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うつ病は甘えという言葉をよく目にしますが、なぜでしょう?

鬼の首をとったかのように同じフレーズが書き込まれるのを見ていると、まるでダチョウ倶楽部の「押すなよ」のようにそう書き込むお約束があるのではないかとさえ思ってしまいます。 私が気になったのは 1)なぜ具体的な病気自体に対する議論がスルーされて人格攻撃に走るのか? 2)甘えというのは具体的にどういう意味か? 3)実際のところうつ病は甘えなのか? の3つです。わかる方教えてください

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.5

素人ですから間違っているかも知れませんが、書いてみます。 1)なぜ具体的な病気自体に対する議論がスルーされて人格攻撃に走るのか? 是は、うつという事がどうして起きているかが分からない、或いはうつそのものが分からないために、専門医でさえも病名がみな違っているという事と思います。議論するにも議論するネタが分からないためと思います。 2)甘えというのは具体的にどういう意味か? それは外見からは判断できないためと思います。見たところは何も悪くないように見えているという事です。心が苦しい場合には、本人が黙っていた場合には、他人にはわからないという事と思います。心が苦しくて本人は「何もできないと思ってしまう」そういう否定的な心になっているという事と思います。 3)実際のところうつ病は甘えなのか? 本人の心の中は大変苦しい思いをしています。何もできない、何もしたくない、何もかもが嫌になったという感じでしょうか?思うところのものを全て否定してしまっている状態が、うつというものと思います。 それは甘えなのか?という問いに対しては、本人は甘えではなくて出来ない。したくても出来ないという主張があります。傍から見ている人には出来そうに見えていると思います。それが甘えに見えています。 この現象は「心」にありがちな現象です。人間の心は「肯定」と「否定」で成り立っていると思えるからです。誰の心も何時も自分自身と対話をしながら暮らしが成り立っています、自分自身と相談しながら何事も決めています。 ところがあるきっかけが有って、自我意識がもう一人の自分と対話ができなくなってしまいます。これがうつの心のからくりです。自我意識は自我意識だけでは成り立っては、ゆかないように出来ています。自我意識の機能が関係してきます。自我意識だけでは自分の感情を制御できないように出来ているからです。 人間の自我意識の考えることは「計らい」と言って「分別」で出来ています。是は好きと嫌いで割り切ってゆく事とも符合しています。処が人生には「自分の好きなこと」ばかりに遭遇する訳ではありません。この事がうつの発症の原因を作っています。 人間には自我意識の他にもう一つ意識或いは意思、或いは人格が備わっています。この人格は全てを肯定しているものと言えます。この人格は「無意識の中にいます、或いは潜在意識として」存在しています。自我意識には漠然としてしか意識は出来ないようになっているようですが、自我意識の心をそわそわさせたり、不安にさせたり、楽しくさせています。 この意識は自我意識といつも一緒に同じものを見ています。子供が何も知らないのに、怖いものを見たときには、怖いと思います。楽しいときには楽しいという感情を抱きます。何も教えなくても全て知っているものが人間の脳には生きるために、或いは身を守るために備わっています。 動物が何も教えなくても暮らしが成り立って、ゆくように人間にも同じ命そのものの働きが備わっています。自我意識は分別で物事を学んでゆきます。自我意識は割り切れない事には歯が立たないように出来ています。明日の事を決めることは自我意識の分別では出来ません。如何してかというと割り切れない問題が存在しているからです。未知の事は計算できない要素があるからです。 自我意識には感情を自由にしたり、この人と結婚したら幸せになれるのか?という事の判断などは出来ないように出来ています。何故ならば「割り切れない問題」が含まれているからです。そういう時には普通では自我意識がでしゃばらなくて、もうひとつの意識に判断をゆだねています。 この事は分かり難い事ですが、自我意識がでしゃばって、自我意識が単独で判断しようとする事が、うつというものになっています。自我意識の機能の範囲を超えているからです。従って「全て否定的になって」しまいます。 従って結論ですが、うつの状態とは、自我意識(左脳)の分別心のみで自分自身を制御したり、」世の中を渡ってゆこうとしている状態です。その時にはもう一つの意識が「救いの手を差し伸べようとしています」そのアピールが分からないことから、自我意識は困惑していると言えます。 そうしてもう一つの意識はそのアピールをもっと強く発信するようになります。これが「症状を」強く感じるということになります。自我意識はますます自我意識のみになって「否定感が強くなって」何も出来なくなってしまいます。 是は甘えではありません。心の構造上、自分の肯定する心を否定し続けている事であって、全てを否定しているという事になっています。他の言い方をするなら心を病むという事は自分の心の矛盾に、自我意識が気がついたということになります。心の矛盾がうつを作っていると言えます。

