- ベストアンサー
こんな子に育てた覚えは、なんてことあるんですか?
もっと言うと、こんな子に育てた覚えは無い、という言葉を額面通りにとったような、親の影響しない部分で子供が育つ部分の方が大きいことが、本当にあるのか?(根本的な部分)ということです。 物事には因果関係があるので、自覚なしの毒親に虐待されて育ち、内向的で自虐的に成長した子供を、毒親側が、上記のフレーズを発することはあっても、実際としての意味は違いますよね。お前が育てたからこんな子に育った、と。 むしろ、こんな言葉を吐く親はみんな毒親のような気がしてきますが、この言葉以外にも、こういった社会によって育てられるのだ風の言葉が存在しますが、それは表面だけであって、根本的には親の影響でしかないと思うのですが、どうなんでしょうか?心理学的にも、子は親との関係が最初に育む他者性なので、親との人間関係が良好でない場合は他者との間で問題が生じるようになる、というような、原初の親子関係の重要さが説かれていますが。。。
- みんなの回答 (9)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
仰る通りに、物事には因果関係があるとは思います。 子供は社会が育てるまえに親が育てるものであるのは明白な事実です。 子供が良いにせよ、悪いにせよ親の影響を受けて育つのは当たり前です。 また、こんな子に育てた覚えはない!というのはあくまでも無意識下は除外されているフレーズですので、表面的な部分しか見ない親ならば当然、わかるはずもありません。 ただ、昨今、全てを親のせいにする人間性が増えたように思います。 述べられているように親との人間関係が良好でない場合は他者との間で問題が生じるようになる・・・場合もある、というぐらいに留めておかないと他人のせいにする癖がつきます。 同じ親から子供達が生まれそれぞれ違うように、その親の悪い影響を受けない子もいます。 また、受けているようで全く違う形ででる子供もいますし・・・。 何より、最初から悪意で子供を育てる人間は居ません。 どんなにしても子供から見て100点の親は居ないのです。 結果的に悪意に見える子育て、毒親になったとしてもその過程では親もまた気づかない被害者なのです。 親にも親がいるでしょう?そういうことです。
その他の回答 (8)
#8訂正エリクトン→エリクソンです。http://pii-desu.hp.infoseek.co.jp/erikuson.htm
>物事には因果関係があるので、自覚なしの毒親に虐待されて育ち、内向的で自虐的に成長した子供を、 毒親でも親です、真っ新なら衣類に汚れが付くように、綺麗な模様なら周りから綺麗と美化されて、褒めて育つなら子どもには褒められた事が嬉しい、故綺麗な模様をつける事へ勤める様にシフトされます。 しかし、きたない汚れをつけたら、周りから叱責され常に指摘ばかりならで、つけた汚れについての否定なら良いが、つけた事での否定ですなら、その子どもの人格否定です。 人格否定をされた子に自分は所詮何をしても駄目だと思い込む抑圧され生きて行くんです。常に褒められ生きて来た子は常に視点が有るから、自分への優越感で出来る自分と表現出来ると言う概念です。 >毒親側が、上記のフレーズを発することはあっても、実際としての意味は違いますよね。実際としての意味は違いますよね。お前が育てたからこんな子に育った、と。 親からの二重否定ですよ。常に叱責で責めるなら自己実現は出来ないものと思い込むだけです。 誰も好き好んでそうなるかです、子育ては結果論です。 >むしろ、こんな言葉を吐く親はみんな毒親のような気がしてきますが、 親も同じ穴の狢と言う事です、親のアタッチメントがマイナスで養育されて着た家族性ですけど・・・ >この言葉以外にも、こういった社会によって育てられるのだ風の言葉が存在しますが、それは表面だけであって、根本的には親の影響でしかないと思うのですが、どうなんでしょうか? 集団社会学で言う脱個人化ですか?日教組が悪い、政治が悪い。。。 他者責任なら何処でも責任回避で行くこれが現実社会です。 これを言うなら、個人の富裕化です、昔の様な貧困時代になれば、お互い様意識が出るけど、所詮他人ではないか? 誰も他者に背向け、知らん顔、社会に無関心で居られると言う風潮が戦後の平和ぼけと言う由縁です。 >心理学的にも、子は親との関係が最初に育む他者性なので、親との人間関係が良好でない場合は他者との間で問題が生じるようになる、というような、原初の親子関係の重要さが説かれていますが。。。 エリクトン曰く、愛着とは乳児期に養育者との間で形成される愛着は古本的信頼の元で有る。 愛着・エリクトンで調べるとヒットしますけど・・・
