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最近のいじめ自殺事件についての疑問。
どうもマスコミが騒ぎ立てているようですが、 私は元担任にそんなに責任があったとは思えない。 確かに遠因になったのかもしれないが、なってないかもしれない。 いじめられていたのは全く違う理由だったかもしれない。 だいたいいじめていた原因は生徒ではないのだろうか…? うちのクラスでもいじめられている子がいたが、 振り返るとその子自身に問題があったとしか思えない。 両親が子供のいじめに全く気づいてなかったのもおかしい。 放任してるのにいざって時に教師を責める両親は何か違う気がする。 マスコミは問題を取り違えている気がする。違いますか?
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少し話しが本題とずれるかもしれませんが。。。 鬱病になる人って増えているらしいです。 昔からあったのだろうけど、「心の病気」がより身近に取り上げられるようになったのだと思います。 鬱病の原因の大半が「人間関係のストレス」だそうです。 ここの掲示板を見ても、会社での人間関係に悩んでいる人沢山見かけます。 ネットでの「他人とのかかわり方」も現代社会の問題を浮き彫りにしているように思います。このサイトは規制が厳しいけど、某サイトの他人への誹謗中傷や暴言は、もう言葉の暴力以外の何物でもないって思います。「子供への悪影響」ということでサイト撲滅運動しているという方への非難も読んだことがあります。「言論の自由だ」「面白いんだからいいじゃないか」と。 何だか背筋が寒くなる気がします。子供のいじめのことを考える前に、大人が「他人への思いやり」「いたわり」を考え直した方がいいように思います。 自殺する子が出て、マスコミや世間は、一斉に教師や親を非難するけど、それもまた二次のいじめにもつながりかねません。ノイローゼ、鬱病になる教師も増えているそうです。 「教師には責任がない」とは言いません。 でもまずは、大人一人一人が、ネットの世界も含めて、「人との係わりかた」に対して真剣に考え直した方がいいように思います。 理想論かもしれませんけど。。。
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「元担任にそんなに責任があったとは思えない」とおっしゃっていますが、元担任もこの子が死んでしまうまで些細なからかいだと思っていたわけでしょう。 それに加担したほかの生徒もちょっとしたことだと思っていたのでしょう。(質問者さんも同じように思っていらっしゃるのでしょう。) でも、それが一つの力にまとまって誰かに向かう時にどれだけ大きな力となるか、どれほど苦しめるかがわかっていなかったのです。 いじめとはそういうもので、いじめる側といじめられる側ではまるで重さが違うのです。 こうした事件が報道されることでそれに気が付くことができる場合もあるのではないでしょうか。 >うちのクラスでもいじめられている子がいたが、 振り返るとその子自身に問題があったとしか思えない。 もしそうだとしても、卑劣なやり方をとらずに解決すべきだったと思います。 >両親が子供のいじめに全く気づいてなかったのもおかしい。 放任してるのにいざって時に教師を責める両親は何か違う気がする。 私の子供もあることが原因で学校でからかわれたことがありましたが、まったく親の前ではおくびにも出しませんでした。まったく感知できない場合もあるでしょう。 自殺された子のご両親が学校を責める様子をテレビで見ましたが、親の立場ならば当然です。
- t78abyrf9c
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>いじめられている子もなすがままではいけないと思います。 嫌ならその状況を打破する手を打つ必要があるように思うんです。 誰かに相談するとか、自分自身を変えるとか、環境を変えるとか。 厳しいことを言っているのはじゅうぶん承知ですが、 自分を守る力を身につけていく努力も必要ではないでしょうか? ↑が出来なかった結果が、自殺に繋がったのではないでしょうか? 辛うじて↑が出来た子が生き残っていると言えそうですが、↑が出来る子と出来ない子の明確な差は何でしょうか? このような問題で常々感じるのですが、どうして集団に温存する問題は棚上げされて、「個人」に問題が集約されなければならないのでしょうか? 自殺に繋がってしまういじめのケースは、いじめる側といじめられる側が一対一であるケースが非常に稀であり、往々にして集団(いじめる側)対個人(いじめられる側)になります。 