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優しさや思いやりは痛みなくしては出てこない?
質問タイトルの通りなのですが、 人の悩みや苦しみ、悲しみを自分の事のように受け止め、 あらゆる偏見を受け止める度量を持つ人とは 自分自身があらゆる経験、特に人の痛みを我が事のように思い 理解する為にはあらゆる 悲しみや苦しみを経験し、乗り越え懸命に前向きにとらえ生きて いなければ出てこないと思うのですがどうでしょうか? 例えば、生まれてから溺愛され、順風満風に育っている人というのは 愛される事が当たり前と思いがちな為、人の痛みや偏見に鈍感なまま成長しやすくなる人が多くなりやすい傾向にあると思うのですがどうでしょうか?もちろん人によって感じ方も千差万別であり、この人にも色んな痛みや経験はあると思いますよ。 しかし、もし対照的に、生まれてから上記の者とはぜんぜん違く、あまり親に構ってもらえず、病気がちで、外から見たら健康そうに見えるが実は年中病気な状態であったら毎日それを乗り越えて生きてゆかねばなりません。そうなると健常者である人とその病気がちな人とは あきらかにある(差)が出ますよね。その差とは痛みや経験の差だと 思うのです。毎日病気がちで痛みを堪えて生きてる人は何で自分だけが と思い悩み苦しむかもしれませんが、それを超えたらきっと誰よりも 人の痛みを感じ取れる優しい人になると思うのです。それゆえに人に尽くす仕事や医療等に尽きたいという方が多くなる傾向になると思うのですがどうでしょうか?これは偏見になりますか? 人が自分以外の他人の痛みまでを自分の事のように感じ、その為に 何か実際にその人の為に協力しようと手伝ったり動いたりするまで 行く人というのは、過去に自分がそういった経験や痛みがあり、それを自分の中で克服してきた人でないと中々出てこないものだと思うのです。もちろん、人として生きている上で、誰もが大なり小なり悲しみ苦しみを経験して生きてきている事の上での話です。 ただし、そこに愛された経験もなければ痛みだけで他人の事を想う気持ちは中々生まれにくいと思うのです。一歩間違えば自分だけが痛みだらけと思い、悲観的にとらえ一生を終える事になる危険があるからです。 まとめると、人は愛されているだけでは偏見や人の痛みに鈍感になりがちだが、(特に偏見についてはかなり色んな幅広い経験をしないと視野がせまく、抜け出せないのではないか) 涙を流し、あらゆる愛や痛み(辛酸)を経験してきた人程、人の痛みにも敏感になり、そこに優しさや人を想う思いやりが出てくるのではないだろうか。歳を取ると涙もろくなると言うが、それは色んな経験を積んだ為、人の痛みに敏感になれる為、我が事のように共感する為ではないかと思うのですが、どうでしょうか? 極論までいってしまうと、「優しさや思いやりは痛みなくしては生まれないのではないか?」は私の持論ですが(どっかの漫画の中の悪の世直し正論みたいになってますが(笑)多少なりとも合っている部分はあると思うんですよ、もちろん他にも色々なパターンや考え方はあると思うのですが・・他に この考え方に対するご意見を頂ければと思います。 (思いやりや優しさ)という部分に関しては、深く捉えないで ください。(自分の相手に対する自己満足とか、本当の優しさとは何かとか言うとまた話が変わってきますので)
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お礼
ご回答ありがとうございます。 読んでいてなるほど~と頷いてしまいました。 >相手の身になる努力、相手を自分の一部として認識出来なければ 優しさは生まれないと思います。 この部分が今回の質問の中の答えに近い部分だと思いました。 確かに、いくら経験を積んでいても、逆にそれを自慢げにする人もいて、逆に高慢になる人もいるかもしれませんね(不幸自慢等)。経験も確かに一理あるけれど、やはり相手の気持ちを考える事がベースの上 での事なのでしょう。それが知らない間に 誰かの優しさになっている事もその逆もあると言う事なのでしょうね。 人の気持ちは難しいです(笑)