お礼
お礼が遅くなって申し訳在りません。 エリクソンの発達段階、非常に参考に成りました。子育てはかなり神経をはらないといけない行為なのだなと再確認しました。 回答ありがとうございます。
- mama4615
- ベストアンサー率18% (987/5267)
初めまして 二児の母です。 親と子 だけで 成り立っているなら その言葉は吐かなくても済むでしょうね。。 だけど 実際には 親が居て、子が居る、だけど子供にも交友関係がある。 そして 個々に性格がありますから、その中で 子供が成長するには 良き事も悪き事も学びます。 親が知っている子供は 一面であり、友達に接するときの顔/先生と接するときの顔/彼氏彼女と逢う時の顔 等様々ですからね。 親の知る顔 以外を見た時に 感じるのが《こんな子に育てた覚えは無い》って事じゃないでしょうか? でも、、それって 色々な顔はあって当たり前ですよね~。 ずっと同じでは疲れちゃう。 その言葉だけを聞けば《何だその親》ってなりますが、経緯を知れば理解出来る事もありますし、親子の今迄の経緯によっては 厳しい愛情 ともなりますよね。 誰にでも好かれる 事は 不可能でも 有る程度の人に好かれた方が良いと思えば、親は理想を現実にしようと育てますから。。。
お礼
お礼が遅くなって申し訳在りません。 確かに納得です。厳しい愛情というものも存在するんですね・・・お互いの信頼感が成り立っていないと、すれ違いに成りかねない愛情ですね。。 回答ありがとうございます。
- Tori_30
- ベストアンサー率27% (653/2415)
自分の事を振り返るに・・・(自分もその言葉を言われた事あります。) 僕は途中までは概ね親の意図した通りの子供だったと思う。 優秀ではないけど、いわゆる”素直な良いコ”。親に反抗などせず、疑問も持たず。親を憎む事などもしない。操り人形のような子供。 道を外れたのは、親元から離れて一人暮らししたあたりかな?いや、中学校や高校あたりでもその芽は既に出ていたような気もする。 僕の場合は、親の「親を大事にしろ。それがお前の幸せ。その為なら誰を裏切ることになっても良い」というメッセージに疑問を抱いた。そして反抗した。 世界征服などの野望が成就しないのと同じで、親の願望が全て成就する事なんかあり得ないんだよね。 親以外にも大人は沢山いるわけで。親よりも偉くて人格的に完成された大人なんか星の数ほどいる。それに、親が社会のルールなわけでもない。ルールブックは別にある。(”現実”という名のルールブック) 親の理想がルールブックから外れてくれば、次第にそういう「こんな子に育てた覚えはない」ってのが顕著になってくるんじゃないのかな? 僕の場合は、前述のメッセージが社会からあまりにも外れていた。(そりゃそうでしょ。約束は守るのが是。それに反する親のメッセージは合理的ではなかった。強制力だって親なんかより社会の方がずっと強いし。それが現実。) 僕の場合は、優秀さじゃなくて心の在り様が親の期待から外れた例だけど、優秀さを期待していたケースにもこれは当てはまると思う。 つまり、親の教育が現実から外れていた場合だよね。良い具体例はうかばないんだけどさ。
お礼
お礼が遅くなって申し訳在りません。 親の認識と子供の認識が食い違う状態ですね。子供に自分の理想を押し付けることは、百害あって・・・なのかなと思いました。(最終的に 回答ありがとうございます。
