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“怒りを隠しきれない”という表現について
この表現はおかしいと思うのは私だけでしょうか?例えば、テレビの取材を受けた犯罪被害者の方に対してアナウンサーが「怒りを隠しきれません」と言っているのをよく耳にするのですが、隠しきるというより、むしろ、自分の怒りを周りに知ってほしいのでは。あと、驚きを隠しきれないという表現もどうかなと・・・素直に驚いたところを周りに見せたいという方もいらっしゃるのではないかと・・・
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- zacky_t
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怒りや驚きは個人的な感情です。 人によってその受け取り度合いの程度は変わります。 その感情を抑えて冷静に状況を説明しなければ 「あの人、大げさなんじゃない?」という疑りの目を向けられるし、 冷静に話をしながらも話し方に感情が垣間見えれば 「これだけちゃんと話せる人なのにもかかわらず、 感情が表に出てしまうなんて余程のことだな」 という多くの理解を得られると思います。 もし被害者が怒りの任せて公衆の面前で 「加害者出てこいよ! ここで土下座して謝れ!!」 みたいな言動をしてしまうと、 被害者であるにもかかわらず周囲に粗暴な印象を与えてしまい、 「被害者も何か感情的になって相手を煽ったんじゃないの?」 と言われかねません。 周囲の人に対して的確に伝えるには余分な感情はマイナス効果なので、 アナウンサーはその辺りの状況を鑑みて 「(冷静に話せる人だけど)感情を隠しきれません」と 説明していると思います。
「ポーカーフェイスが必要で、怒り(驚き)を隠さなくてはならない状況にあったとしても、この感情は隠せない程に大きい」 といった感じで 怒りや驚き等の感情がより大きいものであると表す時に使うと思うので、別に不自然には感じません。 自分の感情の大きさや衝撃を皆に知らしめたい時に、より効果的になるように使います。 本気で「隠そうとしているのに隠せない」と云う意味の言葉ではないと思います。
お礼
ありがとうございました。それはありますね。私も強調するためだと思うのですが、アナウンサー達は何でもかんでも、その表現を使っている気がしてならないのです。そもそも、テレビに出演している時点で、自分の感情を表立たせているわけで、隠すとは無縁だと思うのです。出演の意図は、感情を露にして、どれだけ自分が怒っているのかを社会に対して、訴えかけているのではないかと思うのです。例えば、派遣切りにあった労働者が最高裁判決で企業側に負けて、最高裁の前であらん限りの大声で怒鳴っていましたが、それは社会に対して、どれだけ怒っているのかを訴えかけているのではないかと思うのです。
あはは。たしかにそうですね。好意的に解釈すると,日本人は感情をおもてに出さないのが美徳とされるようなところがありますから,当然に激怒すべきところでも「隠しきれない」と表現されるのでしょうか。 「怒りを隠しきれない」は,たとえば,政治家がテレビ記者の辛辣なインタビューを受け,おもわず怒りの言動を出してしまった(じつはそれがインタビューの鉄則だがいまの腑抜け記者にはできない),という場面なら使えるかもしれません。
お礼
ありがとうございました。思わず、怒りが出てしまった場合には何の違和感もないのですが・・・仰る通り、美徳とされているので、そういう表現が生まれたのかもしれませんね。
お礼
ありがとうございました。確かに、個人的な感情で、本来なら冷静に話せる人なんですが・・ということなんでしょうね。ただ、この表現はアナウンサーが被害者の感情はこうだと一方的に押し付けている気がしてなりません。少なくとも、私がアナウンサーからそう言われたら、良い気はしません。私は理性的でないのかなと思ってしまいます。要は聞き取り手の解釈が広い表現だと思います。悪い表現だとは言いませんが、もっと適切な表現はあると思います。