個人の力、しかも子供の力は限界が知れてます。 それに比べて、子供と言えども集団の力は非常に大きいです。 このようなアンフェアな状況でも立ち向かわなければならない明確な理由があるのでしょうか? そうしなければいけない明確な理由があるのなら、納得がいく説明が欲しいです。 私は、学校におけるいじめの本質が↓に集約されていると感じてます。 http://www.kt.rim.or.jp/~igeta/gr00/mk/03.html#3-3a つまり、↑で書かれている「みんな主義」です。 ”本人の意思とは関係なく”「みんな主義」から外れてしまった者は、否応無くいじめの対象となります。 これは、大人の世界でも同様だと思ってます。 http://nokai.jp/k-column/reader/wao_rea_02_01.html 日本は、自殺自体が多いとも言われてますが、自殺について養老孟司氏が興味深い指摘をしてますので、その部分を引用します。 >戦前から、自殺する方の三大理由の一つが病苦です。 しかしちょっとでも医者がそれを手伝いますと、大変な騒ぎになります。 いっさい手伝わないということが、どうして生命尊重でありヒューマニズムになるのか。 どうして日本では、死ぬのは勝手だが、それを絶対手助けしてはいけないのか。 その気持ちはわかるような気がします。 みんな辛抱してこの世間に暮らしている、一生懸命こういう社会を支えてきているのに、それが嫌だと言って出ていくようなわがままな奴は勝手にしろ、と言ってるんじゃないかという気がします。 http://www.seitosi.org/library/shoroku/index.php?id=6 養老氏が指摘する「みんな辛抱してこの世間に暮らしている」と「みんな主義」。 これが、自殺に繋がってしまういじめの本質だと思えてならないのです。 私にとっては、マスコミの捕らえ方なんてどうでも良いのです。 一見、被害者を擁護していると思えるマスコミも、所詮「世間」の感心に合わせて報道しているに過ぎないと思ってます。 http://www.kt.rim.or.jp/~igeta/gr00/mk/03.html#3-3b 自殺してしまった人、それをいじめた人、それを報道する人、その報道を見聞きする人全てが、『「世間」という「みんな主義」の呪縛』に縛られている、というのが私の考えです。 口では「社会」や「個人」を教えていながら、実際には「個人」を持たせない「世間」の振る舞いを要求する。 この乖離が、学校の現実なのです。 マスコミ云々や個々の責任よりも、↑が生み出す問題に目を向ける事が非常に重要だと思ってます。
教員の責任は重大です。なぜなら、教員には校内でいじめがおきたとき、それを止める責務があるからです。教師が原因を作ったか作っていないか、そんなことはこの際どうでもいいこと。 いじめがあることを知っていたなら止めなかったことが問題だし、知らなかったなら、生徒を充分に監視していなかったということが問題になります。 両親にも問題がありますが、僕は学校の担任を殴ってでも反省させるべきだと思います。生徒の人生がかかっているのだし、給料をもらっているのだから、その分くらい仕事してくれと言いたくなります。 教員というのはそんなに簡単な仕事ではありません。ちょっとしたミスが生徒の人生を狂わせる結果になるのです。今、教員の仕事をしている人、これから教員を目指す人にはそれを肝に銘じてもらいたいです。 それと、いじめられる子に問題があるという考え方は間違っています。確かにいじめられる原因はあるかもしれません。たとえば体が小さいとか気が弱いとか。しかし、それはその人の個性なのですから、否定されるべきではありません。 気が弱いことは悪いことではないのですから。 いじめられるほうにも問題があるというのは人をいじめる人間が使う言い訳です。
- akito_reen
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マスコミの騒ぎすぎは、 あえて私は良しと思っています。 今までいじめ問題に視点をあまり向けられていなかった分、 そういう子供の社会の現実をとりあげてくれるのは どんな形であれ、いいことだと思います。 飲酒運転もいじめ問題も、私の中では同じ位置づけにあります。 いじめをしていた担任教師を責める、罵倒する親の気持ち。 これは、私は当然かと思います。 普通に考えて、「いじめをしていた人」と、「いじめに気づけなかった人」と どちらがいけないでしょうか? いじめを受けた被害者やその家族は、 いじめをしていた加害者を責める権利は当然あると思います。 