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普天間基地に関する素朴な質問
難しい質問をするつもりはありませんが、普天間基地の周辺には住宅街ら密集していて危険とのことですが ○ 住宅等の密集地に基地がつくられたのですか? ○ 基地が造られた後に、住宅が密集してきたのですか? どちらが本当なのか、難しいことは別として、素朴に知りたいので是非教えて下さい。
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○ 基地が造られた後に、住宅が密集してきたのですか? こちらが正解! 簡単に言えば、普天間基地周辺に住んでいる人はほとんどが基地に依存している方です。基地が無くなったら生きてはいけません。沖縄県民の40%が基地に依存してますから基地が無くなったら生きてはいけませんけどねw
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- argue
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普天間飛行場周辺の自治体が宜野湾市になったのは1962年になってから。 周辺自治体の人口は戦前と比べても出生などによる自然増加のペースを超えて増え続けているので、質問の答えとしては ○ 基地が造られた後に、住宅が密集してきた のほうが正しいです。 捕虜収容所や疎開などから戻ってきた住民はいたでしょうけど、基地やその周辺の土地にどれだけの住宅があったかは資料が見当たらないのでちょっとわからないですね。 ただし、戦前の宜野湾村はサトウキビなどの農業を主な産業として行っていたので「住宅の無い広い土地」というのはそれなりにあったんじゃないかと思います。
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- mk57pvls
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こんにちは > 住宅等の密集地に基地がつくられたのですか? いや、密集地ではないですね。こんな(↓)感じ http://www.city.ginowan.okinawa.jp/2556/2581/2655/1735.html 全くの無人の地とまでは言えませんが、居住者はほとんど居なかったようです。 で、そこに1945年 太平洋戦争当時の米軍が、(沖縄)上陸作戦の時に"突貫工事" でこしらえたみたいです。工事の最中?(↓) http://tom1944.nirai.jp/wp-content/uploads/2009/02/syusenntyokugonofutennma.jpg > 基地が造られた後に、住宅が密集してきたのですか? まぁ結果としてそうなりましたね。 戦争が終わって、元の住民が帰ってきた。でも既に「基地が出来ていた」って ことみたいですね。なので(他に行くところも無く)仕方なく基地の周りに住み はじめたようです。それと(普天間基地のある)宜野湾市は、明治の頃から沖縄 の中心都市のひとつでしたから、もともと住んでる人自体は多かったようです。 で、50年代は朝鮮戦争で、60年代から70年代初頭にかけてはベトナム戦争で、 いわゆる「米軍特需」が生まれましたので、その頃急速に基地周辺の人口が増えた ようです。金(仕事)のあるところに 人は集まりますからね。
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- Ganymede
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ずさんな「正解」とやらが早速ご登場してますが……。 それよりも、田中宇(たなか さかい)の解説が役に立ちそうです。田中は元共同通信記者、現在はインターネットにおける国際ニュース解説で知られています。まあ私は勉強中で、この回答は丸写しですけど。 日本の官僚支配と沖縄米軍 http://www.tanakanews.com/091115okinawa.htm (引用開始) 普天間飛行場は、1945年4月に沖縄本島に上陸した米軍が、日本本土決戦に備え、戦火で焼け野原になった宜野湾市中心部の台地に急いで滑走路を作ったのが発祥だ。日本の降伏後、普天間は戦後5年間、使われない米軍基地として放置され、1950年の朝鮮戦争とともに再び米軍が使い始めた。この5年間に、もともと基地内の土地に住んでいた市民が、戦火を逃れた避難先や収容所から戻ってきたが、自宅の土地は米軍に強制的に借り上げられていたので、代わりに基地の周辺に密集して住むようになった。(普天間飛行場の概要) 普天間の北方には、米空軍の嘉手納基地がある。こちらは米軍が沖縄上陸時から、ずっと途切れなく飛行場として使い続けたため、避難していた地元住民が戻ってきたとき、飛行場の後背地を弾薬庫用地などとして広大に強制借り上げしてクリアゾーンを作った。しかも、嘉手納は滑走路の前面が海である。だが普天間は、米軍が基地として使わず放置していた間に地域住民が戻って家を建てたため、クリアゾーンがほとんどないままとなった。嘉手納と異なり、普天間の滑走路は海と平行している。米軍も、普天間は非常に危険な飛行場だと間接的に認めている。 (引用終り)
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- lions-123
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>普天間基地に関する素朴な質問 ○ 住宅等の密集地に基地がつくられたのですか? ○ 基地が造られた後に、住宅が密集してきたのですか? ↓ 第2次世界大戦において、我が国の戦前からの領土で唯一地上戦が行われ、占領掃討された状態で敗戦を迎えました。 その当時から、作戦上の必要性と不安定な朝鮮半島(朝鮮戦争)や台湾問題(国共内戦と台湾への退避・金門島含めての対立)も発生し、占領地が重要な警戒・威嚇拠点化した。 さらに、戦後初めての稀有な戦争によらない領土の返還が日米安保体制と冷戦下の日本の活用の観点から、沖縄・小笠原の返還に繋がった。 しかし、地理的な要件、既存の駐留軍事力の必要性から米軍の占領基地は大半が残存する事になる。 そして、日本政府の本土並み返還後、積極的な振興策により、沖縄は元々、島であり、狭い土地に山林と米軍基地が多くを占めている為、経済回復・観光産業の発展・基地関係の商業と雇用から、基地周辺に米軍関連の従事者や商店の人の住宅や関連の公共施設が造られた。 それが、山林と海浜と接収された米軍施設以外の限られた平野部に密集する事になり、やがて住宅・学校・商店・公共施設等の集合体として、市街化が発展し、基地周辺に迫り、基地と民間施設・住民の共生が強まり、現在に至っている。 従って、大まかに言えば、質問の意図に対する解は→ 戦後の推移では、基地が造られた後に住宅が密集してきた。
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- rikukoro2
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正解 ・基地が造られた後に、住宅が密集してきた 元々は戦前、飛行場が建設される前のこの地域にはいくつかの泉が存在し、それらを水源に畑作が営まれる丘陵地でした。 そして基地が作られました
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