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「見えざる手」は存在するか?
「見えざる手」は存在するか? 私は学生時代から、よくいいしれぬ恐怖感にとらわれてきました。 それは自己の外側からのスイッチにより他律的行動をとらせるものだと思います。例えば「金に困って働く」「権力が怖いから従う」「人気があるから買う」などです。他にも「携帯ナビが教えてくれるからその店を選ぶ」などは特に他律的と言える。店を選んだのではなく「見えざる手に」選ばされたとは考えられないでしょうか?
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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No.6&7です。 ものには順序があります。順序とは 秩序と言いかえてもよいものです。 ○ (回答No.6) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ★ あなたの見方は白か黒か的な部分が多いようですが、 ☆ この評言は 基本的な見方として 当たらないでしょう。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これが いまの主題です。あなたが問題提起したことに答えたのですから そのわたしの答えに対してまづ ご自分の見解を示さねばなりません。 話を分散させ分断の科学に持って行ってはいけません。 また問いと答えを重ねてこそ 社会生命性の自覚というものです。《社会》とはそういうものです。たとえそこに《生命》が抜けていても ふつうはタテマエとしてでも 答えを返すものです。 尋ねられたことには答え その答えを受けて返答する この民主主義は あなたの描く未来社会では無用となるのでしょうか? そのあとの順序で ★ そもそも人間は原始共産制のころ、自律的な生き物でした。それが貨幣の発明により、他律的に生かされるようになってきているのではないでしょうか?3千年かけて。 ☆ という主題にすすんでください。しかも前もって言っておきますが こんな粗い命題では 応答し得ません。 そもそも生まてくるということは 《自律的》なのか《他律的》なのか。こういったところからでも問題点はいくらでもあります。 《貨幣》という主題一つ取り上げても もし互いに・そして人びとの合意を得ようとするのなら 最低限必要なきちんとした議論が必須でしょう。八つぁん熊さんが自分たちだけで問答をたのしんでいるぶんには 問題ありません。この場ではそういうわけにはまいりません。 前段で述べたこと また実際にはその以前に積み残した問答がいくつもありますが 一つひとつこなして行けるように手間と暇のかけ方を工夫してください。それでいて 社会生命性の自覚があると言えるというものです。 ★ (質問趣旨) それは自己の外側からのスイッチにより他律的行動をとらせるものだと思います。 ☆ 外からのスイッチが入ったと認識し もしそれに従うのなら それとして人はみづからの意志決定をしているのです。残念ながら悔しいながら 意に反してでもそういう判断を下すのです。 《他律》も《自律》も ともに同時にあります。責任を引き受けるという意味では 人の為す行為は 《自律》というよりは 大きく《〈わたし〉による意志行為》であると想定され前提とされています。想定は 現実です。 《カネに困って盗みをはたらいた》なら その個人としての意志行為に犯罪があったと見なされます。そういうふうに――つまり あくまでも《わたし》の自由意志の選択であるという大前提のもとに―― 《自律と他律》とは同時にはたらくと想定されています。 もしこの人間論が これまでの《3千年》とこれからも有効であるとすれば 自律と他律のどちらか一方に片寄るというふうなかたちには 人間論としてはならないというものです。その人が見方を一方に片寄らせているだけということです。 黒人奴隷の事例を挙げましたが もしその《他律》のちからが極端な情況にまで到ったなら どうなったか? 反発し抵抗し 事態はむしろ好転したのではないですか?