ましてや、愛する子供に先立たれた親です。 当然、「なぜ気づいてやれなかったのか」と悔やむでしょう。 その自責の念だけでなく、気づけなかった罪を まったく関係ない第三者に指摘されるほど、辛いことはありません。 そして、私はマスコミの報道を100%信用することはありません。 放送の仕方によって、切られてしまうシーンだってたくさんありますし。 罵倒している部分だけ流しているのかもしれませんよ。 もしかしたら、その後に 「そんな酷い目にあっていたのになんでいじめに気がついてあげれなかったのだろう」と悔やんでいるのかもしれません。 被害者にたとえ問題があったとしても、 もう亡くなってしまった人を責めるのは、些か大人気ないかと思います。 若い身そらで自ら命を絶たれた少年に、そのご遺族にお悔やみ申し上げるのが筋かと。 いじめられるほうに問題があった、としても 自殺するほどの苦しみ、悲しみを背負っていたのですから。
- furinn
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色々な批判、観点があると思いますが。 最終的に死んでしまった人に同情がいくのが世の中なんだと思います。 死んでしまった人を責めたりしたらその人が浮かばれませんからね。 命を掛けたんですから。 気の毒なのは事件に関わった加害者、被害者、その親族だと言う事は私なんかはテレビを見て感じてます。 100パーセント悪いのは加害者ではない、100パーセント被害者は被害者ではないと思って報道を聞いてます。 この担任は命はあるけれど今後行き地獄を味わう事でしょう。 そして被害者の親族は自分の子供がこんな形で失った事に心の傷を背負いながら生きて行く事でしょう。 何ともやるせない事件です。 人間が差別と言う偏見を持ってる限りこういう事は繰り返すと思います。 ですから自分が傷つけられたくないなら人を傷つけないそういう意識で生きていかないと駄目だと思います。 それと最後に >振り返るとその子自身に問題があったとしか思えない。 だからと言っていじめをしていいとは思えません。
- hitoshi999
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たしかに 「1年のときの担任」というのを突っつきすぎる感があります。呼び方をかえたような報道がありましたが、どの程度先生がやっていたのかわかりません。 親が気づかないのはありえます。「やさしい子だった」というように 我慢してなにも語らなかったのかもしれません。 ただ、先生を罵倒するまで責任がないわけではないとおもいます。 取り違えているというより矛先が先生にしか向いていないのは 「一方からの視点」というのが広まってしまうマスコミの悪い点です。
親を責めるひとがいる。 同じような非難のことばで、両親を責める電話が、ひっきりなしに掛かっているのかもしれないと思うと、やりきれない。 子に自殺されて、自分たちも死んだも同然の親の足をなお引っぱろうとする。 ため息がでます。
- 2018
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おはようございます。 マスコミは確かに騒ぎすぎですが、ここで、なにもかも、教師の実体(パワーハラスメントや、足の引っ張り合い、教師同士のいじめ)なども一気に報道してしまって欲しいものですね。 元担任に責任はありますよ。 一緒に「いじめをしていた」と言ってますから。 教師は「いじめ」があればそれを解消しないといけないんですが、それを生徒達と一緒になって、いじめられる側の気持ちを推し量ることもせず、からかっていたんですから。 それも、一種「パワーハラスメント」です。 絶対的な力を持っているものが、そうでないものをいじめる、精神的に追い込む。 これはいけないことですよね。 いじめられている子にも原因があるとはいいますが、いじめる子はなんでその子をいじめる「権利」があるんでしょうか。 ただ「気に入らない」ってだけで、相手が嫌がることをする。 いじめられる子に問題があるならば、一緒に解決とまではしろとはいわないけど、「いやがらせ」をする必要はないですよね。 危害を加えられたなら、きちんとその旨言えばいいんだし。 普通に人間と人間の付き合いをしていないということが、おかしいんですよ。ケンカではないんです、一方的に嫌がらせをすることは、おかしいですよね。 ご両親が気がつかなかったというのは、確かにそうかもしれません。 ただ、いじめられていることを一生懸命隠そうとしているときが多いし、最初に中学1年のときに、相談に行った先生が、それをクラスの生徒にばらしていますよね。 