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「で」 と 「に」
(ア)人はなぜ変わるものなのかと帰り道でずっと考えていた。 (イ)人はなぜ変わるものなのかと帰り道にずっと考えていた。 (ウ)帰り道、人はなぜ変わるものなのかとずっと考えていた。 この3文を自然な表現の順に並べるとすればどうなるでしょうか。 理由も合わせて教えていただけると助かります。
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こんにちは。何度もすみません。 ・本を一時間で読んでいた この言い回しも可能ではと思いはじめました^^; あれからも考えてみて、何か腑に落ちなかったので調べてみました。 > 【で】動作がその時間・期間で完了する場合には「で」をつけて表す。『小学館類語例解辞典』 > > 「継続」の場合には、【助詞なし】となるようです。 > お詫びして訂正いたします。申し訳ありませんでした。 > > ○本を一時間読んだ(継続) > ○本を一時間で読んだ(完了) > > ×本を一時間で読んでいた(継続) 「本を一時間で読んでいた」の場合は、以下に示す「経験」でもあるためこの表現でも間違いではないわけですが、今回の場合は「帰り道」=「帰る間」での時間の出来事を描写していますので、時間を問題にする際の正しい解釈としては(過去完了形[継続])時間を表す「~し続けていた」となるのだと思います。 http://www.twmin.org/ > 過去完了の経験について > ある過去を基準にしてそれより前に「~していた」「~したことがあった」「すでに~していた」というのを表すのが過去完了です。 過去完了形[継続] http://e-grammar.info/tense/pas_perfect_01.html > 日本語に訳す時、現在完了形の継続は「~し続けている」であるのに対し、過去完了形の継続は「~し続けていた」となるので注意しましょう。 ○本を一時間【助詞なし】読んだ ○本を一時間【で】読んだ ○本を一時間【助詞なし】読み続けている「現在完了」(継続) ×本を一時間【で】読み続けている「現在完了」(継続) ○本を一時間【助詞なし】読み続けていた「過去完了」(継続) ×本を一時間【で】読み続けていた「過去完了」(継続) > > (ア)人はなぜ変わるものなのかと帰り道でずっと考えていた。 人はなぜ変わるものなのかと【帰る間】【で】ずっと考え【続けていた】 人はなぜ変わるものなのかと【帰る間】【に】ずっと考え【続けていた】 【で】も言えないことはないのかもしれませんが、【に】に比べると少し違和感があるように思います。 うまく説明できないのですが、いずれにしましても【に】の場合には、【帰る間】の多くを使ったというような含みが感じられるように思います。 【帰る間】【に】ずっと考え【続けていた】 一方の【で】には、そこまでの感じがいたしません。 これには【で】の「完了」を強く意識させる特性が関係しているのでしょうか。 時間がないものですから、今の時点では、そこまで掘り下げて考えることができませんが、今回の(~の間)という「時」を意識したときには、【に】の方が適しているということだけはいえそうな気がいたします。 何度も失礼いたしました。
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自然かどうか指摘したいのではないですが,つながりからいうと, 昔の親友の家を十年ぶりに訪問したら,ひどく冷たくあしらわれてしまい,早々に辞さざるをえなかった。 (ウ)帰り道、人はなぜ変わるものなのかとずっと考えていた。 (ア)人はなぜ変わるものなのかと帰り道でずっと考えていた。 どちらも続くと思います。場所を先にいう(ウ)のほうが,情景を彷彿とさせます。 私は歩きながら思索するのが好きだ。その日も (イ)人はなぜ変わるものなのかと帰り道にずっと考えていた。 橋のたもとにさしかかったとき・・・ と続くように感じます。
お礼
ご回答ありがとうございました。 最後の段落は大変参考になりました。
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お礼
(補足欄からの続きです) >> 【で】動作がその時間・期間で完了する場合には「で」をつけて表す。『小学館類語例解辞典』 >いずれにしましても【に】の場合には、【帰る間】の多くを使ったというような含みが感じられるように思います。 >一方の【で】には、そこまでの感じがいたしません。 これには【で】の「完了」を強く意識させる特性が関係しているのでしょうか。(#11) :同感できるご見解です。 「で」に完了の要素があるとすれば、 (ア)人はなぜ変わるものなのかと帰り道でずっと考えていた。 の場合、 「帰り道」が時であっても場所であっても、 「立ち止まってずっと考えていた」 という印象を与えるのかもしれません。 これが違和感の理由かもしれませんね。 「に」の場合は、#7で教えていただいたように、 「帰る道」が「帰る間」という「時」の要素を持った言葉に置き換えが可能で、且つ、「時点を問題にする(#6)」要素だけで、(「で」のように)完了の要素を伴わないため、「帰る間じゅう考え続けていた」という本質的な文意とも矛盾しない。 ということになるのかもしれません。 辞典や辞書に基づいた詳細なご見解をお示しいただき大変参考になりました。 大変なお時間を割いていただきましたことに対しても、厚くお礼申し上げます。
補足
度々の詳細なるご回答をいただき誠にありがとうございます。 私のような素人には、お示しいただいた専門性の高いご見解が大変役に立ちます。 素人の悲しさで、すぐに全てを理解することは難しいのですが、この質疑をお気に入りに入れ、折に触れじっくりと拝見させていただく所存です。 とりあえず印象に残った点について若干感想を述べさせていただきます。 まず、 >話している時を基準としていつであるかが定まり、時間的にも幅のあるような名詞の場合には“「に」をつけない”でいう。「明日来ます」「今朝雨が降った」(#4) :という、基本的に「助詞なし」が継続表現に適していることの解説が大変参考になりました。 >継続する場合は、まずは【助詞なし】ということになるようです。(#5) :ということですね。 >(A)“「に」がつく”のは、「…年」「…月…日」「…曜日」「…時…分」などのようにいつであるかがはっきりと定まっている、特定の一時点をあらわす名詞の場合。(#4) :で、「に」の基本を改めて確認させていただきました。 これは基本として大事なことですね。 >(助詞なしの場合、)「帰り道」がしっくりくることから、今度は逆に、読み手は「帰り道」から「時」を感じているといえるのだと思います。(#8) :とおっしゃるように、私としても、この例文の場合「帰り道」を「場所」と想定するのは適切ではないように思っています。 「レストランで考えていた」などの場合と一緒にはならない、という感じです。 >そうした(「時」を意識しようとした)場合に、「で」の文がややおかしくなるのに比べ、「に」の方は十分置き換える(「帰り道」を「時」を表す語として想定する)ことができます。(#8)(一部勝手に注釈してすみません) :ということですね。 (お礼欄へ続きます)