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美術や音楽は進歩していますか。

美術や音楽は進歩していますか。 今の時代、ダビンチやベートーベンの時代よりも進歩している(上である)と言えますか。

みんなの回答

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.19

宗教音楽が全盛の時代は、単調な感じでしたけど(旋律が決まっているから)、ビバルディーの四季を聴くと、うまく春夏秋冬を音で表していると関心しました。 その四季の夏のyanniバージョンの聞いて、「元祖を超えた」と思いました。 Yanniのバージョンだと「The storm」ってなっているんですが、その題名通りハリケーンが吹き荒れる様子を音で表している。 躍動感あふれる曲調で危機迫るものがある。 youtubeで「The storm」で検索すると聴けます。 メインでバイオリンを弾いてる二人は、もう何度も四季の夏を弾いたと思いますが、yanniに今までの弾き方を越える演奏を要求されたんじゃないかと。 昔からある楽器以外、ドラムやエレクトリックギダーやシンセサイザーなども使っているのですが、それゆえに奥行きが深くなっていると思えました。 yanniの音楽はまさにグローバリゼーションという表現がふさわしいと思う。 (地域の特徴を生かすってのが、本来のグローバリゼーション化) ちなみにベートーベンやモーツアルトが作ったオリジナル曲は、ひどいものだそうです。 編曲されて整えられたものが、彼らの音楽として世に通っているのだそうです。 美術に関しては、よくわかりません。 ピカソの以前の絵画を見たことがありますが、すごく感動を覚えた。 その忠実に写真 いや 写真以上に表現する技術を持っていたピカソの作品が3D調に変わってしまった。 一部の人しかその面白さがわからなくなった。 (一箇所の視点を故意に消すことで、あのように見えるようになるらしいです。) 印象派からポップ調になってしまった。 わからん・・・。 3Dから2D いや4Dになったような感じ? (光の速度を超えると、電車の向こう側もこっち側も同時に見えるようになるらしい。2点の視点を同時にひとつに世界に現す? わからん。) 昨日、映画AVATAの3D版を観てきた。 スクリーンの枠が視界に入らなければ、私はその場にいるとしか思えなかったと思う。 臨場感あふれおり、スクリーンの中の世界に自分がいる感覚に襲われた。 白黒映画をはじめて見た人が、蒸気機関車が走ってくる映像を見て「うわー」と思わず席から立って逃げたそうです。かなりの人たちが。 現代の私たちは、車がつっこんでくる映画を観ても、避けようとは思いませんが、3D映画を観たら思わず避けたくなるんじゃないかと。 AVATAでは、いろんな昆虫が自分の周りを飛んでいる感覚になり、思わず払いのけたくなったもん。 理性で「思わず払いのけたら周りの人に笑われてしまう」となんとか払いのけたくなり衝動を抑えた。 さらにこの映像が進歩したら、映画を観ながら観る人によって映像が違ってくるようになるかも。 一人の人はこっちの人たちが会話している映像を見ていながら、別の人はその人の後ろから会話を聞くとか。 映画によく音楽が使用されており、効果を高めますよね。 この前見ていたTVで、名前は忘れましたがある作曲家は今までに無い音楽と作ったと紹介していた。 それは、はっきりしない、イライラする、なんともいえない という曲風。 彼の曲風は、主にサスペンスものに使われている。 時代により表現の幅が広くなったり、狭くなったりしているだけで、一部と一部をピックアップしたら差がありますが、人類の歴史全体でみると、実は同じことを繰返しているにすぎなかったりするのかも。 それは呼吸みたいなもので、宇宙もそうだと言われますが、拡大と縮小を繰返しているだけなのかも。 あるポイントとポイントをピックアップしたら、大きな差があるので進歩と言えなくもないですが、よりよくなった とは違うのかも。 クラッシック音楽に慣れ親しんだ人が、叩くようなロックに感動しても、ロックに飽きたら繊細なクラッシック音楽の良さが認識できるようになるように。その繰り返しかもしれないですね。

  • o_tooru
  • ベストアンサー率37% (915/2412)
回答No.18

おはようございます あまり他の方の書き込みを、拝見しないで書き込んだ、14番のものです。「進歩」と「進化」の違いの論議があったのですね。全く理解せずに14の書き込みをしたのですが、微妙に当を得ていたようですね。(汗) 実は、「進歩」「進化」の違いがよくわかっていなかったのですが、こちらの書き込みを見ていて、少しわかった気がいたしました(ありがとうございます)。 「進歩」というのは、どうも古典的な考え方のようですね。目標に対してどれだけ近づいているかが、「進歩」と言うようです。古典の時代では、「神」が明らかに存在していました。よって、絶対的な「真理」「美」「善」なるものが存在していて、この世のすべては、それに近づくために存在していると考えられていたようです。 ところが、現在はこの世の中には、絶対的なものは存在しない。そこにあるのは、時代の変化に対応していく「進化」が有るという考え方のようです。 という考え方でよろしいのでしょうか?>16番さん