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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No.6です。 ★ (No.6補足欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 私の質問「「見えざる手」は存在するか?」は、詳しく書けば、見えざる手は存在しつつあり「連続的に」大きくなってきているのではないか?という意味です。 ☆☆ (回答No.6) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ナビを信頼したからです。だまされるかも知れないがそれに従おうという判断をしています。 ≫自 律 的 かつ 他 律 的なのです。≪ つまりこれもそれもみな 分業社会ゆえの交通事情であり その交通整理も必要でしょうし 時には交通事故も起きるという問題になります。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ もしあなたの言うように《他律的》な部分が《大きくなってきている》とすれば それにつれて《自律的》な部分も大きくなるという意味です。 《いやいやながら医者にされた》としても そこに自己の意志行為はあるのです。 黒人奴隷の生活がひどくなればなるほど 基本的な見方としては――たとえおのれの非力に無力を知らされるのみだとしても―― 自覚は深まるのです。 能天気なら能天気として 人びとの味方になっています。 ★ あなたの見方は白か黒か的な部分が多いようですが、 ☆ この評言は 基本的な見方として 当たらないでしょう。 現状のひどさを訴える場合というのは それほど易しいことはありません。もしそのまま直截に切り込むのなら まさにそのままを訴えるのが得策でしょう。(犠牲が出るかも知れませんが 或る程度の改良が望めるでしょう)。 しかしながら 未来社会を空想で描くというおまけをつけるときには よほど注意や警戒をせねばなりません。ちょっと聞くとおいしいように見えるからです。 また 《他律的》という側面を大きく打ち出すときにも 問題がともないます。極端なたとえとして言えば けっきょく《悪魔がこの現状をもたらしたのだ》と見てしまい信じてしまうおそれが出るからです。やがては いわゆる魔女狩りもそれにつれだって現われるかも知れません。 哲学そのものではありませんが 『金色夜叉』をひとつ書けば 人びとにはかなりのまともな意志行為が回復されます。少なくとも 思うように行為することが出来なくても自分のこころの自覚は持ち得ます。 そうして (1) 直截に現状そのままを訴えるか それとも(2) 未来社会を描くか (3) いづれか一つの側面を誇張して人びとに訴えるかたちで誘導しようとするか 〔さらに悪魔のしわざ説を持ち出し いけにえの魔女を探し出す〕といった反応が現われるのではないでしょうか? 万機公論に決すべしと言います。みんなで知恵を出し合って解決に向かうしかないでしょう。専門分化した学問や研究も手助けしてくれます。行動する人びとも出てくるでしょう。妥当な理論と政策を明らかにして いくつかの選択肢を用意しつつ コンセンサスをかたちづくって行くとよいでしょう。
補足
そもそも人間は原始共産制のころ、自律的な生き物でした。それが貨幣の発明により、他律的に生かされるようになってきているのではないでしょうか?3千年かけて。質問文の例は他律化の兆候ではないでしょうか?そしてそれはホストコンピュータに制御されて個体が動くという「他律的社会=アリ型進化」へと向かうと思うのです。いま起こっている社会現象は「自律的→他律化」という社会進化の移行期における反動ではないでしょうか? 過去の脱線事故も「時間を守らなきゃ」という他律的(反射的)思考によりスピードを出しすぎたのが原因では?自律的判断であれば、列車ダイヤが遅れても安全を第一に考えたでしょう。この運転手は若かった。ゆえに特に他律的思考が働くのだと思います。 我々若い世代はそういう傾向が強いんですよ。自己認識できるのでわかるのですが。。。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
