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優しさとか思いやり

優しくする とか 思いやりがある 行動ってどういうものなんでしょうか?? あまりそういった経験を自分自身あまり感じたことがなく (されたことはあっても自覚がなかったといいますか・・・) 学生時代 「いじめ」とまではいかないかもしれませんが そういった経験があり (ぶたれたり、無意識に自分を抑えていた時期が長く続いていました) なので自分自身のことが他人事のように感じてしまう傾向があるように 自分では感じています 優しくされても何も感じられない自分が凄く嫌で堪りません どうしたらいいのでしょうか?? よろしくおねがいします

みんなの回答

回答No.4

子は親の鏡、 質問者さまの場合は 生育環境に、そうしたことを身に着ける機会が なかったまでのことでしょう。 とりあえず、この時期、 被災地へ行って ヴォランティアでお役に立ってきませんか。 そのプロセスで多くを学ぶでしょう。 感謝されるケースが多いでしょうが、 中には 当然のことといった感じで対応されたり 冷淡に扱われたり といったこともあるでしょう。でも、それは その人たちの人間性の問題というよりも それだけ被災ショックが大きくて こころの余裕を取り戻していないからと 理解してあげましょう。 別の方法としましては、 森瑶子さんの『女ざかりの痛み』を お読みになられることをお勧めします。 さらには、不定期でよろしいので、 カウンセリングをお受けになられることです。

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.3

良いんだよ、それで良いの。 優しくすることは、自分が優しさを求めたくてするものじゃないんだから。 自分では気づいていないのかもしれないけど「本当に感じてない」なら、嫌な気持ちになんてそもそもならない。 嫌な気持ちになるということは、自分で「そうなる理由」を知ってるって事。 でも、その理由がわかっていても、自分の殻が開けないから辛いんだろうね。 うん、きっかけで変わるからさ、焦ったりしないでね。 誰かや何かのきっかけで変わるって事はある。 能動的にいくのなら、カウンセリングも良いけど、いい先生に出会えるかどうかが大事だからね。 気に入った人が見つかるまで、焦らないで「付き合って」みて下さい(治せる人とか思わないことね)。 基本は「わからないことは、わからないでいい」だよ。 わかるようになるまでは、わからないままでいいんだよ。

  • tos-1974
  • ベストアンサー率32% (185/577)
回答No.2

行動や態度で示す優しさは、接する側とされる側で温度差があったりします。 ですから優しくされても特別嬉しくもない、という感覚は特別おかしいとは思いません。 ご質問を拝見しましたが、今まで問題が起きたとき(例えばおっしゃるイジメです)に自力で時間が過ぎるのを我慢するなり、耐えたりした結果、その分逞しくなられたのではだと感じました。 当面は今の考え方や感覚といったものを無理に変える必要は無いと思います。 そうでなくとも人は生きていれば必ず困難に直面します。 私が逞しい方なんだろうなぁ、と感じるご質問者さまでも必ず精神的・肉体的な困難に直面します。 例えば、ライフイベントと呼ばれるものですが、配偶者や肉親の死、怪我や病気といった健康問題などによって引き起こされるストレス。 或いは事故や大地震など「突然」というファクターがある場合のストレス。 >優しくされても何も感じられない自分が凄く嫌で堪りません すでに相当なストレスを抱えてらっしゃるとは思います。 今まで幾多の問題を乗り越え、対処し、解決されてきた方でも、時には乗り越えるには相当なエネルギーと時間を費やします。ご質問にある「堪らない」という感覚も同じです。 この場合はまず、ご家族や知人友人にありのまま相談をされた方が良いです。 そのときに誰か優しい言葉をかけられたり、手を差し伸べられたら必ず「嬉しい」と感じると思います。 そしてそこから初めて「他人を思いやる気持ち」が生まれると思います。 「心身に一体感が無い」との一文が少し気になりました。 自分自身のことが他人事のように感じてしまった時に、ご確認して頂きたい事があります。 (日常生活重視ですから、無論「出来れば」です。) 人との接触を1週間でも1ヶ月でもいいので一切絶ってみます。この時にストレス(イライラ)を感じられたらOKです。普通は誰とも話をせずに一人だけで過ごしているうちにイライラしたり不安感が出始めます。 それでもストレスを感じずに過ごすことができたら、心に病を抱えてる可能性があります。 ご参考までに。