  • icky20
  • ベストアンサー率100% (2/2)
回答No.17

一定の技術的水準に達した芸術なら、2つの基準でその優劣を測れると思います。 1、純粋な意味での美  人間は美しいものを見たとき心打たれるものです。  多くの人に強い感動を与えられる芸術は間違いなく素晴らしいものです 2、表現手段としての芸術  絵画や音楽は、感情などの表現手段として用いられることもあります。  芸術に秘められた意味を解した時、それを賛美する人もいますが、  素人目にはラクガキ同然に映ることさえあります。 この2つを踏まえてどう思うでしょうか? 歴史的に優れた芸術には、見る前から感動する心構えがあったり、 長い時間をかけて、その意味を紐解こうとする人がいたりしますよね? 勿論、そのためには長い時間、人に評価され続ける必要がありますが、 淘汰に晒されてなお残り続けてきた音楽や美術は、(その是非はともかく) 人の手により価値が付加されていくものだと考えます。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.16

#6です。 面白い質問なので、連続投稿をお許し下さい。 >まあ、生き延びていくための隙間がたまたま見つかって、そこへうまく体を合わせることができ、潜り込めた(鳥やトンボが飛んだ)のが進化でしょう。 と言う視点は、進化の重要な事実を掴んでいると思いました。多分このことが、始めの質問「美術や音楽は進歩していますか」という疑問を提示する動機に関係しているのだと思います。古生物学の重要な成果の一つは、生物の進化の過程で、今までに地球上に現れて来た種の99.9%以上が既に滅んでいると言う事実の発見です。すなわち、進化とはそんなに甘くはないという事実の発見です。 余談になりますが、ダーウインは西欧におけるそれまでの神の創造説に立ち向かうために、『種の起原』の中で、生物の環境に対する適応に関して「絶対的適応」と「相対的適応」の概念を導入に、様々な例を提示して、生物の適応は相対的適応であることを実証しております。しかし、それでも現在のアメリカ人を説得できてはおらず、彼らの70%近くは未だに神の創造説を信じているという統計が出ています。そこで、最近ではアメリカの生物学者達はこの進化の失敗例を指摘して、神の創造説を否定する作戦に出ています。完全絶対な神が何で99,9%以上も失敗してしまうのだというわけです。 芸術も進歩と言う視点で捉えるのではなく、進化として捉えてみると、生物の場合と同じように、様々な試みのほとんどが死に絶えている可能性が見えて来ます。ですから、偶然にその失敗例の豊富さに気が付いてしまった方には、果たして、芸術は「進歩」しているのだろうかという疑問が出てくるのは、自然な気がして来ました。ここでは私は言葉を慎重に使って、進化ではなく進歩と言う言葉を使っていることを強調するために「」を付けておきました。もしかしたら、質問者さんは、最近になってようやく古生物学者達が気付き始めたことを、芸術の進化をご自身で洞察することによって、彼らから教わったわけでもなく、ご自分で発見してしまったのではないかと思えてきました。 このように、進歩ではなく進化として捉えてみると、生物の進化も、芸術の進化も、文化や社会の進化も、学問の進化も、皆「創造的な営み」の様々な表現として、共通項で括れて来ます。また、その視点で見て来ると、一方の経験を分析することによって、他方の経験が整理されたり、各々の事象の中で次に何が起こり得るかの予測も可能になると言う、生産的な側面が見えて来るような気がします。

  • ENERGEIA
  • ベストアンサー率10% (3/28)
回答No.15

 実際に聞いてみてどう感じるでしょうか。  私は、クラシック音楽はもともと興味が無く、あまり知らず、良いと思える曲も極一部分に限られます。バッハの平均律とか、ドビュッシーとかカノンとかボレロなどです。あとは知らないし、おそらく聞いても魅力的な音楽とは思わないと思います。  現代音楽のなかで、「これは100年後にクラシックの名曲として残るだろうな」と思う音楽はあります。それらは過去のクラシック音楽よりも良い音楽だと、主観的にですが思います。  絵画はよく解りませんが、気に入っているCGアーティストはいますので参考まで見てください。 http://www.kagayastudio.com/

