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非核三原則って恥ずかしくないですか?
国内では非核三原則なんてものをふりかざし、 「唯一の被爆国として諸外国に核廃絶を求めていく」 などと言うせりふを聞くたびに恥ずかしくなります。 本気でそんなこと考えてるんなら、アメリカに対し 「日本が大量破壊兵器で攻撃されても、アメリカによる 相手国への核報復は一切拒否する」とでも宣言しなければ。 米の核の傘の陰から非核を訴えても、クレイジーなだけです。
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>「唯一の被爆国として諸外国に核廃絶を求めていく」 などと言うせりふを聞くたびに恥ずかしくなります。 理想論を笑い飛ばすのは簡単なんですよ。 >「日本が大量破壊兵器で攻撃されても、アメリカによる 相手国への核報復は一切拒否する」とでも宣言しなければ。 その動きはありますが、例えば小泉さんのように 国の重要な地位にある人はそれを大きな声で言えない のです。別に勇気がないのではなく、日本という1つ の国がアメリカと正式に結んでいる軍事同盟の ための条約、日米安全保証条約を破棄するか否かの 問題なので、多くの国民の議論と支持が必要な ためです。 >米の核の傘の陰から非核を訴えても、クレイジーなだけです。 後藤田さんが官房長官のころ、日米安保破棄の 1つの手順として、日米友好条約の締結という 案があったようです。つまり日本はアメリカの 敵ではないが、軍事同盟国ではないという 立場を国際条約上も貫こうというもの。 この議論の発端は、かつて旧ソビエトの ミグ25戦闘機が北海道に着陸したとき、 日米の強調体制について議論が持ち上がった のがきっかけでした。 石原都知事は、在留米軍からその専用空域、 駐屯基地用地の一部返還を求めると共に、 自衛隊の積極的活用を主張していますよね。 これも日米安全保障条約破棄、つまりあなたの 言う核の傘の陰からの脱出のための1つの 試みです。 あなたの言う核の傘の陰からの脱出は多くの 人がいろいろな方法で試みているんです。 ただ現状それらの試みは必ずしも うまく行っているわけではありませんが、 今の日本にとって、必ずしも楽な選択で はない核の傘の陰からの脱出を試みて いる理由」の1つは 「唯一の被爆国として諸外国に核廃絶を求めていく」 ためです。 >「唯一の被爆国として諸外国に核廃絶を求めていく」 などと言うせりふを聞くたびに恥ずかしくなります。 まだ日本はアメリカの核の傘下にある。しかし、 そこから脱出する試みを忘れていません。 核兵器開発を行わない唯一の工業先進国であり、 唯一の被爆国。こんな国はこの広い地球上で 日本ただ一国だけです。 堂々と核のない平和な世界実現と いった理想論を主張できるのは、この 日本だけです。 「唯一の被爆国として諸外国に核廃絶を求めていく」 というのは決して恥ずかしくない、正しい 主張です。
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- amleth
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甥つ子が忙しい てんで 今一度 あたくしが. 非核三原則 ありや誰も 信じちやあ をりません.造るの 持たぬの といふのは別にしても 持ち込ませず なんて 國會の答辯[べん]ででもなければ 恥しくつて 恥しくつて 口に出來るものでは ありませんて.その國會の場を離れても そんな事を 眞[ま]顔で口に出す者があれば まづは世間の信用を失ひます. 外國でだつて 誰が信用してゐるものですか.信用なんぞされた日には 大騒ぎに なる.そりや まづ アメリカが 氣の毒な目に合ふ事 必定[ぢやう]てえ奴です.