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非核三原則って恥ずかしくないですか?
国内では非核三原則なんてものをふりかざし、 「唯一の被爆国として諸外国に核廃絶を求めていく」 などと言うせりふを聞くたびに恥ずかしくなります。 本気でそんなこと考えてるんなら、アメリカに対し 「日本が大量破壊兵器で攻撃されても、アメリカによる 相手国への核報復は一切拒否する」とでも宣言しなければ。 米の核の傘の陰から非核を訴えても、クレイジーなだけです。
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>「唯一の被爆国として諸外国に核廃絶を求めていく」 などと言うせりふを聞くたびに恥ずかしくなります。 理想論を笑い飛ばすのは簡単なんですよ。 >「日本が大量破壊兵器で攻撃されても、アメリカによる 相手国への核報復は一切拒否する」とでも宣言しなければ。 その動きはありますが、例えば小泉さんのように 国の重要な地位にある人はそれを大きな声で言えない のです。別に勇気がないのではなく、日本という1つ の国がアメリカと正式に結んでいる軍事同盟の ための条約、日米安全保証条約を破棄するか否かの 問題なので、多くの国民の議論と支持が必要な ためです。 >米の核の傘の陰から非核を訴えても、クレイジーなだけです。 後藤田さんが官房長官のころ、日米安保破棄の 1つの手順として、日米友好条約の締結という 案があったようです。つまり日本はアメリカの 敵ではないが、軍事同盟国ではないという 立場を国際条約上も貫こうというもの。 この議論の発端は、かつて旧ソビエトの ミグ25戦闘機が北海道に着陸したとき、 日米の強調体制について議論が持ち上がった のがきっかけでした。 石原都知事は、在留米軍からその専用空域、 駐屯基地用地の一部返還を求めると共に、 自衛隊の積極的活用を主張していますよね。 これも日米安全保障条約破棄、つまりあなたの 言う核の傘の陰からの脱出のための1つの 試みです。 あなたの言う核の傘の陰からの脱出は多くの 人がいろいろな方法で試みているんです。 ただ現状それらの試みは必ずしも うまく行っているわけではありませんが、 今の日本にとって、必ずしも楽な選択で はない核の傘の陰からの脱出を試みて いる理由」の1つは 「唯一の被爆国として諸外国に核廃絶を求めていく」 ためです。 >「唯一の被爆国として諸外国に核廃絶を求めていく」 などと言うせりふを聞くたびに恥ずかしくなります。 まだ日本はアメリカの核の傘下にある。しかし、 そこから脱出する試みを忘れていません。 核兵器開発を行わない唯一の工業先進国であり、 唯一の被爆国。こんな国はこの広い地球上で 日本ただ一国だけです。 堂々と核のない平和な世界実現と いった理想論を主張できるのは、この 日本だけです。 「唯一の被爆国として諸外国に核廃絶を求めていく」 というのは決して恥ずかしくない、正しい 主張です。
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- farnorth
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恥ずかしくないです。 各国、建前とホンネはあるでしょう。ただ、建前を否定すると政治が成り立たないワケです。永世中立といって軍備を拡張し続けるヨーロッパの国があったり、非武装宣言を出して実はアメリカの傘下に入る中南米の国もあります。政治的配慮はあったとしても、この立場は理念そのものは「建前」として立派と思えます(「国民を守る」のが政府の、そして「政治」の第一の役割でしょう)。 日本のブレーキになっているのが「非核三原則」だと思います。これが安保に勝る「建前」です(たぶん、ね)。だから政治家には建前(公約とかマニフェストとかといってもいい)を大事にしてほしいと思うワケです。 かといって、自分が殴られたら殴り返しますよ。手が届けば(笑) これも比喩的ですね。非常時には非常時の対応を、できる範囲で個人的にするしかないんじゃないでしょうか。。。
お礼
ご回答ありがとう御座います。 「政治では本音と建前は別」ということもあるかもしれませんが、 そんな政治姿勢で、これまで日本が国内外問わず失ってきたものは 大きいと思います。 「国民の生命財産の安全のために、現状では核保有もやむを得ない」 とはっきり言っている国の言い分の方が、納得できるという点では上です。 建前を主張するためには本音の部分の犠牲が必要だし、それが出来ないなら 建前なんて対外的には無意味なんでは・・・ それとも、非核三原則は、とりあえずアメリカの核の下で反核論者を 自己満足させるための国内向けの建前ということなんでしょうか?