  • o_tooru
  • ベストアンサー率37% (915/2412)
回答No.14

こんばんは、疑問はつきませんね。 さてご質問の件ですが、なかなか重い一球を投げかけられましたねw 少し哲学的な話になりますが、古典哲学では、私たちの目指しているのは、「真・善・美」であるとされてきました。世の中には「絶対的」なものがあり、我々はそれを目指していると考えてられていました。それをいかにこの世の中で実現していくか、それが芸術家たちの目標でした。(究極の実現は、神であったわけですが) 一方、ニーチェが「神は死んだ」と言って以降、この世の中は、お互いの関係の中に存在するという構造主義的な考え方が、主流になってきました。刹那的ともいえますが、「今目の前にある現実に目を向けていこう」という考え方です。 そういった立場から考えれば、どちらが上とか下とかと言うことではなく、音楽の表現形式の多様性のうちの一つなのだと思います。 哲学はあんまり詳しくないので 突っ込まれるとぼろが出るのですが おおむねこういったことだと思っています。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.13

#12に重要な誤植がありました。 中程の >ただ、、、のすぐ下の段落で、 そこにし住んで行ったわけではなく、 => そこに進んで行ったわけではなく、 と読んで下さい。

noname#112964
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.12

#6、10です。 >鷹も同じでしょうか? タカは人間の目から見ると如何にも勇壮ですが、生き残りに関して、果たしてトンボやチョウチョウよりも優れていると言えるでしょうか。アキアカネの大群を見たことがありますか。それに、メキシコの一角に毎年数億頭も集まって来る渡りをする蝶のアサギマダラの一種など、壮観です。タカはタカで、高空から小さいネズミを識別する目の構造の進化など、驚異に値します。皆、与えられた環境の中で、見事に順応しているようです。私には優劣はつけられません。 >この偉大な作曲家の出現は「進歩」or 「進化」? 形式が一旦与えられた段階では、目標も見えて来ますから、この場合には進歩でしょう。進化の面白さ奥深さは、今までになかった新しい形式をも生み出すところにあり、したがって、今までの範疇の基準では判断できない新しい側面を持ち込んで来ます。これを、分岐と言います。 >ただ、音楽や美術は人間だけのものですし、「美」という目的に向かっているように思うのですが、どうなんでしょう。 芸術が人間だけの物であることは同感です。ただし、生物の進化には目的や目標がないと言いましたが、ただ一つだけ目的が在ります。それは、「生きる」と言うことです。でも、生きると言う目的が必然的にトンボやチョウチョウを生み出したというのは言い過ぎです。その目的を達成するためにミミズになった生物もいるのですから。ですから、 生物は決してトンボになることを目的にしてそこにし住んで行ったわけではなく、生きるという目的を達成しようという過程で、成り行きでトンポになったのです。 芸術における「美」も、そう言う意味で、生物における「生きる」に対応していると思います。美とは前もってこれが美だと言う物が分かっているわけではなく、その美という目的を達成しようという過程で、成り行きでいろいろな発見や創造が成されているのだと思います。そもそも、前もってこれが美だという形式が与えられている物だとしたら、「創造的営み」なる言葉が意味をなさなくなってしまいますね。ですから、生物も芸術も「進化」という切り口から捉えると、本質的な共通点が見えて来ると私は主張しているのです。私は、生物の進化は自然による創造的な営み、芸術の進化は人間による創造的な営みと理解しております。 ここでは進歩でも進化でも、たまたま、「目的」という同じ言葉で何かを表していますが、その「何か」は進歩の場合と、進化の場合では、決して同じではありませんね。人間の言葉には時々このような曖昧さ(科学用語では縮退)があり、人々を混乱させてしまうようです。他の縮退の例は、英語では"Laws of nature" も "Law school” も共に "law" という一つの言葉に縮退していますが、日本語では、前者は「自然の法則」、後者は「法律学校」と呼んで、「法則」と「法律」のように縮退していません。上の文章の中の「目的」という日本語の言葉にも同じような縮退が在るので、進歩の文脈で使う場合と、進化の文脈で使う場合とでは、その縮退を上手に解きほぐして論ずる必要があるようです。

noname#112964
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • mrps
  • ベストアンサー率20% (14/70)
回答No.11

