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農耕の神クロノス=サトゥルヌス
このサイトにおける利用者の質問や補足に対して、例えばある特定の利用者が、 「これがオレの慈悲だ、受け取れ!」とばかりに慈悲の放射もどき(つまり欺瞞誤謬)の文章と雰囲気を相手に放ち、相手が「意味が分かりません、すいません」と当然の、まともな返答をした場合、「ええ、なんでおれの慈悲光を「受け入れ」なかったんだ(※つまり受け入れることで発生する慈悲とはまったく性質が違う。主張という意味では、「ぎゃく」。)と逆上し、今度は★や☆や○などの記号を用いて、欺瞞誤謬で相手をなんとか取り込もうとし(真実を言えば相手は理解し、誤謬から解かれて解放されるので、嘘でなければ相手を捕らえることが出来ない。)、それでも相手が「すいません、意味が分かりません」あるいは「えーと、それって少し違うのでは...」などと「反抗、反論(嘘偽りに不快感を覚え、反抗するのは当たり前)されると、今度は「おまえはオレより下で、おれは人を救う側もしくは教える側なんだよ」という意味を示す「おぎないましょう」とか、「せつめいしよう。」などという言葉を上から目線で使用し、相手を無智者として宣告し、裁き、貶めている. つまり自分の主張の賛同者にさせる(相手を取り込む、喰らう)のが無理だと判断すると、最終的に排除するか、やんわりと蔑む。 ◇こういう人も、いるという認識で間違いないでしょうか. しかし、違う可能性もあれば指摘してください また、時間の神クロノス(Chronos)ではなく、農耕の神のクロノス(Kronos)はわが子を喰らうサトゥルヌスと見て間違いないでしょうか. http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1218904312 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%8E%E3%82%B9_(%E6%99%82%E9%96%93%E3%81%AE%E7%A5%9E) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91%E3%81%8C%E5%AD%90%E3%82%92%E9%A3%9F%E3%82%89%E3%81%86%E3%82%B5%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%8C%E3%82%B9 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1350288.html そして、自分の目上もしくは父親を殺してきたからこそ、発生する恐怖心、猜疑心により、生まれてくる子供や新しく来た目下の人間を喰らっている とみて間違いないでしょうか.
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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★ (No.18補足欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ α4.「それらの限り」(自分の妄想の限り)で ということで。 β5. では その当事者ふたりそれぞれにおいて 一方の者の意志と他方の者のそれの受け取り方とのあいだに どんな違いがあって どういうふうに行き違いが生じているのか。この問題が残ります。 α5.妄想による虚論の展開は自動的に却下ということで。 β6. あらゆるひとを――出会うひとを一人残らず――《ころし》て来ましたよ。 α6.自分の思い込み、勘違い、主観のみで他者をさばいてきたということで。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ α4およびα5で《妄想・虚論》と成ったならば α6での《他者をさばく》ということも架空の世界のできごとになる。 ★ (No.17補足欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ◇ ですね、べつに「親」に限らないわけです。「わが子」は、その人が 「しめしめ、獲物だ などとその人が認識している人」くらいに思っていれば良いでしょう。従い、 β1.自家撞着を指摘することは 《痴漢》とは言わないんだよぉーん。どぢゃ。 ◇ この文章は自動的に却下となりました。自分のことのようで。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ サトゥルヌスの場合は 実の親子関係であるから そのことをすり替えてはいけない。 ☆ 《自分のことのようで。》とは どこのどういう文章についてわたしが自分の《自家撞着を指摘した》かを明らかにせよ。 いいかげんなことを言ってはいけない。 そろそろ 放っておくべきようだ。横槍の問題が残るのみ。