>根本的には親の影響でしかないと思うのですが、どうなんでしょうか? 子供の性格は遺伝と環境によるとしかいいようがありません。 同じ親から生まれ、同じように育てたところで正反対の性格に なるというのはよくある話で、そのあたりは子供を二人以上 育てたことのある人なら実感としてわかるのかもしれません。 (絶対違うというわけではありませんけど) まあ、そういう無責任なセリフを吐く親に限って・・・・ というのは一般論としては、同感ですけどね。
お礼
お礼が遅くなって申し訳在りません。 親だけの問題ではなくて、不幸にもその両者の性質や性格が必然的に合わない場合があるのだなと思ったりしました。 回答ありがとうございます。
子供が本当に親に愛されて本当に満足してるなら まず 親を悲しませるような事はしないでしょうね。 周りの影響とか言いますけど 自分がしっかりしてれば影響される事もないだろうし 周りや親のせいではなく自分自身がしっかりしてないからこんな子に育てた覚えはないなんて親に言われてしまうんじゃないですかね。 でも最近は本当に無責任な親もたくさんいますよね。 そんな親には子供にそんな事言う資格はないですよね。 親から愛情をいっぱい貰った子供は きっと親にいっぱい愛情を返そうとするはずです。だからきっとそんな言葉も子供に言う事も言わす事もないと思いますけどね。
お礼
お礼が遅くなって申し訳ありません。 確かに同感です。親と子供が色々な事情で食い違ってくる場合もあるのだなと思いました。 回答ありがとうございます。
- toshipee
- ベストアンサー率10% (725/7148)
少し雑感吐露するね。 いやいや、いちばん影響力が大きいのは、親だ。基本的な性格の本質の差はあるとはいえ、「親はなくとも子は育つ」のは、フォローする環境があるからに過ぎない。なければ、10代でも赤ちゃんポスト行きだろ?そんな子が、自分を見つめてみても心に悪の部分なしでいられるとは思えない。その悪の部分を持つ自分が教師をし、信頼されることがある。見本は周りの大人。当たり前は親。居なければ、祖父母、叔父叔母、再婚相手。だけれど、どんなにいい子でも、心の傷は周りの人のために隠しているもんだ。それを「ちゃんと育っている」と自分も周りも思いたいだけだよ。事故が傷つかないためにね。上っ面だけ見れば、育っているんだろうけど。泣きたい気持ちは、ほころびをつつけば、すぐあふれ出る。そんな子をたくさん見てきて、一度は、素直に泣かせてみたいと思って、私を信用してもらえば、泣いてくれる。その多くの事実から考えて、そんな子に育てたから、今があるんだと思う。自分のしがらみ故の不幸を一度しっかり見つめてから次へ行かないと、封印のままでは、上っ面の人生になってしまうと思うんだ。
お礼
回答者様に出会えて泣かせてもらえた子供達は幸せでしょうね。親の影響力の大きさが負の意味では親でしかないことがよく理解できました。 回答ありがとうございます
- toteccorp
- ベストアンサー率18% (752/4134)
子供がどう育つか想像できませんよ。 性格もそれぞれ。 子供を同じように育てても同じような大人にはなりません。 親がいなくても子供は育ちます。 親の影響は非常に大きいと思いますが、学校や兄弟や友達の影響も非常に大きいと思います。 子供はいろんな影響を受け勝手に育つのです。 親の思い通りに育つ子はまれではないでしょうか。 少しでも親の理想に近づくように躾け教育するだけです。
お礼
性格も先天的なものはあれ、性質に関しても親との関係は絶大のような気がしたのですが。。半々なんですかね。いろんな影響、といってもその子が吸収できる影響しか影響といわないのですから、やっぱりその土壌は意識、無意識の差はあれ親によるもののような。。。(向き不向きなどとは違って思考や性質など 確かに、思い通りに育った子、はあまりいないのかもしれないですが、思惑によらない部分によって育ってしまった子?(といえど親の影響に違いないもの)は多いような気がしませんか?
お礼
お礼が遅くなって申し訳在りません。 表面的な部分・・・いかにもです。仰る通り、都合良く親のせいにするのは自分もそうであると証明しているようなものですね。 回答ありがとうございます。視野が広がりました。