「何だ アメリカは 日本に核兵器を持ち込みもせず アジアの平和と安定を 守れるとでも思つてゐるのか!」てんで 非難される事は 目に見えてゐます. 何時の世も 警察官の役どころてのは 辛いものです.右からも 左からも 白い目で見られるのですから. 言ふ方は 勝手です.責任なんて 取る氣は爪の 先ほども無い.まあ 第一に 責任だなんて そんな力量を持つ國は 今の處[ところ] アメリカ以外に あるものですか.なにしろ テロリストにしてからが 活動資金を アメリカ絡[がら]みで運用しやうといふ 世の中です.本當[たう]にアメリカが おかしくなつたら 連中は どうするのかねえ.金なんぞを 何の心配も無く送るなんて事ひとつでも その大もとは アメリカ頼りだといふことが 解らないのだ いや 解ると都合が 惡いのでせう.責任を 取らなきや いけなくなりますからな.責任を 取らなくて良いのなら アメリカだつて 總[すべ]てをテロで 片附けたくもなりませうに. いやいや 話が 脱線をして.で 件の「非核三原則」ですが 日本の國は どうにかあれを 守らずに來たからこそ 多少は眞面[まとも]な國であると 扱はれて來たのです.持たず・作らずは ともかくも 持ち込まずとの戲言[たはごと]を.何しろ 法律でも國是でも 無かつた事が 幸ひした.只の「決議」や「政策」だつた事がです. 尤[もつと]も 見識の無い事では 歴代の大臣中一二を爭ふ いや 「一押し」の 河野洋平氏は 「國是とし」などと國聯[れん]で 口走つてはをりますが もともと日本語を正確に遣[つか]へぬ事では「定評」のある男ですから 致し方無い.御許しあれ.全く あの ウマ・シカめが! 喋ると 必ず 傍[はた]迷惑な事を. 兎も角も ありや只の 政策なのです.ですから 明日からでも 止めたと言へば 濟む事です.何ならば 「いやあ 我々も アメリカさんには すつかりと してやられました.核は出入りをしてをりました.まあ これからは はれて 出入りを認めます」と やれば 良い.小泉氏ならば やつて呉れさうだと 期待してをるのですが. ともかくも 國内向けと言ふよりもつとせせこましい 當時の社會黨の 面子を潰さぬやうにと 與黨[よたう]の側も 恥を忍んで決議したに 過ぎない代物です.野黨[やたう]が人質に取つた「沖繩」の 「身代金」が 「非核三原則」の決議と言ふ事なのです.いや もう さうでもしなけりや あの時代 曲り形[なり]にも沖繩を 日本に戻す法案は 國會をすんなりとは 通ら無かつたでありませう. もし さうなつたら 誰が困つたかと 御尋ねですか? そりや 當時の社會黨などの 野黨が第一に 困つたでせうな. 實[じつ]のところは. 責任問題へと 發展しませうから.それでは 彼等の「黨[たう]是」に反する. 何しろ 「責任」の二文字は 「持たず・作らず・持ち込ませず」といふのが 社會黨の結黨以來の「三原則」で こちらは「非核三原則」の比ではない.見せ掛けでは無く 正眞正銘掛け値無し 嘘僞りなく 堅く守つてをりましたから.「非責任三原則」といふものを.いやいや 今でも その傳統[でんとう]は 續[つづ]いてをりますよ. それそれ 土井たか子女史をみれば 疑ひなんぞは 消し飛びませう? あれが 野黨の あるべき姿と いふものです.大したものでは ありませんか.北朝鮮の拉致事件への 言ひ譯なんぞは 「日本國中の 詐欺師が 手本にした」といふ 噂もあるくらゐで.しかも出身が 辯[べん]護士と來れば 事實には 目も呉れないのが 仕事てえくらゐのもの. 次に 朝○新聞あたりのマス・メディアも 1.5 番目あたりで 困りましたらう.いや 1.1~2 番と言ふべきか.部數を伸さう てんで 散々に 野黨やインテリ連中を 煽[あふ]りましたのでな.