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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No.12への返答を見ないで No.17を投稿しました。そのぶん連続投稿となるのを寛く受け取られたし。 ★ (No.12補足欄) 他者が居なければ私は存在できないという心情、自分に対する認識の現れです。 ☆ 《他者がいること》と《わたしの存在》とは 同時に成り立つということで。 ★ うろ覚えの引用による回答 ▲ (パウロ:コリント前書15:12-58) ~~~~~~~~~~~ 26 最後の敵として、死が滅ぼされます。 28 神がすべてにおいてすべてとなられるためです。 30 また、なぜわたしたちはいつも危険を冒しているのですか。 31 兄弟たち、わたしたちの主キリスト・イエスに結ばれてわたしが持つ、あなたがたに対する誇りにかけて言えば、わたしは日々死んでいます。 32 単に人間的な動機からエフェソで野獣と闘ったとしたら、わたしに何の得があったでしょう。もし、死者が復活しないとしたら、「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか」ということになります。 ・・・ ▲ (パウロ:ガラテヤ書5:24-25) ~~~~~~~~~~~~ キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。 わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。 ▲ (ガラテヤ書2:19-20)~~~~~~~~~~~~~~~ わたしは神に対して生きるために、律法(* 道徳規範)に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています。 生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ★ ◇ とにかく、引用ではなく、自分の言葉で答えよ。 ☆ 回答 No.4がそれだ。
お礼
補足:有罪の説明 β:◇ とにかく、引用ではなく、自分の言葉で答えよ。☆ 回答 No.4がそれだ。 それ⇒あらゆるひとを――出会うひとを一人残らず――《ころし》て来ましたよ。 出会うひとを一人残らず、自分勝手な勘違い、嘘偽り、欺瞞<<つまり正義、神、世直し、人格矯正>>の名のもとにころして来た者を 死と老いの中で苦しませ続ける――自家撞着をしていると自覚するまで――ことに決定する。 弁明があるなら聞いても良いが。
補足
β0.《他者がいること》と《わたしの存在》とは 同時に成り立つということで。 α0.自分が居れば他者がいるいないは関係ないということで。 β1.うろ覚えの引用による回答 α1.でなく、正確な引用ということで。 β2.《こういう人》の側の――心理といったうわべのこころではなく――意志・こころづもり・考え方に関しては 的を射ていません。 α3.「的を射ていません」という主張との事で。 β3.いませんが その心づもりを相手がおっしゃているように受け取ったとしたのなら そのような現象は起こった。こう言えるでしょう。 α3.受け取る、受け取らないという問題「だけが問題であり」、自分の印象だけで物事は決まるという妄想をしているということで。 β4.そしてそれらの限りで 《こういう人もいるという認識で間違いない》でしょう。 α4.「それらの限り」(自分の妄想の限り)で ということで。 β5. では その当事者ふたりそれぞれにおいて 一方の者の意志と他方の者のそれの受け取り方とのあいだに どんな違いがあって どういうふうに行き違いが生じているのか。この問題が残ります。 α5.妄想による虚論の展開は自動的に却下ということで。 β6. あらゆるひとを――出会うひとを一人残らず――《ころし》て来ましたよ。 α6.自分の思い込み、勘違い、主観のみで他者をさばいてきたということで。 α7.情状酌量の余地なし、有罪と認める。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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へへっ。 No.4&7&10&12&14です。 もし《こういう人》が ★ わが子を喰らうサトゥルヌスと見て間違いない ☆ とすれば いつどこでどのようにその《こういう人》にとって《わが子》であったという人がいるというのでしょう? わたしを親として接してきた人間がいただろうか? へへっ。 * 自家撞着を指摘することは 《痴漢》とは言わないんだよぉーん。どぢゃ。
補足
β0.もし《こういう人》がわが子を喰らうサトゥルヌスと見て間違いないとすれば いつどこでどのようにその《こういう人》にとって《わが子》であったという人がいるというのでしょう.わたしを親として接してきた人間がいただろうか. これを解りやすく直しましょう。 改β0.もし《矛盾と、欺瞞により他者を取り込もう、喰らっている人》がわが子を喰らうサトゥルヌスと見て間違いないとすれば、《そういう人》にとって《わが子》であったという人がいるというのでしょう.わたしを親として接してきた人間がいただろうか. ◇ですね、べつに「親」に限らないわけです。「わが子」は、その人が 「しめしめ、獲物だ などとその人が認識している人」くらいに思っていれば良いでしょう。従い、 β1.自家撞着を指摘することは 《痴漢》とは言わないんだよぉーん。どぢゃ。 ◇この文章は自動的に却下となりました。自分のことのようで。
