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軽愚な私
こんにちは。高校受験を控えた愚か者のぼやきですがどうか聴いてください。 私は自身の頭の悪さに日々苛まれています。 例えば、私の趣味は読書ですが、文章を読むことに厖大な時間を費するどころか、作者の意図や文章にて、所々意味が掴みかねるところがあり、骨折り損の草臥れ儲けといったところです。先月も4冊しか読破できませんでした。読後感はいつも決まって最悪です。しかし少しでも読むペースを上げて尚且つ読解力に磨きを掛けたいという一心から頓挫させることなく打ち込んでいます。否、その努力が酬われたという実感は今に至って皆無です。 問題は読書だけには留まらず、日常の会話においても著しい支障を来たしています。言葉を瞬時に組み立てることができないが故に一対一の会話では沈黙が多くなってしまい、その他数人の場合は単に会話へ溶け込むことですら難儀します。語彙も乏しさも起因しているかと思しき点もありますが、やはり根本的な原因は能力に偏りがあるのだという懸念をどうしても拭うことができません。 私は将来作家になれたらなと密かに思うのですが、いざ執筆してみると文体に変化の無い稚拙な文章になってしまいます。同じ言葉や表現をいく度ともなく用いてしまうことから己の引き出しの少なさに遜色を見る程です。 この蟠った胸中を洗い流すにはどうすればいいのでしょうか。
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- e-toshi54
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日本国中学校生徒に於いて、貴殿の如く文学・小説の類に高尚性を認識し、日夜読書に励む人の存在は、年長・年配者(自分のこと)にとって、心強く、また、将来の日本の社会、文化にとって意義あることと思います。(硬く書いてみました) 周囲の生徒さんはまた別の考えで日常をすごしているでしょうから、会話がすすまない、話が合わないのもありうるかなと思います。より高等教育の場=高校・大学と進めば、いろいろな種類の人間が増えますから、同好の士にめぐり合う可能性は高くなります。その日まで、今の考え・行動を持続することを推奨いたします。
- taropon4
- ベストアンサー率15% (11/71)
ご質問の文章にも難しい言葉を用いていたりして、読書好きが伺えますね。 日常の会話に著しい支障を来たしているとのことですが、sabunatsuさんのその言葉の知識が逆に邪魔になっているのかもしれませんね。中学校だと同級生はsabunatsuさんよりも言葉のレベルが低い人ばかりなので、sabunatsuさんの話にはついてこれないのだと思います。 sabunatsuさんが使う言葉のレベルを、周りの人にあわせて数段落とす必要があるのかもしれませんね。 文章をつくるときも同じだと思います。 なんでもかんでも難しい言葉を用いて文章を作るのではなく、目的にあわせたレベルの言葉を選んで文章を作るようにすればよいと思います。 たとえば、このサイトで質問文をつくるときにも、「日々苛まれています」、「厖大な時間を費す」のような硬い言葉を使う必要がありますでしょうか? 文章力とは、読む人にあわせて、読みやすい文章をつくる能力のことだと思います。 もちろん、sabunatsuさんの言葉の知識は使うべき時と場所を選べばものすごい力を発揮するはずです。これからもどんどん言葉の知識を増やしていってください。 まだ中学生とのことですが、すばらしい向上意欲をお持ちですね。
お礼
>なんでもかんでも難しい言葉を用いて文章を作るのではなく、目的にあわせたレベルの言葉を選んで文章を作るようにすればよいと思います。 ご尤もです。下手をすれば悪文にもなりかねませんからね。 >たとえば、このサイトで質問文をつくるときにも、「日々苛まれています」、「厖大な時間を費す」のような硬い言葉を使う必要がありますでしょうか? 全く必要無い。というか不自然ですね。このように見栄を張るだけで中身の無い言葉の軽薄さに思わず恥じ入ってしまいます。どうも私は難しいと思われるものや覚えたばかりの言葉をすぐ調子に乗って使いたくなる癖があるのでつい・・・・。 まとまりの無い文章でしたが、最後まで有難うございました。
補足
>ご質問の文章にも難しい言葉を用いていたりして、読書好きが伺えますね。 実はこれらは極めて作為的なものであります。というのも、私の読書習慣というのは純粋に本が好きだからという理由で始まったものではないのです。どちらかといえば、「読書は人を豊かにする。(人が人生を豊かに送るには優れたコミュニケーション能力を必要とする。その能力を習得する一環として読書が良い。読書は言彙の宝庫であり、コミュニケーションの向上に役に立つ。というような内容の本を読みました。)読書は高尚なものである。だからこそ優れた読書家を目指すべきだ。」という強迫観念ともイデオロギーともとれる不純な動機に突き動かされた結果に過ぎないのです。 つまり、私は単に、「読書を趣味とする知的で崇高な人間に憧れているだけ」なのですね。ですが、そもそも読書は趣味とはいえ、他のものと比べてより能動的な作業だからどうしても不自然にならざるをえないのかもしれないなと曖昧な考えを抱いて自己正当化したりしています。所詮は思い過ごしなのでしょうが、余程の物好きでは無い限り普通はあまり読まないのが本だと思っています。特に近年は娯楽のレパートリーが豊富で多彩とでも言いましょうか?というか、本に限らず様々なジャンルからストーリーを満喫できるこの御時世では尚更そうかと。勿論、これら全て読書を趣味として捉えればの話ですが。 例を挙げるとすれば、最近はテレビを始めとする映画、マンガやインターネットの動画サイト、ゲーム等々、人情を擽る類のものが巷に溢れ返っています。それらが影響してか、子供の(って、私も子供なんですが・・・。)活字離れが結構深刻化しているぐらいですからね。それでも私は、本を読んでいる。だから一層、誇らしく思って読み続ければいいのだ。そうやっていつも自分自身を騙して妙な優越感に浸っていましたがそろそろ限界が来た様です。 何しろ、友達と話題を共有出来ないですし、読後感のあの中途半端な達成感はイライラしますし、それより何より、言彙の豊かさや読書の量は、コミュニケーション能力に比例しないことも分かってきたのです。ということは、あの本に書いてあったことは出鱈目かという話に至りますが、まんざらそうではなさそうです。読書を活かせる人とそうでない人が出てくる。結局は自分のポテンシャルの敷居がどれだけ高いか低いかで決まる。そして私は後者に値するのだなと・・・・。 >中学校だと同級生はsabunatsuさんよりも言葉のレベルが低い人ばかりなので、sabunatsuさんの話にはついてこれないのだと思います。sabunatsuさんが使う言葉のレベルを、周りの人にあわせて数段落とす必要があるのかもしれませんね。 そんなことはありません。確かに作文は得意かもしれないと自負していますが、即時的な会話は本当に苦手なんです。
お礼
遅くなってしまってすいません。 第一に、私がこの文章を拝見して思ったことは、言葉の使い方次第で文章から受ける印象は何十度にでも変貌するのだということです。貴方の書かれた前半と後半の文章のあまりのギャップに空おそろしさを覚えました。 第二に、より高等教育の場=高校・大学と進めば、いろいろな種類の人間が増えますからという言葉が示唆する様に、私如き年齢が生きる世間のスケールにおいて、コミュニケーションに不満を垂れるのは全くもって愚かでしたね。ところがそもそも私の話し下手の原因は語用力の乏しさにあるのだという認識は依然としてあります。勿論、これからも読書に励むという意志も同様に。