ちょっと考え方や用語が混乱しているのではないでしょうか? 見えざる手は 価格のことですよ。交通信号のようにして行き交う交通を整理します。ひとはこの信号を見て 進む止まる・右左を判断します。 しかもその基礎は 等価交換なのです。どこが《等価》だ? どこにその保証があるのか?と言って問い返されるでしょうが そうは言っても そもそも分業(つまり分業=ゆえに全体として協業)の社会になったあとでは 自給自足ではなくなりました。米もつくれば衣服もつくり家も自分で建てるという生活様式は無くなったのです。(そうすることは自由ですが)。 他人のつくった赤福や餃子を食べます。これは 信頼関係の上に成り立っています。《同感 Sympathy の原理》と言いました。共同主観ないし常識のことです。世論のことにもなります。 価格の決定には 経済的に合理的な理由以外に政治的な理由が介入するのは 水道や電気など公共の商品に限られます。むろん分業社会における人びとの生活にとってよいと考えられるからです。 理論上は 等価交換であり 人びとの同感しうるかたちで価格も決まり 品質も保証されるという制度なのです。 この信頼関係ゆえに お金の貸し借りは 信用と言います。 資本主義は じんるいの知恵です。 あとは 悪貨が良貨を駆逐しているという現状があるだけです。 つまりこれはたとえとしてであって貨幣やその制度のことを問題にしているのではありません。そうではなく 経済合理性のほかに 外から上から政治が介入するその不合理な仕方であるとか。あるいは生産現場は外から見えないからというので餃子に毒を入れたり粉ミルクにメラニンでしたかを混入したりする《悪貨》の問題です。 これらは 《信頼》を裏切ることです。 儲かったからその利益を自由に分配してもいいだろうというので 経営者らが膨大な報酬を得て 一般の従業員との格差を大きくするのは 《同感の原理》に反するのではないか? こういう世論も いくらかは生きているはずです。 悪貨は全体から見て一部です。ガリ勉資本主義は 一部の思惟・内省=生産・行為の形式です。ただしこの一部が 資本主義の全体を引っ張っているとも見られています。 問題は 価格という信号を見て――つまりこの価格の背景にあるいろんな事情を信頼した上で価格を判断の基準として――経済行為をおこなっているという事実は まるっきり考慮に入れなくてよいとはなりません。 ★ 例えば「金に困って働く」「権力が怖いから従う」「人気があるから買う」などです。 ☆ こういうときにも 賃金という価格を見ています。その労働力の売り買いにおいて 社会力学的な力関係はありますが 《怖いから従う》というのも意志行為です。そういう判断を自分がおこなっています。《他律的に》そうすることを余儀なくされたのですが それは 夢遊病者のごとくに行動したのではありません。 ★ 他にも「携帯ナビが教えてくれるからその店を選ぶ」などは特に他律的と言える。 ☆ ナビを信頼したからです。だまされるかも知れないがそれに従おうという判断をしています。自律的かつ他律的なのです。つまりこれもそれもみな 分業社会ゆえの交通事情であり その交通整理も必要でしょうし 時には交通事故も起きるという問題になります。 ★ 店を選んだのではなく「見えざる手に」選ばされたとは考えられないでしょうか? ☆ これは たしかに《依存効果》と呼ばれる現象であって 広告やメディアなどの言っていることに影響されるというものです。エスキモーに冷蔵庫を売るのがマーケッティングであると言いました。こういう場合に《見えざる手》とは言いません。見えてもいます。そういう――すべてが――それぞれの意志行為であり たとえホンネではなくても判断を介して選ぶに到った意志行為です。 そうして もしこれから未来社会に移行するとしても このいまわたしたちがそれぞれの意志行為として――いやいやながらもみづからの意志行為として――おこなっているその判断と試行錯誤あるいはそれらの蓄積 これは 生きます。未来社会においても 生きます。むしろこのいま生きている意志行為の延長として未来社会がやってくるのだとわたしは考えます。 いまの情況においていま考えられる最善の判断を重ねてすすむよりほかにないでしょうし またそうする過程で〔こそ〕 いまわたしたちが或る意味ではうめきながら喘ぎながら問い求めている社会のあり方が見えてくるのではないでしょうか。 ながながと失礼しました。
補足
あなたの見方は白か黒か的な部分が多いようですが、光にもスペクトラム=連続体があるように、私の質問「「見えざる手」は存在するか?」は、詳しく書けば、見えざる手は存在しつつあり「連続的に」大きくなってきているのではないか?という意味です。つまり白も黒も混在するのは当たり前のことなのです。連続体の推移において。
>途中計算も含めた「根拠」が必要になります。 根拠があって分かるなら、普通の理解と変わらないじゃん。 どこが、サバンなんだか、訳分からん・・・
- mashumaro2
