こういうテーマには私も興味あります。
カウンセラーもひとりの人間です。ですがカウンセリング上、クライエントの問題に自分の問題に共通や似ているものを見出して逆転移を起こす場合もあります。それを防止するために、時間やお金、スーパービジョンなどの枠組みを設けカウンセラーは自分を守ります。またカウンセラーを目指す人は自分でも心の疾患を抱えて苦しんだりした経験者が多いとききます。
他人の痛みを知り共感する気持ちを生かす…素晴らしいことですが、ですがそこに欠点もあると思います。
その人が作る家庭は、自分が初めに生まれ育った家庭環境の問題を反映するとききます。また恋愛もその未解決の問題が現れる場なんです。
たとえば虐待されて育ち、親を反面教師とし、自分は逆に同じ目に会った人を救いたいという志でカウンセラーになったけれども、子供に対しどうも愛情が抱けないという場合。親を反面教師にするつもりが教師となっていたり、逆に過保護になってしまったり。自分の分身だからこそ、生の自分の問題を解決してしまうのは職業以前におのずと出てしまう傾向があるのではないか?と私は考えてます。
たとえば教師だって犯罪をおこします。信じられない。こんな人が子供の教育を担ってたの?というような。
でも教師も本当に大変で、純粋な理想だけではやっていけないことでしょう。養育者や他の教師や教育委員会などとの人間関係で丸くなってしまう。教師という仕事はとても抑圧されたものだと思います。抑圧されたものは心が納得して受け入れない限りはけ口を求め続けますから歪んだ場合犯罪につながるのでしょう。
同様に親という模範であるべき役割を担っていれば、やっぱり理想と現実のズレからの悩みも普通の人間、また親であるのなら当然生じるでしょう。クライエントには感情を表してはならないけれど、イライラしているときなど子どもについあたってしまったり。カウンセラーとしての役割上での知識と経験という客観よりも前に、愛情や悩み、感情、自分の中のインナーチャイルド的な未解決からの投影、同一視などの主観があるでしょうし、子育て上で失敗もある。しかしそれが自然なことなのです。
大切なのは、常に親としての自分をモニターすること。個人的な問題を子供で解決しようとしてないか、ただの感情のはけ口にしていないか、子供を自分の心の問題に利用し、すり替えをしていないか、怒りと叱るを違えてないか等々。それはカウンセラーのみならず、すべての養育者、大人にいえることなんですがね。専門的な知識や経験をそういうときに生かすことができる、また他の養育者にもアドバイスできる。それはカウンセラーも人の子、人の親という共通点における大きな違いだと思います。そのとき自分が学んできた知識や経験が役に立つでしょう。また不自然に適用ばかりしていると、子どもの感性というのは非常に研ぎ澄まされ(ほとんど無意識状態にいるそうです)るわけですから、自分への対応が自然の愛情からか、理屈にそっているだけなのかいやでも感じてしまうわけです。すれば親への不信感につながります。しかも親のやっている仕事として子供の自分にも明確なのですから。自分の子供であり患者ではない、という線引きは非常に大切なのです。自分の悩みを話す相手は自分の個人的な生活に関わらない人が適していると理論上でも説いています。私も家族を看るというのはあってはならないことだと思います。カウンセリングではなく、育てる、ということに知識などの利点を上手に使うべきかと思います。
蛇足ですが…昨今の死亡させるまでの子供への虐待を鑑みるにつれ、皆「親にならなければならない」という強迫観念を持って捨てられないのかなとふと感じました。親になってはならない人というのは確実に存在します。また自分がいわゆる「インナーチャイルド」を抱えていて、養育者になる自信がないのに産むというケースが大半であると感じてます。
人である限りは当然結婚し、子供を産まなければならないという思考上での慣習もある限り、それに適さない人、虐待されるなど個人的な理由から親になる意志がない人には大変なプレッシャーです。(ジェンダー問題にもからんできますし)
もう少し柔軟で選択肢が広く、そういう繊細な問題にも共感できる社会だったら、このような社会問題、子供の受難も減るのではないかと思ってます。
お礼
職業と生の人間性との兼ね合いはなかなか難しいようですね。私も、無意識的な力の大きさと言うものを信じています。だからこそ、意志でどうにかなるとかいう問題じゃなく、もっと心の奥底にあるところのものと対峙しなければならないはずです。