、それを見た子供、その親たちの事を本当に考え、その時何が出来たか、今から何ができるかを本当に考えた結果が賠償とは全く理解できません。 この質問をすべきかどうか非常に迷いましたが、どうしても納得が行きませんので、皆さんの意見をお願いします。 亡くなられた方たちと関係者に対して心から、お悔やみ申し上げます。
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本来は、加害者が賠償するべきで、役所が税金を使って支払うのも変ですね。 ただ、原則として行政には、「無過失賠償責任」があります。 今回も、この原則にしたがった判決となっています。 もともとは、被害者の救済を目的としていますが、加害者の責任をあいまいにしてしまいますね。
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- E-DC2
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こんばんは。 私もニュースを見て驚いた一人です。 結果的に何らかの見舞金が出されることにはやぶさかではありませんが、犯人(になった者)が決行を決めた時点で防ぐことは事実上不可能であったろうし、現在でも不可能ですから、事件防止策に不備があったとは認めにくいです。 「そう頻繁に起こりえる事件でない」ので特別と判断したのか、何らかの政治力が介入したのか、あるいは一般人に知らされない何らかの瑕疵が学校側にあったのか・・・ 「その場しのぎの賠償」にも見舞金としての意味があるにせよ、疑問を擁かざるを得ません。 では。
お礼
ご意見ありがとうございます。 被害者の救済はもちろん重要だと思います。 今回の賠償が被害者救済のためになるのでこの質問を出しにくかったんです。 ありがとうございました。
- kerokero30
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私もニュースを見ていてちょっとビックリしました。 事件の発生を防げる可能性が学校にあったという認め方だったからです。 たとえどんな措置をとっていても今回のような人物が出現したら防ぐ事は難しいと思います。 この事件を教訓に、学校の防犯を考える事は大切ですが 今回の責任の認め方では完璧な防犯対策が必要とされ、結果を求められます。 もちろんそれが出来れば良いと思いますが私は不可能ではないかと・・・ この手の犯罪を防ぐ事は難しいということを正直に公言し その上で被害者の方々に見舞金という形で慰謝料を支払っても良かったような気がします。 でも、被害者や世間の感情を逆撫ですると大変、と考えたんでしょうね。
お礼
ご意見ありがとうございます。 全く同じ考えの方が居られて安心しました。 ありがとうございます。
- myeyesonly
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こんにちは。 >文部省は3流官庁の証明をしたようなものです。 おっしゃる通りだと思います。 日本の行政は「責任を認める」=「その時だけ金を払う」事だと考えてるふしがあります。 本件だけじゃなく、薬害エイズを始めとする過去の薬害訴訟、公害訴訟、事件、みな同じです。 そういう意味では行政の全てが3流なのでしょう。 ついでに言うならマスコミも3流ですね。 自分の視点という物をもってないように思います。 私はこの種の事件は繰り返すと思います。 今、日本は超高度のストレス社会であり、景気も非常に悪く回復の見通しさえありません。 おかしな人は連日どこかで見ることができます。
お礼
ご意見ありがとうございます。
- nes_
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少しご質問の主旨とずれるかもしれませんが私の考えを述べさせてください。 私は、校舎の全面的建替え、仮校舎の建設、過剰なまでの警備の強化等々は、本質を欠いたナンセンスな"配慮"だと思います。 こういう修羅場のときこそ、子供に闘わせなければなりません。仲間が殺された校舎で、みなで手を取り合って、卒業させるべきなのです。これが本当に「闘う」ことであり、「勝利」することです。子供が成長するとても貴重な機会です。ここで子供を「現実逃避」させては、いざというときに、大切な人を助けることができない、偽善的で卑小な人間になってしまわないかと心配されます。校長先生は、「悲しいが、みんなで闘いましょう。もう一度、この学校をみんなで明るい学校にしてしていきましょう」と子供たちに演説するべきでした。 今回、"強制隔離"された子供の「権利」は踏みにじられました。子供に選択の余地があたえられませんでした。学校側と国は、逃げさせることで、子供が忘れてくれるだろう、時間が子供の傷を癒してくれるだろうと勘違いしているようです。忘れられるわけがないのですから、このままでは時間は子供たちの何をも癒してはくれないでしょう。まだ、あの悲しい場面から遠ざかっただけです。闘ってもいないんですから、「敗北」の気持ちのまま、一生悲しい思い出を引きずるでしょう。 それと、校舎の警備強化についてもう一点。あの事件がなぜ起きたかと言えば、少なくとも警備が甘かったからではないんですね。そもそも学校の敷地は、地域住民の誰もが気軽に入れる、オープンなスペースなはずです。地域住民に見守られながら学校は支えられていくもののはずです。今回の場合、むしろ学校をもっとオープンにするべきです。もちろん、開け放すという意味ではありません。ある程度は不審者侵入を防ぐ対策も必要でしょう。しかし、間違っても学校を「閉鎖的」にすることが、ただしい対策ではないと考えます。これは本質を欠いたナンセンスな議論です。
お礼
ご意見ありがとうございます。 警備強化に対しては、私も必要が無いと考えています。これから、あんな事件が再び起こるとは考えていません。もし起こる事を想定すれば、なまじの強化では意味がありません。無駄です。そのことが、あの事件の教訓を生かさないとか、亡くなった方や遺族・関係者に対して申し訳ないということには全くならないはずです。 校舎の建て替えについては、あの凄惨さを考えればするべきかと思います。 残された子供への教育や、学校の開放化についてはこのスレ外として意見を伺いました。 回答ありがとうございました。
- xyz4492
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この問題が原因なのか分かりませんけど私の市では、最近ホワイトイーグルと言う警備がいます。保育園・小中学校を常にパトロールして子供たちの安全に目を向けてるみたいです。しかしあの犯人のような人間、弱い子供を無差別に殺戮することに対する強い意志を持った人間、180cmを超える自衛隊出身の屈強な男をとめれるかは、少し不安です。でもいないよりかは、ましなので・・・この事件で国は、どうだか分かりませんけど私の住む市では、少しずつですが変わってきてます。亡くなられた方たちと関係者に対して心から、お悔やみ申し上げます。
お礼
早速の意見ありがとうございます。 地域でのパトロール、地域全体で子供を守ろうという活動に対して心から敬意を払います。 その活動が、自分の子供だけでなく、地域や社会に対する責任感を育て、地域全体での広い意味の防衛に繋がる事を期待します。 あの事件の時も、近所から、何人か駆けつけられたようです。その時はもうすでに遅かったようですが。
お礼
回答ありがとうございます。 被害者の救済のための無過失賠償責任ですか。私は過失による賠償と理解していました。勉強不足です。 今ネットで少し調べました。 公害問題なんかで、過失が証明できない場合や、水質事故などは確かに賠償する必要が社会的にありますね。国賠法もそうなんですね。 もう少し勉強したいと思います。 適切な回答ありがとうございます。