引込みが つかなくなると. ところで この「煽り技」 既に朝○は 前[さき]の戰爭中にも使つた事がありまして 手慣れたものです.御調べになれば わかりませう.先頭を切り 「軍部に較べ 政府の支那政策は 弱腰だ」とばかり 散々に讀者を煽り その時から 部數を急速に伸ばした事が.今でも「政府は手緩[ぬる]い」だの「弱腰」だのと その紙面からTVの御雇ひキャスターまで 同じフレーズを使つてゐる樣ですから 性根はなかなか 直らぬらしい.かつての 味を占めた記憶てえのが ありますから.二十一世紀も その「手口」で 行くやうですなあ. 尤も その變[かは]り身の早さと言つたら 竝[な]みの者ではありません.我が身に累[るい]が及ぶとなると 讀者に内緒で 既に逃げ道を用意し始める.「諸君」といふ雜誌あたりを覗いて御覽になれば さうした「前科」を 嫌になるほど 教へて貰へます.やはり 朝○も 「非責任」の三原則が 「社是」では無からうか とも. さてそして 次がやうやく 法案を出した自民黨の 佐藤内閣が 困るとなる. まあ 法案の成立が遅れれば 返還にともなふ實務も 豫[よ]定が狂ふ.そこで野黨との 無難な取引を考へたので.野黨は野黨で 引込みの附く今のうち 事を丸く納める必要が ありましたしなあ. 當[たう]時は 法案反對[たい]のデモも 狂暴でした.基地を殘して返還されるくらゐなら 法案なんぞ 白紙にならうと構ふものかといふ 支離滅裂な勢ひで ますます暴徒の樣相も 強まる有樣.そのまま行けば 野黨はデモを助長したと 世間の指彈を受けかねません.さて さうなると 「責任」の二文字が チラつきだす.と成れば 大變[へん] 黨是に反する てんで まあ取敢[とりあ]へず適當に 此處[こ]らでひとつ 手を打つ事にと なつたのです.いや 全くの 見事な役者振りですなあ 猿芝居の. しかし そもそも 「非核三原則」なるものは 本土はもとより 日本に戻る基地の島 沖繩にも アメリカの核は持ち込ませずといふ 萬一政府が實行なんぞを決意でもしたら 沖繩返還そのものも御破算[チヤラ]になりかねぬ代物です.もし さうなれば 世間は眞つ先に 無理難題を仕掛けた野黨の 責任を口にしやう筈.法律なんぞにした日には 忽[たちま]ち野黨は 消滅の危機となる.法律や國是でも無く それでゐて 議事録にも殘り新聞記事にもなるやうな 手立ては無いかと なけなしの 猿智慧を絞りに絞り やつと出て來た雑巾の 滴[しづく]といふのが「決議」といふ 毒にも藥にもならぬ代物で かくて兩者は 手を打つ事となつたのです.與黨にとつても半歩ほど 後ろに下がる「振り」くらゐは した事になりますし 野黨にとつても 與黨の首に手までは懸つたと 手柄噺[ばなし]である事無い事 吹聽する事も出來ませう? いや 何よりも 野黨は「黨是」に背く事無く 目出たし 目出たしと相成つた. まあ プロレス記事の「死闘」だの「殺人技」の類と思へば良い.誰ひとり 死ななくたつて黨事者で 文句を言ふ人は ゐやしません.あれを眞に受け 興奮するのは 餘程のもの好きな觀客の 極々一部です.プロレスの會場を 一歩出てまで正氣が戻らず 文句を言ふのは.ただし 聲[こゑ]だけは大きいもので 貴方や私などは それを聴くだに 恥しくつて 恥しくつて 堪らぬといふ事になる. しかし まあ 日本の野黨[たう]と來た日にや 御話になりません.まあ 自由黨さんあたりは 同じ野黨と ひと括りにされたのでは 御不滿もありませうが.眞面な大人からは 相手になんぞしても貰へぬものだから 鵜の目鷹の目で政府への 言ひ懸りの種が 何處[どこ]かに落ちてやしまいかと.淺ましい限りです. 私の親が 野黨の議員 殊には曾ての社會黨の 名殘りを引き摺る議員であつたなら 思ひ切り グレてやりますな.少なくとも 親の職業を 友達には 言ひません.恥しくつて 恥しくつて.