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自由と平等

この間、『自由と平等』についてあることを知りました。 日本は自由と平等は「只で手に入るもの」と思っているけど、アメリカはこれらを「勝ち取るもの」と思っているのが一般的認識だ、と。 私は、自由や平等は当たり前のように存在するものと思ってはいたけど、只で手に入ると考えたことはないです。 これって、無意識のうちに只で手に入ると考えてたってことでしょうかね? みんなは、どういうふうに考えてますか?

みんなの回答

  • clys11
  • ベストアンサー率0% (0/3)
回答No.6

意識はしてないにしろ「自由・平等」は勝ち取るというか努力なしには得られないようになっているのではないでしょうか。ご存知のように日本は法治国家であって、法の前では、平等であるといえますし、自由といっても何をして自由なのかは個人差のあるところだと思います。法を守るという姿勢には法の目をくぐればいいという人もいますし、現実社会は、複雑で自分にとっての「自由・平等」とは、どんなものなのかをお考えなることが大切なのではないでしょうか。

  • Yanchaboy
  • ベストアンサー率29% (65/220)
回答No.5

日本では一応、憲法や法律では「平等」や様々な「自由」が保障されているので、本来だったら「只で手に入るもの」ですね。もっとも、現実はそんなに甘くないですけど...(^^ゞ いわゆる欧米諸国は国民の自由や平等をうたった憲法は、封建制度の政府組織を改革によって倒して樹立したものが多いです。それに比べて、日本の現在の憲法は、もちろん立案者たちの情熱もあったにしろ、どっちかって言うと、戦争に負けて「自由と平等を保証させられた」感が無いわけではないですね。(とはいうものの、戦争放棄なんかもうたってある今の憲法はかなり優れていると個人的には思ってますけど) その辺の事情が、意識の違いとして表れているんだと思いますよ。 個人的には-moi-さんのように「自由や平等は当たり前のように存在する」のが理想だと思っています。でも、自由が暴走すると自分勝手になるし、平等が暴走すると悪平等(同じ年に入社したから仕事の出来に関係なく同じお給料ね、みたいな)になりますよね。この辺は社会や自分の身の回りと調整して行くわけですが、それが「勝ち取る」という言葉で表現されるかどうか、じゃないですか?日本の「和」の概念も表現がちがうだけで結構、本質は同じような気もしますが...。

回答No.4

 やはり、自由も平等も自分で勝ち取るものだと思います。  部落差別というものをご存知でしょうか?彼らの先祖達が特定の職業に就いていた為に差別をされ続けてきたのですが、戦う事によって自由や平等を獲得していきました。今でも一部に差別は残っていますけど、昔、そういう酷いことがあったということを知らない人達が沢山いるのですから、大成功ですよね。  明治維新だって、見ようによっては自由を掴み取る為の戦いだと言えると思います。選挙制度も、男女平等も、やはり戦って勝ち取っていったという歴史があります。

回答No.3

自由や平等が、自分の体や家族のように、生まれたときから身近にあるものだったなら、当たり前のように存在していると自然に思えてくると思います。 もしかしたらmoiさんにとっての自由や平等は、家族などが只で手に入るものでないように、あって当然だけど、只で手に入るというのとは少し違う何か、なのかなと思います。その点はどうお考えでしょうか? 日本でも差別があったり、不自由な目にあってる人はたくさんいますし、そういう人たちにとっては、自由も平等も勝ち取らざるを得ないものだと思います。

  • Columbo21
  • ベストアンサー率15% (13/85)
回答No.2

ストレートな回答になっていないかもしれませんが、ご容赦ください。 私はこう理解しています。 「自由」は精神の問題。「平等」は実社会の問題。 だから、「自由」は当たり前のように存在し、気のもちようで、つまりタダで手に入れることもできる。 「平等」は建前として当たり前のように存在するが、決してタダでは手に入らない。

  • supraRZ80
  • ベストアンサー率51% (18/35)
回答No.1

moiさん、はじめまして。 いかにもアメリカらしい考えですね。 moiさんの意見ですが、やはり当たり前のように存在するもの=只で手に入るものということではないでしょうか? アメリカの場合やはりどうしても差別の多い国ですので自由と平等は自らの手で勝ち取るという考えなんでしょうね。 moiさん同様、あたりまえのようにあると思ってる人が今の日本人ほとんどだと思います。