微妙な例ですが、とっさに浮かんだのは秀吉と家康です。秀吉は破竹の勢いで政治の頂点に登り詰めましたが、後継者を安定させる努力を怠ったようです。家康は遅いながらも着実に歩みを進め、早期引退までして後継者の安定を計りました。明治の在野の歴史家の雄、山路愛山によると、秀吉の臨終のときに、彼は家康を呼び、泣きながら後継者の面倒をみてくれと頼んだそうですが、一方では、家康は臨終のとき、もし後継者の息子が凡庸だったら切れと言い残したそうです。家康は、孫の世代まで考えていたようですね。歩みの遅い者は、自分より早い「成功者」の幸運な面も不運な面も共に他所から観察できるので、足の早いものよりも有利な点も在るようですね。
他の例では、殺されても殺されても歩くのを止めなかったベトナムに見ることが出来ます。圧倒的な兵力を持っていたアメリカでは、その数十分の一の自国民の死者が出たら、もう退却しました。最近でも、アフガニスタンでの破竹な勝利の後、石油に目をくらんでいたアメリカがアフガニスタンでの駄目押しを怠ったために、再びベトナムの繰り返しで、この先どうなるか分からない状況に追い込まれていますね。
私は学者の端くれですが、この世界ではウサギの失敗例は数限りなくあります。というよりもウサギであることは亀であることに比べて一般的には不利な素養です。ウサギのように能力の在る方は頭の回転が早く、他の人のやったことをそのまま難なく速やかに理解できてしまうので、一見どんどん先に進んでいるように見えます。一方、亀のように鈍重な頭の持ち主は、本や論文に書いてあることが中々分からないので、書いてあることをそのまま理解するのではなくて、一旦自分の言葉に直してから理解しようとします。その結果、頭の回転の速いウサギさんよりも遥かに歩みが遅いのが普通です。しかし亀さん型の学者は、いつも自分の言葉で理解しているので、長い目で見てウサギさんよりも深い所まで到達しているらしいという経験則が在るようです。学問は正しいことが至上命令ですが、早いことは二義的なことですので、殆どの場合、亀さんの勝ちです。
一方、お役人などは、早い反応を適切にしないと何も出来ません。正しいことにこしたことはありませんが、それでも世間を旨く動かして行くためには正しさは二義的なことです。役人では世間の状況を把握する要領の良さは大切な素養であり、したがって、頭の切れる人は役人に向いているようです。一方学者にとっては流行や世間に無関心で地道に努力できる性格の方が好ましい素養のようで、要領の良い人よりもどちらかと言うと鈍重な人のほうが学者に向いているようです。勿論この範疇に入らない方もおられますが、歴史的に見て、学者の世界ではウサギさんは例外で、亀さんの方が遥かに多いようです。
お礼
回答ありがとうございます。 大変興味深い内容でした。 #亀の成功例よりもうさぎの失敗例を探した方がいいでしょうか・・・^^;。