親は 自民黨の議員だと言つた方が まだ救はれるくらゐ 恥しい事ですから. しかしながら 全くに 私はこれが 眞面な政治だ などとは思つてをりません.如何なる國にも 野黨を手懷[なづ]ける 裏取引はあり得ませうが 効率が惡過ぎます.搦め手ばかりで その間に費される 無駄といつたら 無いものです.人に恥づかしいと 思はせるのも 要らぬ無駄です. まあ マス・メディアが 事を煽るのです.殊には 朝○新聞などが 讀者の顔色を 窺ひながら.彼等にとつては 與黨も野黨も國民も まづは賣り上げの爲の 道具建[だて]であるに過ぎ無ません.「非核三原則」なるものも 彼等が本當に その必要性を信じてゐるなどと思つては なりません.只々讀者が 興奮するであらう事を 思ひ描いて 記事を作るのです.朝○は所謂 インテリ向けの新聞であると 自認してゐるやうですが やつてゐる事は スポーツ・藝能新聞と 何等變りありません.まあ その讀者の 日本のインテリなるものが 我が身だけは 世の愚かさを免れてゐると 胡座[あぐら]を掻いてゐる爲に 却[かへ]つて好いやうに あしらはれてゐるのでせう.彼等インテリなるものが その程度だと 言ふ事でもありますが. 兎も角も そんな事は 山ほどもある.せめて自分一人でも マス・メディアの吹く笛の音に 踊らぬやうに 心掛ける事が肝腎です. ところで日本が 核は恐い 悲慘だと 宣傳[でん]すれば宣傳する程 「核さへ持てば 日本を如何やうにも 脅す事が出來る」との「確信」を 諸外國に抱かせる事にもなりかねない.更には 核兵器による被害が甚大であると 眞顔で訴へれば訴へる程 世界中に 核兵器の有効性を 教へ囘つてゐる事にもなりかねません.いやいや 啓蒙といふものは 本當に難しい. 無邪氣に抱く己の意圖[と]と 受取る相手の思ひとは 全く別のものである事は 多少なりとも 世間の風に當つた事のある者には 疑ふ餘[よ]地の無い眞實[しんじつ]でありますのに 事が軍事に關[かかは]るとなると 途端に頭に血が上り その常識を忘れ果てる.まだまだ 修業が足らぬと言はれても 返す言葉も ありますまい. さて 初めにも言ひましたが 「非核三原則」などの有効性を 眞面に主張する者を 世間の方で眞面には 扱ひません.まあ 恥しくはありませうが 追ひ追ひ かうした 莫迦[ばか]氣た「決議」も 口にする者もゐなくなりませう.それ迄の辛抱です. さて「非核三原則」では 言ひ出しつぺの 佐藤榮作元總理は ノーベル平和賞を 貰ひましたが 私はTVで見た その記者會見か何ぞの時の 佐藤氏の表情を 今でも憶えてをります.何とも半ば バツの悪さうな笑みを浮べ 質問に答へてをりました.そりやさうでせう.こんな「政策」で 平和賞を呉れるだ等とはと その選考委員等の見識の程を 訝[いぶか]しく思つてをられたのでは無かつでせうか.或は 當時のソヴィエトが 日本に基地を持つアメリカを牽制する爲 手を囘したかと 考へてをられたのかも 知れません.たしか「呉れるといふのだから 貰ひますよ」と 答へてをられたかと 記憶してゐます. その佐藤氏は一方で アメリカに對し「日本の自主防衞の爲 核武裝を認めよ」と 捩ぢ込んでをられたと 聞いた事があります.癌で退陣を餘儀なくされた池田勇人總理も同じくアメリカに さう迫つたといふ事です.この爲アメリカは 重ねて日本の防衞を確約したとの事であります.佐藤氏にとり かうした經緯の上での「非核三原則」なのです.内心の 苦々しさは 思ひに餘ります.それでも 沖繩の返還を 實現させたのです. さて まあ ノーベル平和賞などといふものは その程度のものなのです.當時から.佐藤總理ほどの方が それを知らなかつた 譯がありません.今では アラファト氏から金大中氏までと 何が何だか. さういへば その文學賞も ひどいものです.なにしろ 大江健三郎が 貰ふのです. 私は これが 恥しくつて 恥しくつて 堪りません.
