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心とは、すべてなんだ

自分で考えるべき問題なのですが、考えてもわからないので教えてください。哲学の著書を書いている池田晶子さんの「14歳からの哲学」の「心とはどこにある」の章で次の文が出てきます。 心なんてどこにもない。だって、君が悲しい気持ちでいる時、その悲しい気持ちはどこにあるだろう。頭にあるものでもなくて、ただ悲しいという気持ちが明らかにあるだけじゃないだろうか。いつもの友達の顔をみても悲しいし、どこかへ出かけても悲しい。その悲しいという気持ちが、すべてを悲しくさせているんだから、その意味では、心とは、すべてなんだ。体のどこかに心があるのではなくて、心がすべてとしてあるんだ。 の、心とは、すべてなんだ。以後がよくわかりません。   宜しくお願いします

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回答No.24

>>> No.23の補足欄 科学の方法は、新しい事実の発見、観察から始まり、仮設を立て、それを実験等により、解析・証明しているわけで、新しい事実の発見は、脳が勝手に作り出したものではないはずです。 それについては、どう思いますか? <<< 半分はそうであり、半分はそうでないと言わざるを得ないでしょう。 脳の想像力は、時として現実を凌駕します。 その例として有名なものは、やはり「無限」に関する概念でしょう。 たとえば、直近のものとしては 「時空」 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5360466.html?ans_count_asc=20 があります。 また、池田氏は、本人も明言されておられるように、唯心論から入っています。「入り口」が異なっても、繋がり合っている全体(「すべて」)という概念が同じならば、見る方向が異なるだけということになります。池田氏の記述に違和感を感じると言うことは、やはり「入り口」が異なると言うことです。 「入り口」が同じように見えても、微妙に形や大きさや位置がずれています。その「ずれ」こそがアイデンティティへと結びつくものになると思っています。すなわち、人々は、それぞれの「入り口」をもって、全体(すべて)へと繋がり合っていると思っています。 「すべて」をすっぽりと包み込むような感覚の入り口を持つ人もいれば、針の穴から覗くような入り口を持つ人もいるでしょう。また、「すべて」の内部に幾層もの殻をかぶった状態で、ひとつずつ打ち破っていくようなイメージを抱く人もいることでしょう。 そういうことだと思っています。 >>> そんなふうに、心の動きを細かく観察してみると、心とは、二つに分かれるのではなく、もっと数多くの部分(又は層)に分かれている感じがします。 (又は、各層でネットワークを取っている感じもします。)その辺もまた、著者の説明に物足りなさを感じています。 それについて、どう思いますか? <<< 「こころ」というものに関する概念区分は様々にあるでしょうが、多くは、たとえば「知・情・意」といった区分があります。 さらに細かく分けているものは、たとえば「多重知能」などです。(この辺りは「知・情・意」の全てを、「知(能)」というフィルターを介して区分しているとも言えます) 知能 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E8%83%BD 多重知能 MI:個性を生かす多重知能の理論 (単行本) ハワード ガードナー (著), Howard Gardner (原著), 松村 暢隆 (翻訳) 出版社: 新曜社 (2001/10) ISBN-10: 478850779X ISBN-13: 978-4788507791 発売日: 2001/10 また、脳に関する本は様々ありますが、 進化しすぎた脳 (ブルーバックス) (新書) 池谷 裕二 (著) 出版社: 講談社 (2007/1/19) ISBN-10: 4062575388 ISBN-13: 978-4062575386 発売日: 2007/1/19 あたりは、お勧めかも知れません。 最後に >>> No.23 お礼欄 実は、自分は頭を抱えています。自分は、相手を考えて回答お礼の内容を変えています。 相手により、簡単に返答したり、断言的な表現にしたりしています。ですから、それぞれの回答へのお礼は、別の人への回答のお礼ではありません。 <<< とのことで、申し訳ないことをしました。 お許し下さい。 ただ、応答された言葉の裏側を含め、全てを思ん図ることは困難なことです。他の方への発言であっても、質問者様の見解が質問の主たる内容に関することであり、かつ、違和感を感じた場合には、アドバイスをしたくなってしまうものです。 私の場合、表現の仕方よりも内容に関心がありますので、言い換えられたものについても、おそらく、同様のアドバイスを記述したと思います。 これからの思索について、何らかのお役に立てれば幸いに思っております。

mintarou1
質問者

お礼

いつも、早い、かつ丁寧な回答ありがとうございます。 これから先は、提示していただいた資料を読み込み、思索する作業を続けていきます。 また、何か、行き詰って質問することがあると思いますが、その時は宜しくお願いします。 とりあえず、今回の質問はこれで締め切らせていただきます。 ありがとうございました。