kigurumiさんは、OKwaeの歴史自体だから、少し客観的過ぎるのかも知れせん。 男の方は痴漢にあっっても、きもちわりいですむかもしれません。 わたしは、ちょっと前までは哲学カテゴリーは、ROMるだけで(agrippaさんのファンでしたが、)この件に関しまして、具体的に被害者が多数存在するので「痴漢」は、撃退するべきだという意見です。 システムが変わってしまうとおそらく不可視化機能(ignore)でこんな議論も出来なくなると思い、最近ちょっと力みすぎていたかもしれません。 ハートマインドさんにしかられちゃいました…反省しています。ごめんなさい。
補足
泣き顔表示のOKウェーブは使いたくない人は結構居る(居た)と思うんですよね、それに比べたらまだマシかもしれません。 しかし、質問と回答 というシステムでなく、討議サイトというものがあるのでしょうか? それが、ネットワークシステムを使った、厳正厳密な、実のある 議会制度の可能性であるかもしれないと思います。道理、理念のみで思想、理念を構築(顕現)していくという意味で. ある意味、文明は、情報システムを構築し、真理を浸透させるために存在していると言っても良いでしょう。
えええぃ づがたかあい! このagrippaの紋所が目に入らぬかあ。 おじじ:はっはああ。し失礼いたしました。なんとすばらしいかた! おじじ:以後慎みます おじじの行動:去るまね
お礼
No.13のお礼の、訂正をここでさせてください。 誤:No.5の補足を読んでください。言われるまでも無いことです。 正:No.2の回答を読んでください。言われるまでも無いことです。 この質問サイトのagrippaさんのことでしたか。過去の誰かであると、なかなか心理に到達するのは難しいかもしれません
補足
ユリウス・カエサルで是非お願いします しかし、ハゲは勘弁
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
No.4&7&10&12です。 この質問じたいがわたしに関してなのですから 横槍も必要でしょう。 もし《能力に非常に大きな開きがある》というのであれば なぜわたしの質問は《答えを自らの中に持っている》ことになるのでしょう? つまり《すでに答えが分かっていることを問うている》ということに なぜ なるのでしょう? 質問の趣旨説明に述べたことがらが《答え》であったのなら かのじょ自身がそれに回答を寄せているのであるから かのじょの――《批判》としての答えの――ほうが なぜ 《答え》ではないとなるのでしょう? つまり わたしの用意した答えを否定するかのじょの回答は なぜ 正しくない つまり間違っていたとなるのでしょう? 能力も知能指数もすぐれて高いかのじょの回答が 《答え》ではなかったとみづから認めたことになる。 これいかに?
お礼
β1.もし《能力に非常に大きな開きがある》というのであれば なぜわたしの質問は《答えを自らの中に持っている》ことになるのでしょう? ◇1.《答えを自らの中に持っている》 ことの、証明がなされていない。精神錯乱者が妄想を以って「私は答えを持っている」という事も可能である。今までの自家撞着を見ても、間違った前提であると判断できる。 従って、 β2.つまり《すでに答えが分かっていることを問うている》ということに なぜ なるのでしょう? β3.質問の趣旨説明に述べたことがらが《答え》であったのなら ◇2.これらの、間違った認識によって述べられた以降の主張は全て却下、無効とする。 以上、原告の代わりに申し述べた。判決は出ている。
補足
kigurumiさん、指名入りました、どぞ
- kigurumi
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現在の哲学というのは、今まで言われてきた事を吟味して、修正を加えることで成り立っている。 そういう意味では、神話とされた絶対的なものに対して、吟味して「今まで言われてきたことは真理ではない」という彼の疑問は哲学の始まりと言える。 で、ここが難しいところです。 このサイトはわからないことを質問するところ。 あらかじめ「こうだ」と思ったことに回答者が思考するように誘導する質問内容だと、それは答えを自らの中に持っているので、わからないから質問しているわけではなく、主張になり、自分の考えに対しての賛同を求める行為になる。 ソクラテスも既に自分の中に答えを持っていたわけですが、「知らないから教えてください」という質問をした。 相手はソクラテスが知らないと思って、自分の考えを言うわけです。 そうするとソクラテスは「そうなると こっちのケースも同様にこうですか?」と質問する。 こっちのケースは明らかにおかしいと質問された人は判断でき、自分の答えは間違いであることになると気づくわけです。 