- amleth
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あたしの住む街にも 國道沿ひの役所の庭に 「ヒカクサンゲンソク」に似たやうな物が 薄汚く建つてをります. 嫌やだねえ.「カクヘイキハイゼツセンゲントシ」だとか言つて.いやはや 目には入る度に 必ず 恥づかしくなる.必ずです. しかも その薄汚れ方からすると 大枚の豫算[よさん]を使つただらうに 建てろと採決した連中も またそれを 責附[せつつ]いた連中も 今は見向きもしない事が よく分る.鳩と烏が交替交替 糞[ふん]をするだけ.車で通る度に 何度「阿呆か」と 口にした事か. ありや「カクシン」派の美濃部都政が 見境も無く作つて囘つた 役に立たずに肚[はら]の立つ 歩道橋のやうなもんで 流行[はや]りです 流行り.作らぬ事にや 「議會は流行に 遅れていいとでも 思つてゐるのか!」と 「シミンダンタイ」が騒ぐと厄介だ てんで その爲だけの おまじない です. だつて 宣言するも何も そもそも此の街に 核兵器の「か」の字も作る 金も力もあるものかね.百年經つたつて ありやしない.なのに 廢絶もヘツタクレもあるものでは無い. それとも 廢絶しろと 誰かに捩[ね]ぢ込みに行つたといふ 「記念の品」なのかねえ.しかし 何處へ談判に行つたんだい.外國か. だつて どう引つ繰返したつて まさか日本にや 核兵器なんぞ 作るところはあるまいに.いくら日本の 中小企業は優秀で御座いつたつて あればつかりは どうにもなるまいに. しかし どう見ても 中國語も露西亜語も 英語だつて 眞面に喋れる面[つら]は して無いがなあ.連中を 選擧のポスターで 見た限りぢやあ. 全く こんな事を 日本國中でとは. さう言やあ 死んだ親爺が言つてましたが 戰爭中は「撃ちてし 止まん」だの 「欲しがりません 勝つ迄は」なんて文句が あちこちに貼り出されて それを嫌がつてるなんて事が世間に知れた日にや 國防婦人會なんてえのが血相變[か]へてやつて來て 「非國民!」だの「賣國奴[ばいこくど]!」だのと 町内中 大騒ぎなんて事が あつたとか.それですよ それ. しかも その先頭に立つて 連中を 一番煽つてゐたのが 今の 朝○新聞だつたんださうで.だから親爺は 戰後一度として 朝○新聞は取らなかつたね.それこそ 「うちでは 取らん」「騙されません 二度迄は」てえやつだ. さうさう 語呂合はせと朝○新聞で思ひ出したが こりや戰後も戰後だが こつちの「サンゲンソク」ぢやあ無い もう一つの「ヒカクサンゲンソク」てやつを 知つてゐますかな.まあ 知らないだらうなあ 「いい本は 流行らない」てな事を 小林秀雄てえ偉い人も 言つてたくらゐだから.尤もこれは 或る方の ほんの 戲れ言[ざれごと]なのですがね. いや 評論家の 福田恆存[つねあり]てえ人の事です.この人も偉い人だつた.まあ 檢索すれば 出て來ますよ この人を 今も尊敬する人の サイトが.貴方みたいに 筋の通らぬ事の大嫌いな人ならば 一遍に 男惚れをすると思ふがなあ.もう 亡くなられた方なのですがね. その方の「平和論にたいする疑問」だの 今の憲法を論じた「當用[たうよう]憲法論」なんざあ 今讀んでも 新しい.何十年も前に書かれたものなのに.當用とは 目先の間に合はせと 言ふ意味です.當用漢字といふ 文部省ご推薦の 間に合はせ略字を集めた 妙なものが ありましたらう. で また この 御弟子といふか門下といふか 松原正てえ人が いい.あたしなんざあ その人の評論を讀むと 泣いちまふんだから.評論でですよ.そんな評論を書く人が 今 この世の中に をりますか. この方には 「戰爭は無くならない」てえ 本があります.もし無くなれば 人間は人間で無くなる由縁が 説かれてをります. まあ さうした題名や内容では 流行りには なりません.い~い本だからです.さう 丁度 貴方の疑問を 受け附けぬ人の數[かず]の方が 多いのと同じやうに. さて其の件[くだん]の「ヒカクサンゲンソク」なるものは 核兵器の事では無く 今言ふ 朝○新聞への三原則で 文字にすると 「非・書く・三原則」. 今でもさうだが 「反核だ 非核だ」と 讀者を煽[あふ]る朝○新聞を 半ばはからかひ 評論家として 「書かず」「讀まず」「取らず」の三原則を以て臨むといふのが それなんですがね. まあ 長々と 時間を取らせ 失禮をば.まだ 締め切らずにをられるやうなら 次には甥つ子が 伺ひたいとか.しかし 書いてゐるものが 間に合ひますか. 下記は 件の 野嵜さんといふ方の サイトです. Amleth の叔父 記す.
