• ベストアンサー

数学教育 その2

前回立てたスレッドの続きです。 (一応前回のURLは http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=221271 です。) 前回はちょっと質問が抽象的かなという気がしたので、今回はもう少し的を絞って質問してみます。言うまでもありませんが、以下の質問は数学を算数に読み替えてもOKです。 1:あなたはある学校の先生です。あなたが担当するクラスには、数学嫌いの学生(または生徒、児童)がいます。その学生に数学を教える場合、あなたはどのようにして教えますか。 2:あなたには子どもがいます。その子どもは数学が嫌いです。このとき、あなたはその子どもに数学を好きになってほしいと思いますか。その理由も含めて述べてください。特にYesの方は、その方法も一緒に述べて下されば有難いです。 3:あなたは数学が好きですか。嫌いですか。また、それはどんな理由からですか。 半分意識調査になってしまいましたが、答えられないところは答えなくてもOKです。この質問から数学教育の方法を模索できればと思いますので、気軽に回答してみて下さい。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • keiryu
  • ベストアンサー率31% (46/145)
回答No.2

 数学をやると自然の摂理を説明できます、とい高尚なお題目から、数学やらないと高校入試に困るよという脅しまで、これは一貫して数学をやると飴がもらえますよ、という説得の方法です。  しかし、数学を初めとして学問は何かを得ようとしてやるものではありません。  音楽は音楽家になるためにやるのではなく、ましてや情操豊かな子どもを育てるために、などといっても子どもには関係のないことです。  美術も同様。体育も、体を鍛えるためにやるのではありません。  すべからく、勉強学問、芸術体育は楽しいからやるものです。  98パーセントの遺伝子が同じ猿と人間を分けるものは、知的興味。面白いからやるという一点に絞られます。安全な棲家と餌のある森を捨て、草原に出た猿だけが人間になった。草原には、ライオンもハイエナも居る。しかし、そこには未知なる何かがある、その未知なる物に興味を抱いた猿だけが人への道を歩きはじめた。未知への興味は、餌や安全さえも捨てるに十分だった。  だから、人間には、飴という餌がなくても、興味面白ければやるという遺伝子がインプリンティングされています。  前置きが長くなりましたが面白い教材の開発こそが数学に興味を持つ生徒を増やす道とおもわれます。  かの日本最初の世界的数学者高木貞治博士が言っています。  確実なる知識の不足を教授法で補わんとするはなき袖をふるわんとするなり、と。  数学は面白いんだといえるだけの数学的素養とそれに基づいて開発した面白い教材を生徒に提示すれば、何のために数学を学ぶの、という言葉で数学の無意味性を訴える生徒は確実に少なくなると思われます。  

NobNOVA
質問者

お礼

遅くなりまして申し訳ありません。 ご回答、ありがとうございます。 確かにあなたの意見は説得力があります。 私自身もやはり先生から面白い事象やら何やらを提示されたことで数学の興味が湧いた記憶がありますし、教育実習に行った際も、現場では先生があれこれと教材を用意し、自ら話題を提示することで生徒に興味を引きつけていた記憶があります。 ただ私が思うのは、そのような数学的素養はどのようにして身につければよいのでしょうか。やはり普段から自ら切磋琢磨していかなければ身に付かないものなのでしょうか。まあその問いかけ自体が甘えだと言われたら否定は出来ませんが…… やはりこういうことは経験がモノを言うのでしょうかね。私にとってはまだまだ難しい限りです。今回はあまりにお礼が遅くなったということで投稿をいったん締め切りますが、また別の機会にでもそのことについてお答え頂ければありがたいです。それでは。

その他の回答 (2)

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.3

mmkyです。追伸まで 実は数学を好きになったのは、ある先生にくるくる積分というのを教わったときに、その説明の仕方が面白しろかったのと同時になるほどと納得するものがあったからなんです。くるくる積分というのは線積分のことなんですが、くるくる回るとゼロになる積分概念として教わった、そのときのなんともいえない面白い感覚なんです。当然教科書には普通の線積分として書かれていたのですがね。教えかたに引き込まれるというのは確かにありますね。教材は重要ですがやはり教え方はありますね。それから数学は論理思考過程ですから答えのみを重視するというと嫌いになるかも知れませんね。私もいまだによく間違いますから。このあたりの兼ね合いはありますね。 追伸程度に

NobNOVA
質問者

お礼

大変遅くなりましたが追伸ありがとうございました。 そのときに行われた線積分の講義の様子は、私も是非拝聴したかったです。私自身は線積分はあまり面白いと思ってない人間なんで(それでも解析専攻だったりするわけですが)。 私も答えのみを重視することは嫌いですが、いくら数学が論理思考過程と言えども、論理的な説明ばかりでは子どもは退屈なんですよね。教える側としての実体験からなんですが。そこで先ほどの投稿にある「数学的素養」が必要になってくるのでしょうが、まだ私は経験も足りないのでそのような素養もなく、数学教育にかなり難儀している状態です。 まあつまるところは「教え方が巧ければ自然に子どもは数学が得意になる」ってわけで、そんな当たり前のことは数学じゃなくてもどの教科にも言えることなのですが、やっぱりその実践が難しいですね。つくづくそう思います。 追伸、ありがとうございました。では。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.1

参考になれば 1. 自然界は法則で成り立っています。その法則を表現するものが数学ですから、楽しいはずなんです。 知らないということがいかに恥ずかしいかを知る方法でもありますね。 2.思います。1.と同じです。数学は感性、感情でものごとを判断するのではなく論理だった理性で判断するための訓練だからです。数学を修めると感情的な怒りはなくなりますね。すごい効用があります。 3.好きですね。思考は自由で無限だからですね。一切の束縛から自由になれますね。

NobNOVA
質問者

お礼

ありがとうございます。 1,2について: なるほど、確かにフィボナッチ数列が向日葵の種の並び方に関係していたり、海岸線がランダムフラクタルに似たもので表せたりと、自然界の中に数学は多く現れています。 ただ、残念ながら現実として数学嫌いの子どもは存在します。それが誰の責任であるかは分かりませんが、それはともかくとして、我々がその子どもに数学を好きになってもらう具体的な方法がありましたら是非お教えください。例えば、直に自然界の法則と数学とが直結している様を見せるとか。 3について: 私も同じような理由です。数学の醍醐味はやはり考えることであり、そこから何らかの結論(正解にたどり着いてもたどり着いて無くても)に達したとき、そこまでの課程において楽しさを覚える、というのが私の考えです。

関連するQ&A