- ベストアンサー
数学をもう一度やり直したい 【あるいは、数学の世界にもう一度挑戦してみたい…】
学校を卒業して長年経ってしまいましたが、もう一度、数学をやり直したいと思っています。良い手段や方法をご教示願えたら幸いです。また、QNo.3089492で他の方々がやり取りされている内容とかなり重複しますがお許し下さい。 やるからには最初からと思い、小5の教科書や参考書から独学を始めました。教科書の内容は今のところ大丈夫ですが、中学受験の高度な問題となると全く歯が立たないものも多々あります。また、最終的にどのレベルまで行くのかが問題になるかと思いますが、とりあえずは自分が高校時代にお手上げだった微分積分までを目標としています。そこまで行った段階で、数学にはどんな分野、どんな世界があるのだろうかという見通しを持って、また次のステップに行けたらと思っています。 今は中2の教科書・参考書と格闘しています。数学に通暁されている方々の前でこんなことを書くのは本当に恥ずかしいのですが、今でも分からない箇所がありますし、これから先にはもっと(私には)難解なものが出てくるかも知れません。そういう時、いつも「誰か先生がいてくれたら」と考えてしまいます。周りに誰か良い方がいてくれたら良いのかもしれませんが、気後れもあってなかなか言い出せません。また、難問に当たるたびに「教えてgoo」に書き込むわけにもいきません。 そんなわけで独学の困難さを感じている昨今なのですが、お知恵を拝借できたらと思います。本気で「大人のための数学塾」みたいなものがあったらと思うのですが…。 ************************************************* 質問内容はだいたい上の通りですが、少し漠然とした感じもありますので、かなり冗長になりますが以下に背景を補足します。 私の学生時代の算数や数学の成績は暗澹たるものでした。かなりの割合で赤点で、0点も珍しくはなかったと記憶しています(話は脱線しますが、確か赤点の半分は「青点」でしたよね)。そんな私でも大学で勉強をしたかったので、数学を「脇にどけておく」ことで辛うじて大学の経済学部に入りましたが、やはり私は数学が出来ない学生でした。教官の説明も板書も、私にはまるで宇宙人の言葉に聞こえました。そして私はそのまま卒業して企業に就職し、年齢も30代となったのですが、今でもクラスの皆の前で「お前は本当に数学が出来ないんだなあ」とテストが返却されるたびに赤っ恥をかいていたことを思い出します。 ここまで読まれた方は、さぞかし私が算数や数学が嫌いだったのだろうとお思いかもしれません。でも、実はそれは半分当たっているのですが、半分外れているのです。というのは、実は私は「数学が大好き」だったのです。そう言ってしまうと少し言葉が間違っているかもしれませんので、もっと正確に言うと「勉強はしないくせに数学を尊敬している」という言い方が的を得ているかもしれません。 もちろん、「勉強しない --> 出来ない --> 嫌いになる --> ますます勉強しない」というのはもう本人の責任以外のなにものでもありません。でも、上手くは言えないのですが心の中ではずっと「数学って凄い」あるいは「数の世界って凄い」と思っていたのです。仕事や日常生活の中で困ることは特にはありませんが、今でも数学の世界にもっと頑張って立ち向かっていたらと思い返します。受験や成績といったものから解放されて長い間が過ぎてしまった今、その思いはさらに強くなってきました。 従って、今の私が感じている数学への思いは、何か資格を取りたいとか、仕事上の必要に迫られてといったわけではありません。数学という学問が持つ美しさや深遠さといった世界に魅かれていると自分では理解しています。こんなことを言うと「数学の美しさなどという言葉は、少しでも数学をきちんと頑張った人こそ言う資格があるんだ。数学を勉強しなかった者にそんなことが分かるわけがない」というお叱りが聞こえてきそうですが、確かにその通りです。 とは言うものの、そんな数学が出来なかった学生時代の私にも、「そうだったのか!」という瞬間がごく稀に訪れてくれました。別にスッキリの快感が欲しいということだけで数学を再び志しているわけでもありませんが、その要素も多分にあります。また、それ以上に数学者の方が書いたエッセイ等の文章を読むと、研究そのものの内容には全く歯が経ちませんが、その輪郭に触れただけでも奥深さに吸い寄せられます。自分も、そんな数学の世界をほんの少しでもいいから垣間見られたらなあ…という思いが、今回の質問の背景です。 駄文・長文失礼しました。 どうぞよろしくお願いいたします。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