- masumi1226
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こんばんわ。 私は、恥ずかしくありません。 皆さんの回答も読みました。それぞれ、「そうなのかもしれない」と思う御意見ですが、私のイメージも書かせてください。 「非核三原則」を初めて知ったのは、小学校の教科書だったと思います。その時から今に至るまで、この”約束”に対する私の意見は一環しています。 「やられたからといってたりかえさない」というポリシーを感じるのです。 アフガニスタンやアメリカが、互いに報復と称する戦闘をしている今なら分かり易いでしょうが、攻撃されたことを理由に攻撃し返していては無限の苦しみが続きますよね。 中学校で先輩による後輩イビリはありませんでしたか?それに1年間耐えたからといって、自分が先輩になった時に後輩イビリをするのは下等生物のやることです。 「こんな事もう止めよう」と言うには勇気が必要ですが、代わりに気分良く学校生活を送れます。 それと同じ事が、核にも言えると思います。 日本は、広島・長崎で受けた大いなる被害を”武器”にしているのです。2番の方がおっしゃる事も最もです、原爆・そして平和について多くを語る資料館や、当時の状況を伝えて下さる語り部さんが沢山います。 「私達はこんな痛みを被りました。これはこんなに悲しくて恐ろしいモノです。もう使わないようにしよう。勿論私達日本人も、こんなもの要りません」 というのが 非核三原則の目的ではないでしょうか。 核の傘についてはよく承知していますし、shigekomoさんの意見にも同意できます。 だからこそ、これからはアメリカに対して厳しい拒絶の姿勢をとっていってほしいと思っています。 現時点ではまだその途中で、近い将来必ず傘をたためると信じたいです。
- hatman34
- ベストアンサー率34% (36/103)
No.10のものです。 >国家政策の根源である国防にまで建前を振りかざすようでは、まともな国とは扱われないですね。 そうなんです。その建前をやせ我慢でも守ってればまだしも、嘘をついているわけですから。 嘘はいけません。 日本が核武装すべきかどうかの議論に発展していますが、それについては、過去の質問(の回答No3)を参照いただければ幸いです。 http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=500646
>非核三原則を大切に誇りに思うのは、現状では無理ではないですか。 私やあなた、は、日本人であり、世界市民であり、自然人であり、宇宙人であり、一人間であり、そのようにいろんなあり方を問えます。 そして、非核三原則は、世界市民としての、宣言です。日本人は、世界市民でしょう。そして、その宣言の理由にあるのが、人道というものです。 つまり、一人間としての精神を、世界市民としての立場で反映するのであり、それを、になえるのが、核に密接に関わってきている、日本なのです。核兵器が、如何に非人道的であり、非自然的であるかを、世界における東アジアの列島、日本という地域は、色濃く知っているのです。その痛みを知る土地なのです。 日本人≦世界市民≦宇宙人≦自然人≦一人間≦俺・・・・ という具合に、社会の規模や、生活地の範囲、角度、そういったものを色々変えて、多角的に、多面的に検討してみると、非核三原則を誇りに思うことは、いいのです。この状況で、十分に可能なのです。 あなたは、日本人の一人として民主主義に従うとおっしゃっていますが、民が、自ら、自分達で動くことを、民主主義と言います。民主主義というのは思想であり、それに従うと言うことは、思想に従うと言うことで、自分自身を主体とした発言ではありません。 各々が、主体でありえる、社会のあり方が、民主主義なので、あなたの発言は、民主主義的ではありません。 あなたが、戦後の日本人としてならば、非核三原則、と、今の日本のあり方の矛盾に吐き気がするかもしれませんが、人間としてならば、堂々と、誇りに思えるはずです。 日本国内、国外の問題ではありません。 日本の国内には、食べ物から企業、マネー、思想、人種、「渡り」を行う生物まで、数えればきりの無い「国外」が、国内と、その土地にいるのです。グローバルな社会とはそういう社会です。 