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OtamaFJ様、こんばんは。 私は、かつて「見えざる手」のまさに「手先」となって働いていたことがありましたよ^^ 25ans(ご存知ないかもね)やCLASSYといった購買意欲の旺盛な女性層の好む雑誌に、いかに!効果的にタイアップ(雑誌編集側との特集)を組んで人目を引くページをこしらえるかということに全力をかけ、編集関係者には新製品をばらまき、雑誌編集長などをアッパー・クラスにてパリ・コレへ接待、なんていうこともめずらしくはありませんでした。 下手に広告を打つより断然安上がりだし、太いパイプも築かれて、なかなかに自社商品の製品をプッシュしてくれる裏ワザなわけでして、この方法。 で、雑誌で(モデルや芸能人を使うとなお可)新製品を取り上げてもらえると、流行に敏感で自身の目利きに自信の無い若い女性(≒ファッション・リーダー?)が、うまいこと飛び付いて商品を率先して購入してくれるわけです。 つまり、わざとどうにかして「無いところから人気を作る」。 で、会社の利益があがるという、極めて単純な仕組みです。 流行の発信元というのは、なかなか「してやったり。」という小気味良い感じがするのは確かです。 まあ、哲学カテの99.9%の方はま~~ったく「なんじゃそりゃ?」のくっだらない産業とお思いでしょう。 けれども「化粧品」というのは、現代女性に欠かせない自信と美貌をもたらす「幻想」の贅沢品だし、この手の類が「高社会福祉の実現のために~うんぬん。」と抹殺されたら、ちょっと≪無駄≫な≪夢≫が無くなって、味気ない世界になるのでは…などと思ったりもするのですよね。 以上、このご質問からは「消費者」と「企業側」との関係性と捉え、やはり消費者が「賢い購買判断」或いは「≪所有する≫意識の自分自身における見直し」をすることなどが、やはり、始めの一歩ではないかなあと思っている次第です。 ゆるすぎますかね? 追伸(1):口紅やら香水やらをネコババして、めちゃくちゃ楽しい職場でありました(笑) 会社にお小遣いをつぎ込んでしまうという真面目なOtamaFJ様からは、「渇!」が入りそうな気がいたしまする。どうかお手柔らかに~ 追伸(2):No.3様、お子さん、今春御入学ですね。本当におめでとうございます。 ママも頑張ってね^^
たぶん、初めまして、になると思います。 お邪魔致します。 >私は学生時代から、よくいいしれぬ恐怖感にとらわれてきました。 きりきりかりかりと、「大人の、誰かの言いなりになどなるもんか!」と考えていた頃はよく、質問者様のおっしゃる恐怖感を感じていたように思います。 >自己の外側からのスイッチにより他律的行動をとらせる はい。 もしも、そうだったら嫌だなあ、といつも思っていました。 でも、かと言って、「自律的行動」がちゃんと自律的なのか?を検証してみると、そうとも言えず。 他者の思惑を排除した「完全に自律的行動」等、存在し得ないのでは?と考えるようになりました。 そう考えるようになってはみたものの、そうなったのは、単に「自律と他律の検証があまりにも困難だったから」に過ぎず。 言わば、それらの検証を諦めてしまったからに過ぎず。 今でも、時として、他律と自律の検証をしっかりと見極めたい衝動に駆られる事もあります。 もしも、質問者様のおっしゃる「見えざる手」があるとしても、 その「手」を利用することを選択した、という自律性を私は重んじるようになりました。 ひとつの具体的行動の一歩手前。 その行動を選択するかしないか?の段階を自律的に選択し、 実際の行動は「手」に任せる、という遊び心?を楽しむのも面白いかな、とも思います。 人生や日々の生活の一こま一こまを、全て自律的に選択・行動するというのは、それはそれで結構くたびれるなあ、と思うのです。 だから、それこそ 「私は今日は疲れているから、適当に洗濯しておいてね」とか、 「あーーもう今日は本当は一汁三品の和食がいいけど、炒飯でいいよ!任せる!作ってくれい!」と夫や子どもたちに向かって叫ぶ日も必要かな、と思います。
補足
自律的=後天的に認識を深めて意識的に判断すること。 他律的=先天的、反射的、無意識的、と換言できるもの。 とイメージすれば、辞書よりも深い洞察が可能になりますよ。
どうしてそんな事で悩むんだ? 本当の事が分かるサバンなんだろ?
補足
>どうしてそんな事で悩むんだ? みなさんがどう思うか知りたい。 >本当の事が分かるサバンなんだろ? 幸か不幸か右脳サバンです。右脳は感覚的な脳で、左脳は理論的な脳です。 右脳で途中計算抜きに解っても、左脳で言語化するには、途中計算も含めた「根拠」が必要になります。左脳は頭が良くありません。よって矛盾したような質問になるのです。
- wakko777
- ベストアンサー率22% (1067/4682)
単に流されて生活しているだけでは?
補足
その流されていく末路がどういうものかあなたは知らない。 でも私は知っています。ビジュアルで伝えないと伝わらないかもしれませんが。。。SFでいえばスタートレックのヴォーグみたいなもんですよ。個体に意識はない。よって個体に宇宙はない。
お礼
回答ありがとうございました。 また参考にさせてください。^^/