で、結局 最初の質問も改め、ソクラテスが心の中で思っていた真理と同じ答えをすることになる。 つまり ソクラテスの判断は絶対の真理とは言い切れないが、誰の心の中にも共通であるもので、普遍の真理に近いものだと、ソクラテスはわかり、自信を高めていったわけです。 で、このサイトでソクラテスのようなやり方をやろうとするとき、自分の主張を書いてしまっては駄目なんですね。 相手に喋らせて、相手の回答の矛盾を突き、それでは回答になっていないということを相手にわからせないと。 で、、、、 あなたは彼と同じことをやっているんです。 質問と称して、結局は主張じゃないですか。 彼のやり方は正しくないですよね という賛同を求めているのであって、質問ではない。 批判ですよね。 彼も前の言われてきたことを批判するために質問と称して発言しているが、あなたも質問と称して個人批判目的に立てたものですよね。 五十歩百歩。 農耕の神クロノスも時のクロノスも結局は一緒だと思います。 古代の風習に、新しい王が古い王を倒すってのがあった。 それは父殺しの風習で、例え血縁関係が無くても、新しい王は古い王の息子になり、息子が父親を殺すという概念。 それで、古代の王は息子をつぎつぎ殺していったわけです。 自分の身代わりとして息子を殺すという風習は、キリスト教の子殺しにつながる。 大地は古い王を倒すことで、再び緑が蘇るとされ、古代では不況が続くと、王が贖罪をさせられていたわけです。 十字架にしばりつけられ、鞭を撃つという風習があり、殺し大地に地を流すことで、再び大地が緑に覆われると考えられた。 それで、不作になったとき王は殺されることを免れるために、息子とされる人を自分の身代わりにたてて、贖罪として殺していた。 そうすれば、不作のたびに殺されずに身代わりの子が自分の代理として殺されたことになり贖罪を完了したことになるとされるから。 で、王を選出した巫女たちは、自分達が選んだ王が今から緑に再び大地を蘇らせるために儀式として処刑されることになると、ハレルヤーと泣き叫んでいたそうです。 これが後にユダヤ教のハレルヤになるわけで、その本来の意味を知ると、両手をあげて「ハレルヤ」と歓喜の叫びをあげることはできなくなる。 自分達が利益を得るために王が犠牲を払うという儀式の時に巫女達が泣き叫んで別れの悲しみを表しているものだと知ったら。 イエスが身代わりに贖罪になる ハレルヤ 万歳。 ハレルヤと号泣しながら巫女たちが叫ぶのが本来のハレルヤという言葉の使い方。 古代の儀式とか風習とか知らないと、何故そういう物語になるのかわからず、現代風に解釈しかないんですね。 御柱祭りってのも、神殺しをして豊穣を祝う祭りだったと思う。 それを知らないと、何故神木というものに対してあんなひどい仕打ちをする祭りがあるのかわからない。 伝承をしらないと、その意義を知らずに、単に木を山肌から落とすといいことがあるということしかわからない。 で、古代の風習を知らずして、古代の宗教を知ることはできない。 今の考え方で古代の思想を解釈するってことは無茶。 ですから、古代の一般的な考え方だったものを書いて説明をするが、どうしても古代ではなく今の考え方でしか考えることしか彼はできない。 能力の限界なわけです。 私にはできるのに、彼にとってはものすごく難しい作業。 最初は彼の能力と私の能力に非常に大きな開きがあるとわからなかったので、どうしてこれだけ説明しても、まるでわからないのかわからなかった。 で、ある時に、知能が10違うと、会話が成立しないと知ることになり、「ああ これが原因か」とわかった。 人は100の言っていることは理解できる。 100の知能の人は110の知能の人が言っていることが宇宙語になる。 私はそれよりもっと平均より開きがあるので、こりゃ無理だな と思えた。 頭が悪いので、相手の知能に合わせた内容の書き込みができない。 だって 私が見えているもののどれとどれが、相手には見えていないのかわからないのだから。 これを馬鹿の壁と養老さんは言っていた。 相手が馬鹿って言っているわけじゃなくて、お互いの間にどうにもならない壁があり、お互い意志の疎通ができない って意味。 IQ100の人の見える世界と、IQ140の人の見える世界はまるで違う。 この両者の間に壁があり、140の人は100の人の世界が見えるが、100の人には140の解説が異次元にしか思えない。 でも 140の人なら 何の問題もなくわかる。 で、こんなことを理解しないで、相手にどうして見えないんだ って言っても、相手にはそれが存在しているとはわからないんで無理です。見えないんだから。 こっちが見えているのだから 相手も当然見えているはずだって思い込むから、イライラするわけです。 「相手には見えていない。見る能力が無いので努力して見えるようになることも無い」ってわかれば、スルーできるようになります。 見る能力が無いということを責めても仕方ないでしょ? 見えないため何度説明しても理解に至れないのなら、それがその人の限界値なんです。 一生努力しても、天才脳にはなれません。 相手があなたのような天才ではないことを批判しても仕方ないでしょ?
