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植民地時代にマカオがポルトガル人だらけにならなかったのは何故ですか?
現在、マカオの人口分布は中国系が97%でポルトガル系は残りの3%に過ぎないそうですが、長きに亘る植民地時代にポルトガル人の本土からの大量移入が無かったのは何故でしょうか? 理由を御存知の方は御回答を宜しく御願い致します。
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ポルトガル語の通訳です。 ポルトガルの植民地はたくさんありました。アフリカにはアンゴラ、モザンビークを始め聞いた事のないような小さな国がいろいろあります。その国々にはポルトガルからの移民はおりません。 例外はブラジルです。ブラジルはなぜ本国からの移民が多かったかというと、三つあります。 1.南北アメリカはヨーロッパ人の移住地と考えられていた。 2.ブラジル南部は南ヨーロッパ人が暮らしやすい気候だった。 3.ナポレオンに攻められてポルトガル王室がブラジルに避難し、数十年の間、王室がブラジルにあった。 ではマカオはどうかというと遠すぎたのだと思います。遠いという点ではオーストラリアもイギリス本国から遠かったですが、オーストラリアは人口が希薄でした。マカオは中国人が住んでいたし、面積も小さな地域で移住の対象にはなりませんでした。
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- nacam
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>名ばかりの「植民地」とする位なら、何故ポルトガルはマカオを植民地にしたのでしょうか? ポルトガルの植民地とスペインの植民地では、植民地の考え方が根本的に異なります。 スペインの植民地は、植民地を開発する事により、スペインという国を豊かにすることが目的でした。 一方ポルトガルでは、植民地は、あくまで交易の拠点でしかなく、植民地開発といったことは行われませんでした。 これは、16世紀ごろのスペインの人口が1000万ほどであり、植民地開拓のために人員を当てることができたのに対し、ポルトガルの人口が100万ていどで、交易路の確保だけで手一杯の状況だったことによります。 さらにスペインでは、原住民との結婚を奨励し、その混血の子供を植民地開拓の人員に当てることをしたのに対し、ポルトガルではそういった事も行われず、ただ交易による利益のみを求めたのでした。 ポルトガルとしては、マカオは、中国との交易の拠点として、重要な拠点でした。
補足
御回答有り難う御座います。 >マカオはどうかというと遠すぎたのだと思います。 >マカオは中国人が住んでいたし、面積も小さな地域で移住の対象にはなりませんでした。 名ばかりの「植民地」とする位なら、何故ポルトガルはマカオを植民地にしたのでしょうか?