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山本常朝
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E5%B8%B8%E6%9C%9D は山本常朝を記述しております。 この記述の中の【略歴】の項目の八行目から始まる文章は、以下のものです。 〔この間、私生活面では20歳年長の甥山本常治に厳しい訓育を受けたが、権之丞が、若殿綱茂の歌の相手もすることが光茂の不興をかい、しばらくお役御免となった。〕 権之丞とは山本常朝の稚児小姓時代の市十郎の改名下名前です。 質問は以下の事柄です: 「20歳年長の甥、・・・」とありますが、これは正しい記述なのでしょうか?
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あくまで推測ですが、山本常朝は父・山本重澄の70歳のときの子供で2男4女の末子です。ネット上では家系図が見つかりませんでしたので推測します。必要であれば「中野三代と鍋島宗茂」あたりの本をお読みください。もちろん「葉隠」でもいいでしょう。 http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E9%87%8E%E4%B8%89%E4%BB%A3%E3%81%A8%E9%8D%8B%E5%B3%B6%E5%AE%97%E8%8C%82/dp/4882981637 【以下推測です】 父25歳のときに第一子誕生 父50歳、第一子25歳のときに甥常治誕生 父70歳のとき常朝誕生 甥との年の差20歳 おかしくはないと思います。現代でも70歳のおじいちゃんの孫といえば20ぐらいでもおかしくないですよね?
お礼
いやそうなんですか。 ありがとう御座います。正しい記述なんですか。 それなら、その甥ご様の親ごさんとは、多分、異母関係となるかもしれませんね。 山本常朝地震の、お父様の再婚か、なにかで。 ありがとう御座いました。
補足
take-plus様のご指摘のとおりですね。多分。当時、社会状況も転変していても、それほどの世代間の隔絶も在りませんでしたろうから、侍妾であれ再婚であれ、大庄屋さんの娘さんが、お世話にお見えに為りましたでしょう。 そして娘さんの今後の事を考えてあげれば、幼い常朝を儲け、大事に一族と肥前はなされたのでしょう。 それにしても、古今東西、思想家という方奇しき(くしき)境遇の中に生まれ、育つものですね。 孔子、イエス、バガヴァン・クリシュナなど。 普通のところで、当たり前に生きていく事はしてきていないようですね。 ありがとう御座いました。山本常朝は今後も考えていきたと存じます。葉隠れの、きちんとした写本が在ったのですが、友人の書庫に入ったまま、戻りませんので、古巣の図書館にいき調べてきます。 それにしても常朝をとりまく、肥前の国はいい環境でありましたようですね。 湖人の本田次郎君の世界を思い出します。