お礼
>現在の哲学というのは、今まで言われてきた事を吟味して、修正を加えることで成り立っている。 それは、たぶん本当の哲学ではない。そうだとしても、そういう哲学には興味は無い。自分の言葉、自分の経験から導かれたものでないと実生活に役に立たないから。 >それは父殺しの風習で、例え血縁関係が無くても、新しい王は古い王の息子になり、息子が父親を殺すという概念。 ◇No.5の補足を読んでください。言われるまでも無いことです。 それにしても、エホバの証人の信者の禍々しさは異常です。ユダヤ、ヘブライ語どれも過去のものです。過去の親は捨てたほうが良いでしょう。それが自立と言うものです。
補足
ところで、あなたは本当に存在しているのですか?
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
No.4&7&10です。 ★ (No.10) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ α:お前は本当に存在しているのか? に対しての答えとしては、 β:「わしは、、、わしは、過去に生きていたキリストでーす!」 と理解しました。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これはそれほど短いことばで言いきっていいとも思えません。 1. 神の子であり神であるキリストを わたしたちは一人ひとり言わば部分的に着ています。そういう想定です。 2. 《過去に生きていた》のは イエスという名のひとです。 3. わたしが No.10の回答で述べた言葉は パウロのものをわたしをとおして言ったものです。 4. むろん キリスト・イエスとかかわりがありますが 直接にそれはキリストだという捉え方は いただけません。 5. キリストは 神として無限であり永遠ですから 《過去の生きていた》という規定にはなじまないでしょう。 このように解きほぐしておくとよいでしょう。
補足
β0.どこが分からないとか どこがおかしいとか言わないと 禅問答になるでしょう。 ◇つまりこれは ああいえばこういう、こういえばああいうという、他者の主義主張があってこそ、自ら存在できているということの証明ですね。他者が居なければ私は存在できないという心情、自分に対する認識の現れです。 β1.これはそれほど短いことばで言いきっていいとも思えません。 ◇これは、 β0.こういう場合は 精確に引用するのではなく覚えているまま述べたほうがよいでしょう。 ◇から始まる、うろ覚えの引用による回答、つまり β3.わたしは日々死んでいます。十字架上に肉(つまり身体=精神)を欲望や欲情もろとも張りつけてしまったのです。生きているのはわたしではありません。わたしを突き抜けたわたしです。 ◇を読めば、だれでも「ああ、自分をイエス(キリスト)として規定して居るんだな と思うのは当然です。 ところで、この引用先はパウロである とのことですが、パウロがさも自分のことであるかのように「十字架上に肉(つまり身体=精神)を欲望や欲情もろとも張りつけてしまったのです。」などと本当に言ったのだろうか?だとすれば、彼は本当にホラ吹きだったと言うことになるが...イエスが自分で言った言葉をパウロが記録(記憶)し、「そう言っていました」ということなのだろうか β4.神の子であり神であるキリストを わたしたちは一人ひとり言わば部分的に着ています。そういう想定です。 ◇たしかにそうですね、しかし「着ている」という表現は適切ではないでしょう。それこそ、「化けの皮が剥がれたらホラ吹きパウロだった」ということにもなりかねません β5.わたしが No.10の回答で述べた言葉は パウロのものをわたしをとおして言ったものです。 ◇「ううーん、やっぱりキリストやーめた、パウロにしよっと」ということで。 β6.むろん キリスト・イエスとかかわりがありますが 直接にそれはキリストだという捉え方は いただけません。 ◇「わしはキリストの関係者じゃ、えっへん!」ということで。 β7.キリストは 神として無限であり永遠ですから 《過去の生きていた》という規定にはなじまないでしょう。 ◇「きりすとってなんかしらんけど、「神」「無限」「永遠」これらを適当に使ってありきたりの、ほんにかいてあった台詞を使っとけ、どぢゃ!」ということで。 β8.このように解きほぐしておくとよいでしょう。 ◇解きほぐす ではなく、「こんな感じの解釈してみました、どうでしょうか、これで納得してもらえませんでしょうか。」ということのようで。 ◇とにかく、引用ではなく、自分の言葉で答えよ。