国内、国外、分離してどうこうできるものではなく、日本は、世界の中の日本なので、日本の中に世界があって当たり前なのです。 地図で考えて見るとこうなります。 日本という国は、国際というシールの上に、日本という、色はついているが透明のシールをのせているようなものです。日本は、国際のシールと、日本のシールでできているのです。 無論それらは、地球というシールの上にのっているのであり、地球も、宇宙というシールの上にのっているのです。 そして重要なのは、国際や、日本というシールがなくても、あなたや私と言う個人は存在しえると言うことです。 ソ連邦が崩壊しても、北~北西アジア、に生息する人々は、死なないでしょう。 そのソ連人であるという精神は、国の崩壊とともに、書き換えられたり、または崩れていったりしますが、一個人は死ぬわけではありません。 個性とはそういうものです。 >米の核の傘の陰から非核を訴えても、クレイジーなだけです。 雨に打たれていようが、打たれていなかろうが、今言うべきことは、今言うべきです。更に言えば、日本人であろうがなかろうが、国際人なら言うべきです。 核は駄目だと。 人間ならば言うべきです。人殺しは駄目だと。 社会的行動よりも、口が先に立つのは、言語によって成り立つ社会の宿命です。 もし、一部の言語だけで国が動くようでは、それはん民主主義ではありません。総意によって動くのが、民主主義であり、個人が総意に従うのが民主主義ではありません。総意が、個人の意思の集まりだからです。 また、日本の総意は、国際の総意に組み込まれます。 グローバルな社会ゆえに。 核保有を検討すると言うのは、軍部の権力を助長します。だれしも、戦争が身近に感じられるようになると、武装して身を守りたくなります。 しかし、二の舞になる可能性が低くない。俺は、日本人としても、国際人としても、反対です。日本が核兵器を持つ必要は無い。 アメリカは銃を認める社会ゆえに、民間人が、「自衛のため」に、銃を持っていることが多い。ですが、その「自衛のために」もっている銃が、銃社会を生んでいるのであり、結果、異常な銃犯罪社会と化しています。 この銃が、核兵器ならばどうでしょう。 この銃が、軍隊ならばどうでしょう。 世界は、戦争社会に戻る可能性が、少なくない。 絶対に駄目です。リスクが大きすぎる。 そういう選択は賢明ではない。 なぜ、体内にあえて爆弾を抱えなきゃならないのか? 危なすぎる。それは、悲しすぎる。 日本人が生きていけるのは、国際があるからであり、国際がありえる、つまり、人社会がありえるのは、地球自然があるからです。 核兵器、および軍隊は、日本だけでなく、国際、地球自然、そういうものも無差別に破壊します。 そうなると、結果的に人間には住みにくくなり、日本人がどう、アメリカ人がどうという問題はとうに吹き飛びます。全人類の問題であり、地球生命のうちの一つ、人類の生息を可能にしている、他の数多の地球生命たち、兄弟達をも、死滅させてしまうことになります。 駄目です。人道に反するし、生きることに反します。 自らを生かそうと採った自衛手段が、結果的には、自らの生だけでなく他生物の生までも、否定することになります。 自分の命と言うのは、自分だけで成り立っているのではないのです。 命と言うのはグローバル(地球的)でもあるのです。 軍隊、および核兵器は、駄目です。 これが、理想。 これは絶やしません。 アメリカ、日本、朝鮮、そういうばらばらな、ピンポイントばかりにとらわれると、視野が狭くなります。
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
参考程度に 「国内では非核三原則なんてものをふりかざし」 確かこれでノーベル平和賞をもっらった元総理大臣がいました。うそでも言い続けるとノーベル平和賞もらえるんですね。でもうそはいけませんね。やはり現実は隠さないようにしないと、子供の教育にはまずいですね。現実に沿った表現にすべきですね。「持たない、作らせない。」までですね。持ち込みは安全保障上の問題で認識しているとかね。
- cse_ri2
- ベストアンサー率25% (830/3286)