最近は、文科系・理科系を意識せずに、数学の面白さを書いている人は少ないですね。 市販の本も、見た目の奇抜さとテクニックで読者を引きつけようとする内容が多く、 私の趣味にあいません。 今の勉強はそのまま続けて頂くとして、 比較的旧い本ですが、 ・岩波書店版・遠山啓著「数学入門」 は、(上)(下)に分かれ、 (上)は、“数の幼年期”“分離量と連続量”“数の反意語”“代数-ずるい算数” から、“複素数”まで載っています。 (下)は微積分中心です。 今もまだ出版されているようで、息の長い本です。 遠山先生の年代の方は、理科系・文科系と云う縄張りを感じさせない文章を書く人が多く、 最近の、長い文章をあまり読まない理科系人間には、読みにくいかもしれません。 数学書を読むという意気込みを捨て、随筆を読むような気軽な気持ちで読んだ方が 頭に入ると思います。 下巻は、微積分に入るので、そのように読めるか、断言しかねますが、 そこまで読み進まれたら、ariesmanさんの感想もお伺いしたいですね。 >高校時代にお手上げだった微分積分までを目標としています。 紹介しました著作の、冒頭“はしがき”によると #20世紀後半に活躍する日本人に必要な数学として,私は一応 #「微分方程式まで」という線を引いてみた. そうです。
その他の回答 (1)
- looker1986
- ベストアンサー率48% (30/62)
数学への憧れ・・・。とても共感します。 私は数学は昔から得意ですが、残念ながら数学は専門ではありません。理系なのである程度のことはやるのですが、実用的な問題や公式しかせず、実際のところ論理的な部分はあまりやりません。本屋で数学の本が並んでいるのを見るたび、いつかこの本を理解してやると自分に言い聞かせております。そんな中半ば独学で勉強しているのですが、記号の意味するところが全くわからず、理解するのに時間がかかることもあります。でもそうやって少しずつでも勉強していると、ある瞬間突然理解できたりするから不思議です。 私が思うに、勉強とはその著者なり、その概念を考えた人と共感し、理解することではないでしょうか。その考えは非常にシンプルなものが多いです。それゆえ、物事はもっと複雑だと知っている人は、その考えに共感できない事もあります。何故これでこの問題が解けるの?と。教科書の考えというのは一つの思想に過ぎません。はじめのうちは負の数や虚数の導入には否定的な人も多かったようです。それが真理では無いかもしれません。しかし、それを受け入れることで見えるものも多くあると考えます。 分からないときに、難しいと思ったときには、この問題の本質的な部分とは何か、この問題を通して出題者は何を問いかけているのか、を考えれば理解することの手助けになると思います。初めは部分的な理解ではなく、大まかな理解をすることです。そして少しずつ細かな理解に至ればよいと思います。あとは繰り返すのみです。一度で理解できないことも二度三度と繰り返すうちに少しずつ理解できるのではないでしょうか。 しかし、やはりわからないことはあるかもしれません。私はまさにそのような方のために、このサイトはあるのだと思います。先生や教官などの質問できる人がいるにもかかわらず、ここで質問するひとや、少しも考えずに丸投げする人も多く見受けられます。そういった人に答えてくれる人もいるのですから、ちゃんと考えて、それでもわからない人には必ず手を差し伸べてくれると思います。わからない問題もどこかわからず、どういう風に考えたかを示せば丁寧な答えが返ってくるでしょう。どんどん質問をしてくださっても良いと思います。 数学の勉強頑張ってください。理解できると信じていれば、必ずいつかそれは理解できると信じております。 全く的外れな意見かもしれませんが、参考になれば幸いです。
お礼
looker1986様、温かい励ましの回答をありがとうございました。共感というのは確かに勉強(もっと高尚に言えば学問?)の入り口なのかもしれませんね。非常に参考になりました。 これから自分でどうしても考えて分からない問題が出てきたら、gooを利用して皆さんのお知恵を拝借してみようと思います。尚、looker1986様を10ptとした理由は、優劣ではなく迷いに迷ってご回答の日付順とさせて頂いただけですので、悪しからずご容赦下さいませ(本当はこうやってポイントに大小をつけることはしたくないのですが…)。 どうもありがとうございました。
お礼
前回は補足でしたので、あらためて質問を締め切るに際してお礼を述べたいと思います。どうもありがとうございました。 「数学入門」は古書で入手致しました。現在読み進めているのですが、なんと以前の持ち主の方が要所要所に赤線を引かれていて(笑)、その方の思考もあわせて非常に面白く読んでおります。本来なら読了した時点で読書報告も兼ねてのお礼とすべきですが、あまり遅くなるのも…と思い、現時点で質問を締め切らせて頂きます。 良書をお薦め頂き、どうもありがとうございました。looker1986様と共に、数学の良き先達にこのような優しい方々がいらっしゃったことをありがたく思います。