その他の回答 (4)

回答No.4

私も鬱病患者です。 鬱病と診断されまだ数ヶ月です。 この病気を知るため たくさん書物を読み調べました。 なぜ知りたかったか・・私も質問者のような考えがあったからです。 認めたくなく でも認めたざるを得ない状態になった為 病院へ行き 薬を飲みながら毎日試行錯誤し生きています。 無知ほど怖いものはありません。 NO1の方おっしゃるとおり、「鬱にならなければ知りえない現象」があります。 甘えや 批判 など言いたいことは、わかります。 でも患っている当事者の気持ちなど医者や家族がわかるわけがありません。だから家族や周囲の方は 近くに鬱の人がいれば調べてください。 私は思います。うつ病は周りや家族の理解から治るものだと。 「ツレがうつになりまして。」をご存知ですか? 質問者の答えにはならないと思いますが。ヒントになりますよ。 最後に一つだけ うつ病は甘えではありません。実際に甘えることができるのならば 私は鬱病にならなかったと思っています

回答No.3

私は思いますが 若い人、20代ぐらいの鬱病は、怠けや甘え。 なぜなら、まだ若いから世間を知らないし、仕事のストレスもない。 しかし30代過ぎてからの鬱病は、甘えではないと思います。 もう大人の年齢ですから。 鬱病であっても、自立して生計をたてている人はいますから それは「甘え」ではないでしょう。 「鬱病は甘え」という人がいますが、そういう人の家族は鬱病が 深刻化します。 知り合いでいましたが、奥さんはまったく社会経験がない人で 世間知らず。 旦那さんは、鬱病になり、奥さんが「鬱病なんて甘えじゃないの」 と責めてしまい、余計に鬱病が悪化。 旦那さんは、自殺したそうです。 本当にご家族としては、気の毒ですが、尻を叩いてでもがんばらせ ようとした結果、こうなってしまった最悪のケースだなと思いました。 その奥さんは知ってますが、悪い人じゃなくて、正直なところ 「本当の意味で物事がわかっていないタイプ」だと思いました。 そういう奥さんの旦那さんに限って、神経質で繊細で、人に気を使う 性格だったりするんですよね。 鬱病は甘え、といいきれる人は、鬱病になるほど、物事に悩んだ ことがない、根は呑気な性格だと思われます。

  • cibone
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回答No.2

うつ病に限らず、心の病全般について言えるかと思いますが 一般の人が、その病そのものをわからない、知らない、無理解から そのように考えるのだと思います。 また、心の問題は、目に見えないだけに わかりにくく、その病を理由に仕事などをしなくなってしまうことから、 サボっている、ずるい、仮病だ、という風に写るのではないかと思います。 できれば仕事などをしたくないと思っている人間が、半分はやっかみで、そのように言いたくなってしまうのかもしれませんね。

  • kurisogeno
  • ベストアンサー率31% (558/1746)
回答No.1

鬱病と10年以上も付き合っている者ですが、 1に対する答えは、 無知過ぎるのです、病気の原因や症状が他の症状と違い、 表面に現れ難く、精神的と言う曖昧な表現で表しかねい現状では、 弱い者をいたぶり易く、攻撃しても反撃や反抗も少ないのが原因と思います。 2の回答 以前から、精神を犯される病気になる人の多くは、気が弱く社会生活に 馴染めない人と言う勝手な憶測が生んだ勘違いです。 3の回答 この病気の恐ろしさは、鬱にならなければ知りえない現象があります、 単病(単一の病気)と違い、鬱になる事で他の精神疾患を引き起こしかねない病気であり、『心の持ちよう』と言う簡単な事で解決できるほど 生易しいものではありません。 しかも、体外の圧迫や触圧等によっても、他の疾患を引き起こしかねない病気なので、単純に・気軽な会話などで死に向いて しまいかねません。 ただ、この病気を悪意的に利用する人が多くその人達の為に 真病なのに、疑われたり知識の無さ無関心などが、『甘え』に繋がって いると思います。 正しい知識と、人の心を思いやる事が出来なければ、鬱の病気を正しくは理解は出来ないと思います。

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