- coco1
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被爆者には本当にかわいそうですが、自衛の権利として、核兵器を保有する可能性も検討すべき、とした西村議員の意見に、全く同意です。 「核を持つべき」ではなく「核の保有を検討すべき」と述べただけのあのときの騒動ですら大騒ぎになってしまいましたが、平和を追求する手段としての武力の保持は、平和主義には矛盾しないと思います。 たとえは悪いですが、通り魔の被害者だって「今後は被害に遭いませんように」と強く念じるより、もっと現実的な手段として「今後は何か自衛の手段を保有しよう」と考えるでしょう。 それに、もし日本が核保有国だったなら、拉致被害者も無事だったかも知れませんよ。 それはそうと、#2さんの回答はいただけませんね。 私の本籍地は長崎県で、被爆者問題は他人事ではありませんが、核兵器よりもアメリカの狂気が恨めしいばかりです。戦争という正当な権利の発動の場で、人体実験をしたのですから。
お礼
ご回答ありがとう御座います。 僕も核保有の可能性を検討することには賛成です。 検討し、国民が本気で考えた上で、状況に整合性のある主張を するなら、核保有の賛否はどちらであれ、日本人の一人として 民主主義に従います。 とりあえずの僕の考えは、アメリカに守ってもらっているのに 非核神戸方式なんて言って米軍を締め出すのはおかしいし 対外的に非核を訴えてもばかげて聞こえるだけだろうということです。
恥ずかしくないです。 今までは、政府と国民は別とか言えたと思いますが、 理由は、日本は、先のアメリカ・イラク戦で、小泉さんは アメリカを支持し、それを日本人の半数が支持しました。 憲法9条とか、唯一の被爆国とか言ってきた。 もちろん、一般人は、一生のうち、その言葉を口にすることはないでしょうが、聞かれれば、”唯一の被爆国として大きいな声を出す権利があるか」と問われれば、YESとおおくの人が言うでしょう。過去にもそうだったかもしれませんが(きれいごとと本音は違うというのを明白にした)、それが、今回YESですよ。半分、YESということは「国民」として反対しない、ということです。 外国人は、「日本が(日本人含む)」御立派なこと言っても、相槌は打っても(便宜上)聞いていません。少なくとも、頭では。聞いてないんだから、恥ずかしくはありません。 大体、自衛隊を、軍隊(アーミー?)だとか、ないとか言う人のこと聞くきします。? 他所の国だったら。腰の刀だけでも、戦う集団なら、軍隊だよね。 日本人は、「言葉はタダの民族」と世界の衆知だと思うので、いまさら恥ずかしくありません。 勿論、日本人は、北朝鮮から深刻な攻撃を受け、アメリカが「核攻撃しなないけど、どうする?」、って言われれば、世論は、OKと言うと思います。 その後、恥かしい思いをするかと言うと、多分「日本人」は恥かしい、とは思わないでしょうね。それが、日本人の行き方です。 おかしいかと言えば、別に、正式な「国民投票」したことないですから、非核3原則も、 憲法9条も、自衛隊も、。悪い奴をやっつける時でも、核には頼らないと、国民投票してないですもん。 今、国民投票で、「非核3原則を貫徹するためにアメリカ軍の臨検を行うと、アメリカは日本から撤退すると言います。」日本は、非核3原則を現実的に実行するため、アメリカ軍の臨検を行うべきですか、と投票したら結果はどうなるでしょうか。 それが、「日本国民」の意思です。 街頭で聞かれて答えるのは、「意思」とは限りません。
お礼
ご回答ありがとう御座います。 確かに、国民の多くが「矛盾だらけの主張で、他所から相手にされず “言葉はタダの民族”と蔑まれても一向にかまわない」 と考えているなら、もう個人ではなにも言えませんね・・・
