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人麻呂「あしひきの」はどこが優れるのか?
「高校で習ったあれは,いったいなんだったんだ!」シリーズ(笑) 英語カテゴリーでは「クジラ構文」を質問しましたが,こんどは国語の古文で。 教科書に「あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」(柿本人麻呂)がありました。ぼくは数十年後のいまにいたるまで,日本文学史上奈落の駄作だと思っています。けっきょく,「独り寝はさびしいぜ」というだけのためにながながと無意味な前置きを連ね,知能が低いのではないかとさえ疑います。むろん,古文の教室では,「あしひきの」が「山」にかかるとか,前置きは「ながながし」を引き出しているとか,発音すれば語呂がいいということは習ったと思います。それだけでしょう? 千年の時をへて学校教育で語り継ぐべき作品ですか。 むしろ,同趣意のものでは,草野比佐男の「村の女は眠れない」が,出稼ぎという社会問題に鋭くつっこんだ姿勢が高く評価できますし,眠れない理由を「有意味にながながと」のべたてて技巧的にもはるかに優れています。なぜ国語の教科書に採用されないのですか。 加藤登紀子の「ひとり寝の子守唄」も,夫が学生運動で留置場という背景を知れば興ざめにはなりますが(笑),曲そのものは「あしひきの」よりはるかに名作です。なぜ音楽の教科書に採用されないのですか。
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お礼
回答ありがとうございます。いろいろなご意見をちょうだいしたかったので,一晩水に浸けたままにしたため,お礼が遅くなりました。 これも芯打ちですね。寝床で悶々と,次第にさびしさそっちのけで作歌するおっさんを想像すると,なんともおかしいです(人麻呂が当時何歳だったのか知りません)。たしかに美学的こだわりですね。ぼくの理系的美学の限界は,そういう文系的美学がわからなかったことかもしれません。