それでは、もう、先生も信頼できない。 「放任」とは言い切れないです。いじめられていた子が「大丈夫だよ」と言っていたら? それ以上、親としては子供を信頼するのがいいのか、教育委員会まで持っていっていいのか。 何をしても子供への「いじめ」という形でしか、返ってこないもどかしさ、わかりませんかね。 マスコミは「表面だけ」、「受けそうな部分」を大げさに報道します、それが間違っているかどうかは、受ける側が判断して、選ぶことです。 全て信じるということは、ナンセンスでしょう。 質問者さんは、いじめられたことがない「ごくまれな」幸せなひとでしょうね。 物事は表面だけではまったくわからないですよ。いつかわかる日が来るかも、ですよ。 「対岸の火事」じゃなくなるかもしれないんですから。気をつけて。
- hitouzuki010325
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マスコミは問題を取り違えている気がする。違いますか?> 取り違えてるとかって言うより1を10あったかのように 騒ぎ立てるのがイマドキのマスコミでは? 今報道されてることを全て信用してる人なんているんでしょうか。 それはさておき昔イジメられてた人間として 申し上げます。 うちのクラスでもいじめられている子がいたが、 振り返るとその子自身に問題があったとしか思えない。> だからと言ってイジメが許されるのですか?? その子に非があるからイジメられても仕方ないなんて そんな考え方があることにひどく衝撃を受けました。 両親が子供のいじめに全く気づいてなかったのもおかしい。 放任してるのにいざって時に教師を責める両親は何か違う気がする。> 私もイジメられてる時は親にバレないよう必死で 取り繕いました。イジメられてる時って今思えばなぜか なんでもないフリを必死でしてました。 私は靴を隠されたり、捨てられたりして最初は親に聞かれても トボけてましたがそれが続き結局隠しきれなくなり 発覚しました。 親が放任??イジメられてる子の多くはそんなこと 思ってないと思います。 私も死ぬこと考えました。 どうやったら楽に死ねるかいつも考えてました。 でも親にバレてから気持ちが楽になったのかな・・・ でも、今でも自分が受けたイジメは忘れてません。 イジメてた子達は恐らく忘れてるでしょう。 今の日本の現状ではイジメがなくなるとは思えないですね。
- kira-ra
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報道に関する疑問、という点ならば、殆どの人が判っているのだが、万人の興味をそそる=視聴率向上という観点でしか報道がなされていない点についてでしょうね。 例えばこのイジメ事件の少し前は、小学校での校内暴力・自動の暴徒化(?)のような報道があり、カッターナイフをちらつかせて脅す児童、教育委員会に言うぞ!的脅迫、注意・指導しようとしても体罰に対するPTAの過剰反応など・・それらが原因でうつ病を発症する先生などこのときは殆どの人が 「学校の先生も大変ね~・・・」(場合によっては命がけ!) と、思ったでしょう。 でも翌日、例えば「小学校教師が女子児童の着替えを盗撮!」とかの報道があれば手のひらを返すように「学校の先生ってこんなのばかり!?」と誤解してしまいがち。 大切なのは、報道の表面だけでなく社会の真実を見極める目を万人が養うしかないように思います。 イジメ問題もそのケースによって千差万別なので当事者(いじめた方・いじめられた方・先生など)の人となりや最初からの状況を直接見たわけでもない、知らない他人が想像だけで、誰々に問題があったに違いない・・みたいな受け取り方は危険だと思います。
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お礼
とてもいいご意見ありがとうございます。 >>子供のいじめのことを考える前に、大人が「他人への思いやり」 >>「いたわり」を考え直した方がいいように思います。 その通りだと思います。顔が見えないからといって、 中傷してもいいことにはならないですからね。 もう少しその辺のマナーを大人がまず学んでいく 必要性があるのかもしれませんね。 ブログの中傷に睡眠薬を飲んだ高校生の事件も、 顔が見えないからこそできてしまう怖さを感じました。 >>ノイローゼ、鬱病になる教師も増えているそうです。 私もテレビを見てすごくそれが不安に思えました。 テレビでは中傷の言葉ばかり広がっているようなので、 元担任の自殺につながらないといいけれど、と…。