回答No.1

すっごくデリケートな問題だと思います。 回答するのが難しいです。 質問自体は単純ですが、 ”どうしたらよいか”の答えは ご自身の個性や人格に 寄るところが多いからです。 お会いしてみないと 何とも答えにくい問題です。 ”優しくするとか、思いやりの行動” というのは、 ”人と人の間に信頼関係と築いてゆく行動” のことです。 oku3は、 誰かを【信用】することはできても 【信頼】することはできないでしょう? 信用は誰に対してもできますが、 【信頼=信用+その人を思いやること】 だから、思いやりが無いと、 誰かと信頼を築いてゆけません。 【思いやる】というのは ”○○さんのために” という気持ちです。 誰かの為に料理する 誰かの為に頑張る 誰かの為に何かをする… こういう気持ちを持てることが思いやりです。 誰かの為に料理をする時 ”何が好きかなぁ?” って相手のことを考えるでしょう? これが【相手への思いやり】です。 【優しさ】というのは、 その【思いやり】をする行動が、 例え自分のメリットにならなくても 相手を思って(思いやって) してあげられる【気持ち】のことです。 こういう心から生まれた行動が、 ”優しくするとか、思いやりの行動” だと、私は思います。 じゃあ、oku3さんは、 どうして、 ”優しくされても何も感じられない” のでしょうか? それは、無意識に 人とかかわりたくないと思っているからです。 怖いのかもしれません。 傷ついた記憶がトラウマになっているのかもしれません。 自分の領域を守りたいのかもしれません。 それはお会いしていないので、 何とも分かりません。 でも、おそらく、 無意識に、 誰かと信頼関係を結ぶことを 本質的に望んでいないのです。 周りの方が、oku3さんに優しくするのは、 oku3さんと、信頼関係を結びたいからです。 でも、oku3さんが、 ”周りと信頼関係を築いて生きていたい” そういう気持ちを受け入れられるまで 焦る必要はないと思うのです。 無理すると、今みたいに、 辛くなって、嫌になっちゃうだけだと思います。 強く、一人で、 クールに生き抜こうとする姿勢も また、魅力的な人生だと思うのです。 ひとりでどこまでやれるか頑張って、 生きてみるのも、一つの手です。 自分自身に、クールな人生を 追求させるのです。 そして、どうしてもダメだったら、 (ダメな時が来ると思うのです) 誰かに”すがる、頼る、泣きつく” というのも、いいと思います。 ”人は一人で生きられない”と言いますが、 若い方には、ピンとこないようです。 その限界を自分でつきとめてみて、 本当に、誰かを必要としたときでも 決して遅くないと思います。 なぜなら、その時に、 自然な ”優しさや、思いやり”が 湧きおこるようにして、持てると思うのです。 「優しさや思いやりを持とう!」 って思えると思うのです。 それから、勉強しても遅くないと思うのです。 周りからの優しさに対して、 ”他人事”としか思えず、 何も感じられないこと悩むのなら、 逆に、誰かの為に何かをするということを してみるのも一つかもしれませんね。 公園のごみ拾い、 ご老人のお世話、 動物のお世話、 福祉活動など… 自分の為でなく、 誰かの為の労働をすると 見えてくるものがあるようです。 もし時間があるのなら、 クールに貫くことと併せて、 チャレンジしてみてもいいかもしれませんね。 ”思いやりや優しさ”は、 誰かと信頼関係を結ぶのに、 無くてはならない絶対に必要なものです。 oku3さんを優しくしてくれる人は、 oku3さんと信頼関係を結びたがっている… 素敵なことじゃありませんか? 自分を必要としてくれる人がいるなんて。 自分が必要とされ、誰かを必要とする。 oku3さんが”誰かを必要としたとき”に、 変わるような気がします。 お会いしていないのに、 勝手に想像してしまいましたが、 ご参考までに。

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