No.6の内容について、完全に誤解していました。 「自分は自分として存在する」ことを欲することを、模倣するという意味で使われていることに気が付きませんでした。 >自分では「私は私として存在する」と言っています。 これを質問者さん自身の気持ちとして受け取ったため、No.8の回答になりました。 内容が分かりづらい以前に、誤解による投函でした。 申し訳ありませんでした。
補足
なるほど、私が第三者のある人を想定して 自分 という表現を使ったことで、誤解を生んだということでもあるわけですね。 しかし、それも他者の個人名を挙げることへの配慮からのものです。 了解しました。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
No.4&7です。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ お前は本当に存在しているのか? >☆ どこが分からないとか どこがおかしいとか言わないと 禅問答になるでしょう。 ◇禅問答になるとかならないとかではない。屁理屈を言わないで答えよ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ こういう場合は 精確に引用するのではなく覚えているまま述べたほうがよいでしょう。 わたしは日々死んでいます。 十字架上に肉(つまり身体=精神)を欲望や欲情もろとも張りつけてしまったのです。 生きているのはわたしではありません。わたしを突き抜けたわたしです。 yy8yy8az さん あたたかさや やさしさを勘違いしているのでは? 反対し批判すること また感情として言うならば 怒ること。
補足
α:お前は本当に存在しているのか? ◇この問いに答えられないということが、おまえが個として存在していないと言うことの証明となりました。 所詮、猿真似芸人は、何処かに書いてあったことを引用するしかないということで。 他者や社会に対してなにか意見を言ったり、主義主張をするなら、 『過去の誰であってもならない』という道理がわからないなら、何を言うべきでもないだろう。 α:お前は本当に存在しているのか? に対しての答えとしては、 β:「わしは、、、わしは、過去に生きていたキリストでーす!」 と理解しました。ご愁傷様でした。
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お礼
「横槍」問題は解決済みである。良く見ておくように。
補足
β1.☆ α4およびα5で《妄想・虚論》と成ったならば α6での《他者をさばく》ということも架空の世界のできごとになる。 ◇1.自分の妄想、虚論により他者をさばくことも出来る、被告人の主張はよって却下とする。 β2.サトゥルヌスの場合は 実の親子関係であるから そのことをすり替えてはいけない。 ◇2.サトゥルヌスの話は、自分より目下、及び弱者と置き換えよ。実の親子関係でも、目下を「喰らう」のは現実社会でも起きていること。親子関係でなければ「サトゥルヌスのやり方もOK」とはならない。従い、すり替えなどと、「すり替え」てはならない。 β3.《自分のことのようで。》とは どこのどういう文章についてわたしが自分の《自家撞着を指摘した》かを明らかにせよ。 ◇3. β1.自家撞着を指摘することは 《痴漢》とは言わないんだよぉーん。どぢゃ。 ◇この文章は自動的に却下となりました。自分のことのようで。 この場合の「自分のことのようで。」は、前の文章を受けていったものです。すなわち、「自分のことのようで。」の前に、 β0.もし《こういう人》がわが子を喰らうサトゥルヌスと見て間違いないとすれば という内容に対して、《こういう人》やはり自分のことのようです と読み解くように。 β4.いいかげんなことを言ってはいけない ◇4.これは、やはり自分のことのようで。 判定:被告人の弁明を却下、我が名において有罪とする。