ベストアンサー 「人は社会的存在となることでその自由が実現される」 2003/06/10 21:27 デュルケームの『社会分業論』の中で出てくるのですが、どういった意味なのでしょうか?教えてください。 みんなの回答 (3) 専門家の回答 質問者が選んだベストアンサー ベストアンサー 55mph ベストアンサー率23% (9/38) 2003/06/13 09:09 回答No.3 ・・追記です。 ちょいとデュルケムを抜きにして考えます。 で・・・ もう、メチャクチャ大雑把に、雑に言ってしまうならば、 太古、関東地方で営まれていた縄文時代の原始採取狩猟生活と、現在の東京の生活とでは、どちらがより自由であると考えるか? ということです。 質問者 お礼 2003/06/13 15:11 いーえ、実に的を得た解説だと思います。納得しております。 そして、自由を得る為に、集団のパワーもさる事ながら、個人のパワーも重要であると考えに至っております。私が現代社会に不自由を感じていたのは、自分で自分の感性を守る力がなかったからだと思います。規則や法律が存在するのが、何の為であるか深く知ろうとしませんでしたし、時に不当な規制を受けても、それに対抗しうる充分な理論を持っておらず、そういう自分に対する不満を社会への不満へ摩り替えていた感があります。「自由への闘争」とどなたかがおっしゃってましたが、これも私の中で実感がこもってまいりました。ちょいと自由への闘争を開始したいと思っておる次第です。 回答ありがとうございました。 広告を見て全文表示する ログインすると、全ての回答が全文表示されます。 通報する ありがとう 0 その他の回答 (2) Ononomiya ベストアンサー率72% (31/43) 2003/06/12 19:40 回答No.2 人間とは、個人のままでは、自然の圧倒的な力になされるがままの不自由な存在である。社会を形成して、集団としてのパワーを発揮することにより、自然に対抗しえる存在となり、自由を実現することができる、ということだったと思います。 彼は、本来的に自由な個人が集まって社会を形成しているという考え方を否定し、自由とは社会を形成することによって少しずつ実現されるものだと考えているのです。 質問者 お礼 2003/06/13 14:54 そういう意味でしたか。私は自由というものを漠然とした捕らえ方しかしておりませんでしたので、現代社会の束縛から逃れる事を自由と前提しておりましたので、本来的に自由な人々といったときに原始時代の人々を思い浮かべておりましたが、確かに彼らの方が我我より不自由ですね。 ありがとうございました。 広告を見て全文表示する ログインすると、全ての回答が全文表示されます。 通報する ありがとう 0 55mph ベストアンサー率23% (9/38) 2003/06/11 08:43 回答No.1 根源的に人はあらゆる意味においてあらゆるものから自由であるはずだと僕は思います。 それは、社会”からも自由であるという意味も含んでいるのですが、 デュルケムの場合は社会学者ですので、 人には、とりあえず社会に参加してもらって、その社会の制約という枠の中で自由に振舞ってもらいたい。 というような意味であると理解しています。 質問者 お礼 2003/06/11 16:31 ありがとうございます。 人が根元的に得ている自由と、デュルケームの言う社会的存在となることで実現される「本当の自由」とは、一体どのような違いがあるのでしょうか? 広告を見て全文表示する ログインすると、全ての回答が全文表示されます。 通報する ありがとう 0 カテゴリ 学問・教育その他(学問・教育) 関連するQ&A 【大至急】デュルケームの社会分業論内で述べられている犯罪についての質問です。 【大至急】デュルケームの社会分業論内で述べられている犯罪についての質問です。 社会分業論の第2章でデュルケームは犯罪について述べていますがイマイチ理解できません。 レポートの提出期限がせまっているのですが、よく内容が理解できないので質問させていただきます。 1・デュルケームの犯罪の定義とは何でしょうか? 2・犯罪が個人・社会に与える影響とは何でしょうか? 3・犯罪における処罰の集合意識は社会においてどのような意味を持つのでしょうか? ご回答お願い致します。 デュルケームの「社会分業論」って何? 明日、デュルケームの「社会分業論」についての試験があります。語句説明や、カッコに用語をいえれないといけなかったりするそうで、試験時間は20分ほどです。さて、ポイントはなんなのか、さっぱりわかりません。どこを重点的に理解していけばいいでしょうか? デュルケム『自殺論』について:その現代的意義と批判 日本における自殺者数は、4年連続で3万人を記録しました。この現象は、デュルケムの『自殺論』的な観点からどのように読み解けるでしょうか。また、それに対して、どのような処方箋をもたらしてくれるでしょうか。 デュルケムは、近代以降の社会における[個人]と[社会]の関係が危機的状態に陥っているために、"アノミー的自殺"が急増していると主張しています。つまり資本主義社会の急激な進展的変動が、かつて人々の欲求や生活指針を規制していた社会的な諸規範を根底から動揺させ、また人々に社会的諸規範を見失わせている。その結果、人々は止めどなく乾きがたい無規制な欲望に駆られ、自由と孤立、欲求の解放と挫折という不安定な状態の中におかれる。デュルケムの言う"アノミー的自殺"(および自己本位的自殺)は、現代の日本の自殺にも少なからず当てはまると思います。 そこで疑問です。だから個人を包摂するような新たな社会集団環境が必要だとし、デュルケムは結論として、[同業組合]を挙げています。しかし私は、社会的規範としての[道徳]の重要性をもっと前面に出してもよかったのではないかと感じました。じっさい、デュルケムの思想は道徳的色彩が強く、『自殺論』もそうでした。「道徳は自殺を抑止する」、くらいに明確に論じられてもよかったのではないか?自殺と道徳の明確な接点は何だったのか? 質問をまとめます。 (1)現代病としての日本の自殺は、『自殺論』的な観点からどのように読み解けるか。どのような処方箋をもたらしてくれるか。解釈や、ご意見をお聞かせください。 (2)『自殺論』における、道徳と自殺の関係について、明確な接点は何か(あるのか)。例えば「道徳が自殺を抑止する」という観点は可能か。 (3)最後にくっつけたようで申し訳ありませんが、デュルケム批判論者、および関連の著作(特に『自殺論』についての批判)をご存知でしたら、ご案内いただけませんか。 天文学のお話。日本ではどのように考えられていた? 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いーえ、実に的を得た解説だと思います。納得しております。 そして、自由を得る為に、集団のパワーもさる事ながら、個人のパワーも重要であると考えに至っております。私が現代社会に不自由を感じていたのは、自分で自分の感性を守る力がなかったからだと思います。規則や法律が存在するのが、何の為であるか深く知ろうとしませんでしたし、時に不当な規制を受けても、それに対抗しうる充分な理論を持っておらず、そういう自分に対する不満を社会への不満へ摩り替えていた感があります。「自由への闘争」とどなたかがおっしゃってましたが、これも私の中で実感がこもってまいりました。ちょいと自由への闘争を開始したいと思っておる次第です。 回答ありがとうございました。