補足
O-Henryさん、迅速なご回答をありがとうございした。本来「お礼」とするべきですが、ご紹介頂いた本が未読なのにお礼を申し上げるのも失礼になるかと思いましたので、「補足」と致しました。 遠山啓先生の「数学入門」は恥ずかしながら知りませんでした。今日にでも書店に行って入手したいと思います。O-Henryさんの紹介を読むとますます読みたいという意欲をそそられますね。ネットで入手したほうが早いかと思い検索したところ、遠山先生の著作があまりにも膨大なので驚きました。 ただ、こうした本を読むことも「対話」の一つだとは思うのですが、最近はやはり誰か生身の方との「教える・教えられる」というステップがないと自分には難しいな…という気がしています。過去の同カテゴリの質問の中で「数学のセンス」に関するものがありましたが、センスが恐らく無い自分には、完全に一人で学習を進めるのは少し辛いという気がしています。 というのは、参考書や教科書には解答だけでなく解法も書いてはあるのですが、自分にはその解法が示唆していることすら分からない時もあるのです。なので、最初の質問の文中に「大人のための数学塾があったら…」と書いたのも偽らざる心境で、もしそういうものがなければ「初心者的な質問でも受け入れてくれる数学関連サイト(?)」みたいなものもあったら…と思っています。もし何かご存知でしたら、またご教示頂ければ幸いです。 しかし、まさに「遠山啓」先生の著作をO-Henryさんがご紹介されたという偶然に驚いています。それこそ私の数学へのアンビバンレント(?)な思いは、まさに遠山先生のせいでもあったのです。そのことを今、20年ぶりぐらいで思い出しました。以下、またまた駄長文になりますが補足の補足ということで。 私の家にはなぜか幼児向け(未就学児童向け)の算数図書のシリーズがありました。まだ幼児ですから当然「何かの数や図形と、面白おかしい文章が書いてある絵本」ぐらいにしか認識していませんでしたが、その著者名はまさに「遠山啓」でした。題名は忘れてしまいましたが、アマゾンで検索しても出てこないので既に絶版なのでしょう。そのシリーズの最終巻の最終ページに、次のような図形が出ていました。以下、ご参考までにURLを記載します(このサイトは単に同じような図形をネットで探して拝借しただけですので、不適切であればご連絡下さいませ)。 http://www6.plala.or.jp/swansong/009306hikouki.jpg そして、ページ全面に大きくこの図形が出ており、そこにポツンとただ次のような文章があるだけなのです。うろ覚えですが、たしか「まっすぐな線も、曲がった線になる」。こんな感じでした。 まだ小学生にも上がっていない私には、この文章の意味、そしてこの図形とこの文章がどうして結びつくのかが皆目理解できませんでした。それは小学生になっても、いや、中学生になっても理解できなかったと思います。「直線はどこまでいったって、何本引いたって直線だよ!曲線になんてならない!嘘だ!」 子供というのは自分が理解不能な局面になると、大なり小なりグズるものです。もちろん私もそれっきりその本を見ることはありませんでしたが、いつも心のどこかに引っかかっていました。でも今から思えばこれは「微積分」とか「無限」の概念を先取りしたものですよね。遠山先生も罪なことをします(笑)。このことが私の数学嫌いの原因になったというような言いがかりは毛頭言うつもりはありませんが、数学的センスというか、ある種のひらめき的な才能がある子供だったら私もその図形と文章を見て「そうだ!」と理解できたのでしょうね。 O-Henryさんも「理科系人間」という言い方をされていますが、私は常々思っていることがあります。それは、世の中の一般では「理科系人間=理詰め」、「文科系人間=感覚的」みたいな区分けがされることがありますが、むしろ理科系人間と称される方々のほうが何か感覚的なひらめきや、ある種の芸術的で直感的なセンスに溢れているようにも思うのです。私、数学はからきしダメだったのですが、国語はそこそこでした。というのは国語のほうがむしろ「ああ、出題者はこういうことを思って問題を作ってるんだな」みたいな狡猾な考え方を持ってデジタルに考えていくと、いわゆる正答に行き着くことが多いのです(と、受験生自体の私は感じていました。偉そうな物言いでごめんなさい)。でも、数学はそんな狡猾さとか、上っ面だけの論理では立ち向かえない…そんなことも、私が「数学って凄い」という尊敬の念を持った背景にあるのだと思います。 もっとも、そうやって「理科系人間・文科系人間」というように大雑把に人間を括ること自体が今の時代では難しいのかもしれませんね。