その他の回答 (25)

noname#101110
noname#101110
回答No.5

>その悲しいという気持ちが、すべてを悲しくさせているんだから、その意味では、心とは、すべてなんだ。--- 心を科学的に分析すればまた別の答えが出ると思いますが、ここで著者がいおうとしていることは、「心」はそのひとの全人格の代表として働く、と言うことだろうと思います。心が(心だけが)そのひとの身体とその感情的な動きを制御しているものなのだ、ということでしょうか。逆に言えば、一人の人間にはそのひとだけに備わった心があってそれをそのひとの感性のすべてとしてみなすことが出来るということでしょう。 そういうことを著者はここで言おうとしているのではないかと私は思います。 ご参考まで。

mintarou1
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 最初の質問の説明が不十分だったせいか、質問内容が伝わっていない印象をうけました。 それで、回答者No12の方に補足説明を書かせていただきました。 そちらも参照されて、意見が変わりましたら、また回答お願いします。

noname#100496
noname#100496
回答No.4

人の心は、自我と無我の、相反するふたつの意識が、合体して出来ています。頭で論理で考える時は、自我が働いています。心で情緒で考える時は、無我が働いています。仏教では、地球を仮の世界といいます。不調和世界の脳の自我と、調和世界の神の無我が、出会うために創られました。現代人は、心のバランスが、自我に偏っているので、これを矯正するために、座禅や瞑想では、脳を休めて、神の無我を復活します。

  • owlsjp
  • ベストアンサー率18% (23/127)
回答No.3

 あらゆる事象を認識しているのが心であるとすれば、心が全て と言えるかもしれませんが、  相手のハラを読む 頭で理解する という認識方法もあります。  意識が全て と言ったほうが適切かもしれません。  14歳から哲学は早すぎるし  改めて こころがすべて と言われると、違和感を覚えます。感情を司るのは心である と言うなら、解ります。  心は、環境によっても左右されます。その人がいつも悲しいのは、幼少期の環境が主な原因かもしれません。周囲の環境が心の在り方を決めるのだとすれば、環境が全て と言えるかも知れません。しかし、両方だと思うんですけどね。

mintarou1
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 最初の質問の説明が不十分だったせいか、質問内容が伝わっていない印象をうけました。 それで、回答者No12の方に補足説明を書かせていただきました。 そちらも参照されて、意見が変わりましたら、また回答お願いします。

noname#131234
noname#131234
回答No.2

文学の自然主義的な考え方です。  実在のない心が、存在していると感じられるとき、この主観的顕在は、他のもろもろの事象を押しのけるという性質があり、 怒りと悲しみを感じている「とき」、 「其の只中」で喜びや幸せが、「理想的な様態で感じられない」という事実からも推測できるように、 自然の全ての中心となりうる。心が全ての中心であり、存在しない自己が、実は、存在するかもしれないという可能性を個人に知らせる。 関連性の脈動を現在的に・人が受容できる形で変換するという点において、こころは全てである。時の流れの中では、「今」しか存在しえないのだから。 現象的連関をトレースするための「編みかご」としての「器」がこころであり、「他愛のない」人のちょっとした仕種でさえ一人の人間を致命的に傷つけることが出来る。 悲しい心を抱いているときとは、えてして、周りの景色も物悲しいものと感じさせるものである。 ということです。 文法事項「ドラマティックプレゼンス」を参照ください。 もちろん傷つかない人は、います。醜く臭い鈍感な人。そういう人に限って「自分の権利」だけを主張します。この方々の辞書に「義務」の文字はない。

mintarou1
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 哲学に関しては、初心者で知識も不十分なためだと思いますが、正直、回答内容が良くわかりません。 できれば、回答者No9のように一般的な言葉で説明していただくと助かります。それが難しい場合は、その考えに関する書籍を紹介していただくか、ドラマテックプレゼンスをネットで検索しましたが、これと思えるものに、ヒットしませんでした。 それに関して説明してあるサイトを紹介して頂けないでしょうか? お願いします。

回答No.1

「人間は心がすべてだ」ということですかね。 先生に怒られても、心がなければ悲しいとは思わない。 心がなければ、夢を持つこともないし、将来に不安を持つこともない。 それではロボットと同じです。しかし逆に、 心さえあれば、体を改造されてロボットになっても「人」と呼べる。 心とは、人間にとって一番大切なものである。 「人間にとって、心がすべてだ。」といっているのでは?

mintarou1
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 最初の質問の説明が不十分だったせいか、質問内容が伝わっていない印象をうけました。 それで、回答者No12の方に補足説明を書かせていただきました。 そちらも参照されて、意見が変わりましたら、また回答お願いします。