まあ、建前と本音の使い分けというのが正直な感想ですね。 非核三原則は力が正義の国際政治の上では、まったく意味 のない言葉です。 けれども日本には念仏平和主義者が大勢いますので(特に 非核三原則を決めた頃の日本には)、国内的にそう言って おくことは、内政だけを考えれば意味はありました。 外交的には意味の無い言葉であっても、言っておけば国民 の気持ちが少しは安定するからです。 どのみち、日米安保が堅持されていてアメリカの核の傘の 恩恵が期待できますので、非核三原則を宣言しても安全保障 上はまったく問題ありませんでした。 どのみち当時の核超大国であったソ連に対峙するには、アメリカ の核に依存しなくてはならなかったのです。 ただ国内政治も国際情勢も、時代の流れとともに変化します。 北朝鮮が本格的に核武装をはじめれば、対抗上日本が核武装 することも、真剣に検討しなくてはならないでしょう。 アメリカはアメリカ本土が核攻撃されれば、核の報復を必ず 行うでしょうが、日本が核攻撃されても核で反撃するかどうか は、疑問が残るところです。
お礼
ご回答ありがとう御座います。 やっぱり非核三原則は国内向けの建前ということのようですね。 たしかに、アメリカが日本のために報復するかどうかなんて、本当のところわかりませんね。 でもまあ、するかもしれないっていうだけで、それなりの効果はあるんでしょうが。
- hatman34
- ベストアンサー率34% (36/103)
恥ずかしいです。 1.N01さんと同じく、「自分で自分を縛るような宣言をするのはおかしい」です。 2.「作らず」、「持たず」 までは将来はともかく今は守っているけど、「持ち込ませず」は守れていないですよね。外国人はそこまで理解してないかも知れないけど、こんな大嘘を誇らしく宣言するなんて大恥です。 (国民を守るために必要な自衛隊」を否定する憲法9条を「世界に誇る平和憲法」と思ってるのと同じくらい恥です。
お礼
ご回答ありがとう御座います。 本気で自分を縛っているならわかりますが、縛るフリだけの宣言では仕方ないと僕も思います。 国家政策の根源である国防にまで建前を振りかざすようでは、まともな国とは扱われないですね。
- lack03
- ベストアンサー率13% (49/371)
世界から唯一の被爆国と言う眼で、意外と強く見られているから恥ずかしくないと思う。 持ってるから使うというより、核兵器自体は戦争抑止力としての役割がおおきいでしょ?
お礼
唯一の被爆国ということで「日本が何をされても核報復なんて起こしません」 とまで言うのなら立派だと思いますが、当然そんなことありえないでしょうし それなら、日本が必要とする核抑止力を三原則で見ない振りし続けるべきでないと思います。
むしろ、非常に賢明なあり方だと思います。 日本にとっては良好な国際情勢こそが存立の基盤である訳ですが (それなしには、1億3000万の人口を養えませんから)、 重要なのは日米関係・あるいは対北朝鮮の問題ばかりではなく、 中国・韓国を始めとするアジアの周辺諸国との関係(無論、その他の 地域の国々も、ですが)もまた、死活的に重要な問題です。 それを考えれば、日米安保体制と平和主義の主張とのバランスをとっていくやり方は、 21世紀の日本が国際社会で生きていく上で、賢明かつ不可欠な方策だと思いますが。
お礼
ご回答ありがとう御座います。 確かに、日本独自の核装備が国益に繋がるかどうかは僕も懐疑的です。 経済面を考えれば、韓国はともかく中国とは対立できないのでしょう。 でも、天安門の民主活動家を戦車で踏み潰し、今またチベット独立運動虐殺の 責任者を国家主席にした核保有国と対等であるためには、アメリカの 核抑止力が必要なのも確かです。そんな状況で「持ち込ませない」と 在日米軍の核装備にケチをつける意味あるんでしょうか? それに、周辺諸国の中でも、「日本に核が配備されたほうが アジアの安定化に寄与する」と思っているところは多いかもしれません。 21世紀の日本が国際社会で生きていく上では、これまでの様に、 曖昧で他所から無視されるような理想ばかり言っているわけにはいかないと思うのです。
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お礼
ご回答ありがとう御座います。 これまでにも、ご指摘いただいたような動きが世の中にあったんですね。 僕も、もし理想を主張するなら、自分自身がそれと矛盾しない状態で訴えたいと思います。 でも、本気で無防備になっちゃうというのは、極論で非現実的なのでは・・・