恥ずかしくない。 矛盾を抱えながらも、人の尊厳を守ろうとする宣言です。 非核三原則を持つ国。 その高尚さとは裏腹に、国民の腰は脆弱になっている。 非核三原則は、 日本が、 世界から、 預かっている、 一つの理想なのです。 大切にしなければなりません。誇りに思ってください。 それを、自らの都合で破棄してしまえば、それは、日本だけの問題ではすまないのです。その日本だけではすまない問題に、日本は太刀打ちできません。 グローバルな社会とは、そういう社会です。 >本気でそんなこと考えてるんなら、 本気で考えるのは、私であり、あなたなのです。 国が考えるのではありません。アメリカ、日本、どこどこ、そういう国家の問題ではなく、地球上の問題なのです。 地球の、家族問題です。 アメリカが、世界から預かっている理想は、「公正」だと思います。無論、アメリカも、矛盾を抱えながらも、それを必死で守ろうとしています。 そのように、各地域が、それぞれ、理想を世界から預かっており、国のなくなる日まで、それを保持していくのが、一つの国家地域の、役割であるのです。 理想。それは、世界中の歴史の遺産であり、世界に芽吹いた、人間のあり方を実現する萌芽なのです。 それらが全て育ち、世界中で森をつくり、それぞれ実をならせたとき、きっと、世界はすばらしい。 (矛盾をゆるせない正直さゆえのご質問だと、俺は受け取っています。しかし、非核三原則の訴えは、「日本」がしているのではなく、世界にある、日本と言う地域に住む、「一人間」としての行為なのです。 日本、アメリカ、そういう個別の国々の差異は、問題ではないのです。矛盾は、そこにあるのです。)
お礼
ご回答ありがとう御座います。 非核三原則を大切に誇りに思うのは、現状では無理ではないですか。 国民が核に対する無防備を本気で覚悟し、その上で米国の傘から 脱した上での宣言なら、僕も大変意義ある宣言だと感じるのですが、 アメリカの陰でコソコソ理想を言ったって他所では相手にしません。 アメリカが世界から預かっているという理想「公正」は、自国の都合で 使い分けるいいかげんな態度により地に落ちました。 日本の理想も同じではないですか?そんな建前を言ってるだけで 「国のなくなる日」を待つなんて可能でしょうか? 僕自信は、自分の国を無防備にするのは嫌だし、他所から見て 矛盾したようなことを言うのはもっと嫌です。
- trozky
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非核三原則に反対するような奴は、長崎と広島の 平和資料館を100回ぐらい繰り返して見やがれ。
- SCNK
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そもそも自分から手足を縛るような原則を作ること自体、ばかげています。人の国の核の傘に頼るくらいなら自分で装備すればよいのです。だいたい米国だってそんなに信用できるのでしょうか。国際政治に裏切りなど常套手段です。裏切られて泣くのは自分の国ですからね。 そもそも被爆国だったら真剣に核装備を考えるのが当然でしょう。こわいから見たくないといっているだけでは子供と一緒です。 もういいかげん、護憲だとか反核だとか、リアリティーのない議論は聞き飽きました。どうしたら敗北せずに済むかまったく真剣に考えようとしない、こんな馬鹿な国民は日本人だけでしょう。まったく理解に苦しみます。
お礼
ご回答ありがとう御座います。 非核を内外に訴えるというのは、おかしいとは思いません。 核の傘の下でそんなこと言うのが客観的に見ておかしいのだと思います。 アメリカの守りから脱して、無抵抗主義を貫きつつ非核を訴えれば 少しは諸外国に訴える効果もあるでしょう。 もっともそんなこと国民が承知するとも思えませんが、ただ、 そこまで議論してはじめて、核の是非をまともに考えることが出来るのです。 矛盾した現状よりは、少なくとも米軍の核持込を認める必要はあると思います。
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お礼
ご回答ありがとう御座います。 これまでにも、ご指摘いただいたような動きが世の中にあったんですね。 僕も、もし理想を主張するなら、自分自身がそれと矛盾しない状態で訴えたいと思います。 でも、本気で無防備になっちゃうというのは、極論で非現実的なのでは・・・