  美術や音楽は それ自体の進歩(この意味は様々ですが)よりも その時代そのものの影響の方が大きいものです。  ダビンチやベートーベンの時代は その作品に触れることが出来た人は ごく少数の限られた人です。  よって、その時代にリアルタイムに善し悪し(好き嫌い)を判断出来た人は その中の一部です。  この場合、人数でもあるし、階級でもあります。  ワーグナーのように貴族のスポンサーに抱えられて、活動してたのに 女を寝とって裏切るとかは稀で、 ほとんどの芸術家はスポンサーの喜ぶ内容で活動していたわけです。  今は、広く薄く、CD買ってくれそうな人たちが喜びそうなもので商売 しているわけです。  今も昔も、プロの場合はスポンサー有っての活動の結果が後世に 残ってきたものであって、それがそのまま芸術家としての力量とは限りません  で捉え方ですが、進歩といえば技術的には芸術家も過去の作品を研究 しますから、勿論進歩はします。してます。  絵画でも模写で本物より本物っぽく、最近X線で模写と解る代物まであります。 技術は進歩することが自然です。 退化はしません。  では、オリジナリティーに関してはというと これは個人の才能が大きなパーセントを占めるものですので 今とか昔とかではなくあくまで個人の技量とおもいますので 今昔で比べられないと思います。  その時の世の中に合った才能、そして運命がその芸術家の力です。  いつの世もダビンチクラスの才能を持った芸術家は世に埋もれています。  芸術は、進歩よりもいかに世にそれを伝え、その時の世に影響を及ぼすか がジャンルに拘らず その芸術の力量なのだと思います。  例えばビートルズはベートーベンやブラームスよりはるかに上だと バーンスタインが仰っていたそうですが(細かい内容は自信ないけど) 私なりに言いたいことは解ったようなきがしています。  よって進歩していると思います。

noname#112964
質問者

お礼

>ビートルズはベートーベンやブラームスよりはるかに上だと 言われてみればそんな気がします。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.10

#6です。 #7さんについてのコメントを書かせてもらいます。 「進化」と「進歩」は似て非なる物で、全然違った意味を持っています。確かに、 >「進歩」は、一つの目的に向かっている過程において「意味」をもつ言葉 です。しかし生物の進化を見ていると分かるように、生物が時間と共に経て来た変化は決して何かの目標に向かっているわけではありません。いろいろな偶然に作用されながら周りの環境と擦った揉んだをしながら、分岐が起こったり、あるいは収まるところに収まったりしながら、トンボが出て来たり、チョウチョウが出て来たりしたのであって、決して、前もってトンボやチョウチョウを出すシナリオがあったわけでは在りません。また、自然界がそれを目的や目標にしながら進んで来たわけでも在りません。私の#6での論説は、芸術も同じような経緯で変化しているのであって、何かの目標に向かって進歩しているわけではないと主張しているのです。進歩ではなくて、生物の進化と同じように成り行きまかせの意味で進化だと言っているわけです。また、進化には前持ったシナリオも目的も目標もないので、人事を超えた深みや予想外の驚きが在り、それが、我々の世界を多様で豊かにして来たと言っているのです。 人類が複雑な言葉を使って世界を分析しはじめてからまだ高々1万年ぐらいしか経っておらず、そんな未熟な経験で到達できる高みは、数十億年に渡って擦った揉んだしながら収まるところに収まって来た生物の進化に比べたら足下にも及ばないですね。人間が飛行機で空を飛ぶより数億年も前から生物は空を飛んでいましたが、飛行機の羽の断面は鳥の羽の模倣から生まれて来ました。最近になって、やっと昆虫のように空を飛ぶ小さなロボットが出来るようになりましたが、これも自然界の進化の結果の模倣です。例を挙げはじめたら切りが在りませんが、成り行き任せで進化して来た物は、こと程左様に、我々の未熟な頭で思い付くようなレベルを遥かに超えた高みにおります。芸術の発展も、目標だ目的だと我々の未熟な頭で前もって考えつくような方向に進んで来たわけではなく、我々の人事を超えた偶然や遭遇などの思いがけない出来事を契機とした、副産物や分岐の繰り返しによって進化して来たからこそ、目的のある進歩なんかで到達できるよりもはるかに底が深いレベルに到達して来たのでだと思います。

noname#112964
質問者

お礼

再度のご回答ありがとうございます。 生物の進化はおっしゃる通りだと思います。 まあ、生き延びていくための隙間がたまたま見つかって、そこへうまく体を合わせることができ、潜り込めた(鳥やトンボが飛んだ)のが進化でしょう。 ただ、音楽や美術は人間だけのものですし、「美」という目的に向かっているように思うのですが、どうなんでしょう。

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