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名字について質問です。

名字について質問です。 「数藤(すどう)」という名字について調べたら総数200件ほどで、特に徳島県と新潟県に多いようでした。 我が家は新潟の数藤なのですが、家紋は丸に沢潟紋です。祖父から聞いた話ですとルーツは滋賀にあるのではないか、という話でした。 この総件数から考えて、元は同じ家から分かれたものと考えてもよいのでしょうか。 また、徳島と新潟という分布の仕方も疑問に思っています。 やはり寺などに尋ねたほうが早いのでしょうか。 どなたかお詳しい方がいらっしゃいましたらお力添え下さりますと有り難いです。 よろしくお願いします。

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  • tanuki4u
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回答No.2

滋賀 徳島 新潟 江戸時代の大名の出身が、愛知県、三河と尾張が多いように、大名の家臣ですと、美濃・近江が多いそうです。 秀吉が長浜で城持ちとなったので、現地大量採用というやつ。 徳島というと、秀吉の部下蜂須賀家、新潟ですと堀秀政(美濃出身)が佐和山城主となってから越前、そして息子が越後へ。 それぞれ蜂須賀家・堀家に仕えていた親族が、徳島と新潟に臣従してついていった・・・なんて事じゃないかな? 名前で検索したら、十日町市のようで、 堀家 → 松平家 1610年に大幅減封された堀家。 12万石から75万石に加増だった松平忠輝は、上層部はともかく、旧堀家の家臣団を丸抱えしたんじゃないかな。 そして、その後天領になった段階で、大庄屋などとして土着した。 と、妄想してみました。

noname#202000
質問者

お礼

ご回答誠に有難うございます。非常に勉強になりました。 妄想とおっしゃられましたが、現実としてあり得そうに思われました。

その他の回答 (1)

  • doorakanai
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回答No.1

分家の可能性は充分あると思います。 私の苗字も関西と九州に少しいる程度です。 明治維新で九州(のどこか忘れた)から京都辺りに逃げて来た という話があります。 徳島と新潟という距離も、移住不可能ではないかと。 墓のある寺がはっきりしているなら、記録が残っているかも。 過去帳は没年月日と名前しか書かれていないので 地域は調べようもありませんしね。 それはともかく、こんなところであまり名前は 出さない方が良いのでは?

noname#202000
質問者

お礼

ご回答誠にありがとうございます。そういった例もあるのですね、勉強になりました。 ご心配頂きましてすみません。 自分自身の名字とは異なることと、この場合名字の由来も知りたかったこともあり、明示させていただきました。

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