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昔から鯨を捕っていたのは
昔から鯨を捕っていたのは 海の小魚を守るため、 だったのですか? 昔というのは、江戸時代とかもっと昔で。
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科学万能主義の西洋と違って、東洋では経験則によって、驚くほど「適正な」水準が維持されていたことが多くあります。それは、時には「ばちが当たる」みたいな宗教的なものであったり、「もったいない」という価値観であったり、ある意味非常に非科学的なものなんですが、これらが日本人を支配していたころ、すなわち江戸時代くらいまでは、日本人は「自然」に相対するものというよりも、むしろその一部として、「調和」していたんです。 ですから、沿岸で「魚」も「鯨」も、ずーっと、採って「食って」いました。「海の小魚を守るため」なんてことはもちろん考えちゃいなかったでしょう。でも、彼らは彼らのルールを守っていたから、それで生態系は比較的安定していたのです。 ですが、西洋の「捕鯨」は、すでに指摘のあるように、「食う」ためではなく、服飾のためであったり、燃料のためであったり、すなわち「食う」ためではない、「資源」としての価値のために捕獲されていました。それは、命以外のもののために命を奪う行為であったわけで、そんな中で鯨は絶滅の危機に瀕したわけです。 現代において考え直すに、「食う」という行為はおのずと上限が決まる行為で、さらにそれが個体数の増減にかかわる、生態系の維持に対して非常にエッセンシャルな要因です。それを無視して行った人類の「過ち」のツケを、今の世代は払わされているわけです。 科学万能主義の人間たちは、今度は「鯨」だけを特別扱いし、ある意味「差別」することで、その「誤り」を訂正しようとしました。しかし、その結果として、今度はそれ以外の魚たちが激減している事実が、徐々に明らかとなってきました。 「誤り」を訂正するためにさらに「誤り」を繰り返す愚を、往々にして犯す科学技術に比べて、江戸時代以前の日本人をはじめとする東洋や「非文明」の慣習というのは、今にしてみると驚くほど理にかなっていることがあります。 ですから結論です。 昔から鯨を捕っていたのは、『海の小魚を守るため』みたいな「小賢しい」考えではありません。まだ、生態系の一部であった「ヒト」という種の、生存の理にかなった行動様式であったのです。
お礼
ありがとうございます。 『生態系の一部であった「ヒト」という種の、生存の理にかなった行動様式』 これですね! これをちょっと掘り下げて、考えたいです。 また、お答えお願いします。