- ベストアンサー
日常生活未熟な自分にも言いたいことは山ほどあります
ポイ捨てから始まり日常生活には細かな事ですが言いたいことは山のようにあります。自分はまだまだ未熟者で人生において完全な方はおられないと思いいますがもしいたらその方なら言えるかもしれません。 口は災いの元と言う言葉に過去しばれてたくさんの失態をして今日まで生きてきました。 言ってトラブルを招くなら我慢して笑顔で見過ごす自分からの逃亡と些細なことからの逃亡です。世の中はこういう風に生きて行けばいいのでしょうか?いつも最後になって我慢が大爆発してささいな事の積み重ねで自分が終わってみれば加害者になっていることがたくさんありました。世あたり下手というべきか要領がないというべきか我慢弱いというべきか自分でも分かりません。皆さんならこういうう悩みを見てどう思われるでしょうか?
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
正しいことを考え、人に伝えることに臆病になる必要はありません。 が、要は同じことを伝えるにしても、その伝え方でしょうね。 正しいと思えることが、相手に「ああ、その通りだ。気をつけよう」という考えに結びつけば正しいことが正しく伝わったとなるのでしょうが、言い方を間違えるとあなたが経験してきたようにトラブルにつながったり、加害者になったり? 公共施設のトイレによく「きれいに使っていただいてありがとうございます」といった張り紙があります。 れは、要するに「汚さずきれいに使いましょう」ということなのですが、単にきれいに使って欲しいという主張の正しさを、「汚すな!掃除が大変だろうが!」と書いてあるのと、「きれいに使っていただいてありがとうございます」とあるのとでは読み手の受け止め方は大きく違ってきますよね? 伝え主張すること自体に色々迷っておいでのようですが、伝えることの良し悪しではなく、伝えるための表現、伝え方。 言い換えれば相手の取り方です。 言って良いものかどうかに悩む以前に、「どう言ったら、どう受けとめられるか?」を考えてみてください。 あなたが我慢ならずに伝えたい、主張したいのも感情であれば、言われた側の受け止め方もまた感情です。 「能書きの前に学問にはげみます」とのことですが、能書きや理屈、学問も大事ですが、それ以前にひとの思い、感情にも目を向けて色々経験し身につけてください。 どういう伝え方、表現をすれば、相手にはどう伝わり受けとめてもらえるか、そちらの方が大事かと思いますが。 相手を怒らせたいのではないですもんね?
その他の回答 (2)
- toresanta
- ベストアンサー率16% (67/409)
まず 自分にとって肝要なのは 何か ということです。 ポイ捨てだと思われている ことでも世の中には 業務上仕方ないことも沢山ありますよね。 …家族のこと 社会のこと 夫婦間 職場 あなたが何を土台に言われてるのかわかりませんので これ以上は書き込めませんが いろいろな見方があります。 それを学ぶためにも人を理解するためにも 真摯な会話は必要不可欠です。 悪者になる ならない は一義的なものですが あなたが口を閉ざしている限り誰にも伝わりません。 とりあえず 現状を人に聞く 人に聞くと会話が返される のを怖がってはいけない これが大事です。 あなたが分別のある行動をして 他者の目を気にしなくなったなら 味方が大勢現れます。
お礼
僕は正義のヒーローでもなく未熟者です。味方など必要ありません。 会話ではなく冷静な会話で対応してそうもない方と誤解かもしれませんが思うから最悪の事態を想定したら僕が加害者になりそうで怖い臆病です。大人で子供ではないですがガツンと言えば分かるのが人間なのですがガツンというだけで我慢できず言葉で相手を動かすことができない無知な自分です。暴力や暴言は最低だと思います。そしてそんな権限は僕なんかにはありません。最短でできそうなことは言葉をうまく使える人間で冷静であれる人間になることと時間をかけてでも我慢しなるべく良い方法で態度で示すことに時間を頂きたいと思います。相手もそうですが根っからの悪党などこの世にいないと妄想しています。冗談にいこちらが本気になってまた間違い犯したら最低です。みないふりして過ごせる心広い人間にいもなりたいです。今はただ学問に逃げたいと思います。ありがとうございました。
- akarinn365
- ベストアンサー率0% (0/1)
最終的には人間というものに、何らかの絶望感を抱きながら生きてゆくしかないじゃないでしょうか? 子供の頃、川で魚釣りやらしてたんだけど、今では川に魚なんていません。人間が、自然を破壊して行ってます。徐々に地球環境が、人間にとって住みにくいものになっていってます。 あなたがポイ捨てに対して言いたいことがあると書いていましたが、そういう感覚を持ってる人がいるっていうことが、何か救いのような感じがします。 和尚の本を読んで、和尚の悲しみを噛み締めながら生きていくしかないんじゃないでしょうか? ここで和尚とは、和尚ラジニーシの事です。グーグルで検索すればヒットします。
お礼
和尚ラジニーシ一度見て見ます。 ポイ捨てに拘っていません。ありとあらゆることがあります。 未熟者で勉のない僕は何かにその分妥協して人生生きて行くしか 方法がないと思うとぞっとします。 しかし自分を抑えること感情を時に抑える事も大事だと思っています。 答えがすぐにでも飛んできたら僕は逆に不幸かもしれません。 しかしお言葉の通りです絶望感を抱きそこから逃れるために今生きていますが到底のがれられません。 言いたいことは山ほどありすがまだまだ未熟者です。能書きの前に学問にはげみます。
お礼
ご指摘の通りです。いろんな表現の仕方その人にあった方法で何度も遠からず伝えた事はありますが結果として伝わっていないとうは僕の力量不足です。そしてどうしようもない人には無理と決めつめるのも自分の不甲斐無さです。過去と他人は変えられないけど未来と自分は変えられるという名言に依存している自分にも学問のなさ力量不足感を感じます。ご近所さんでもあり言いにくい面や弱みもありますし人によっては利害関係にあって言葉がでないとう弱みもあります。弱みと解釈してる自分が弱いのかもしれません。勇気はありますが言えば済む問題ばかりでもなく・・しばし他人は自分の鏡という名言にもありますように自分を磨いて時間をかけてでも分かってもらえるように生きます。