• 締切済み

昔経験した異常な精神状態

もう20年近く前になりますが、異常な精神状態を経験したことがあります。 非常に文章で表現しにくいのですが、あれは何だったのか・・・と今でも不思議に思います。自分って何だろうと考えながら鏡をみていると、ある瞬間から「この自分が宿っている体は誰なんだろう」「自分とは何なんだろう」「なぜ自分は自分なんだろう」というモードに突入しました。仮にこの異常な状態を「モードA」と呼ぶことにします。 もちろん、自分の名前を忘れたわけでも記憶がなくなったわけでもありませんでしたが、鏡に映っている自分が自分ではないような不思議な感覚に陥りました。漢字をじっと見ていると、何の漢字かわからなくなるような現象に似ていました。 その後、しばらくして正常モードに戻りました。 しかし、翌日何かのきっかけで、ふたたびモードAになってしまい、もとに戻らなくなってしまったのです。 酒でも飲んだらもとに戻るだろうと思って、飲んでみましたが、治りません。 外を歩いたら治るかと思ったのですが、それでももとに戻りません。 だんだん、自分が暴走していくのに焦ってきました。このままでは「自分」が勝手に何かやらかしてしまう。一番怖かったのは、「自分」が自分の意図に反して勝手に自殺してしまうことでした。 (かぎかっこの「自分」とは、通常の自分が眺めている対象の「自分」のことで、冷静な自分も同時にいるわけです。) 自分で救急車を呼び、病院に連れて行ってもらいました。病院でもこの精神状態のことは理解されず、とりあえず点滴をしてもらいました。 看護婦さんと話していたら、スっと元に戻りました。 あれから20年経ちますが、そのような症状はその時以来出ていません。 心理学、精神医学などに詳しい方、同じ経験のある方がおられましたら、お話をお聞かせいただければ幸いです。

みんなの回答

  • youchan37
  • ベストアンサー率37% (248/669)
回答No.3

作家・評論家の倉田百三さんは、強迫観念で森田療法の森田正馬博士の元に入院し、治ったのです。 それで倉田さんの症状について、確かドイツ心理学を用いてそれを説明しようとしたものを 読んだ気がして、手元の文献を探したのですが見つかりませんでした。図書館で読んだのかも知れません。 ちょっと定かではありません。きっとそれはゲシュタルト崩壊のことだったのだろう、と思います。 ゲシュタルト崩壊という具体語は知りませんでした。大変勉強になりました。有難うございました。 以下、森田正馬著・水谷啓二編 "自覚と悟りへの道" 白揚社 (出版)より引用(書出し)致します。 (以下引用)~ある日私は、庭先の一本の松の木を見つめていました。一本の松の木、それを如実に知覚するためには、一度あらゆる細部に別々に注意しなければなりません。それからまた全体を大まかに眺め返し、つぎに全体を眺めながら同時に細部を注意することをつとめ、このようにして初めて、松の木にたいする私の凝視が行われるのです。しかし、おのおのの部分を同時に注意することはできませんから、一部分ずつ代る代る注意するほかはありません。こんなことをしている間に、私は松の木の全体を一度に把握することができなくなりました。(引用終) 倉田さんはこの感覚が進み、他にも不眠や、様々なものが回転して見えるなどの症状が深刻になり、いよいよ身動き取れなくなり、それで森田博士のところに入院したのです。 それで森田先生は、下地が出来上がっていたから、このような誰にでもあることに引っ掛かったのだと。 そんな主旨のことを仰っています。 「普通の人なら、妙な気持ちになることもあるものだな、と考えるだけで、流れていく。忘れてしまう」。 で、その下地というのは、倉田さんは、超がつくほどの理想主義者で、 鑑賞するものは全て美しく見えなければいけないと思っていたのです。 そういう強い理想主義的な前提があったからこそ、これに引っ掛かったのだ、と。 倉田さんはこれが起きた時、激しく動揺して恐怖に陥ったのだろう、と。 それは「従来通り美観にひたって鑑賞できなくなったらどうしよう」という心であったろう、と。 「かくあるべし」なのです。意志の力で自分の心を支配することは全然可能なんだと思っていたと、 倉田さんは当時を振り返ってそう言っているのです。そこを森田先生は指摘しておりました。 で、私が思うに、この倉田さんの最初の状態は、ゲシュタルト崩壊のようにも思えるのです。 そして、だとすればこれ自体は、大なり小なり誰でも経験する心理だと思うのです。 そう考えていくと、ご質問者様の状態は、離人症性障害とは違っていたかも知れませんね。 否しかし、やはりそういう下地もあったのかも知れず。 この辺りは専門家も研究中とのことらしく。 かといってこの倉田さんの場合と、必ず一致しているとも決め難く。 まぁ、参考にでもなればと思い、書かせていただきました。

  • merry1123
  • ベストアンサー率51% (14/27)
回答No.2

No.2の方も回答されていますが、離人症だと思います。 私の場合は帰社途中の車の中で、突然kingyo1200の仰る「モードA」になり、信号は赤だが進んでもいいのかどうか?を一呼吸置いて考えないと答がでないなど、五感全てに透明で分厚い膜を張られたような感覚の中で、無我夢中で家までたどり着きました。車内では「何これ、何これ!!??」とブツブツ呟いていた記憶があります。かなりのパニック状態でした。深夜で、道には車通りがほとんどないのが幸いで事故は起しませんでしたが、怖かったです。 今まで気付かなかったけど、普段「私」は「私の身体・感覚」の入れ物の中にぴったり納まって一体化していて、「私」と「私の身体・感覚」がちょっとでもズレると「モードA」になっちゃう、とでも言いましょうか…確かに文章にするのはとても難しい状態ですよね。笑 今でも仕事でものすごく疲れる(身体的にも精神的にも)とたまにですがそうなります。ただ、「離人症」と診断が下りた後では頓服薬も処方されているので、最初の時のようなパニックにはなりません。薬を飲んで寝て起きると「あ、戻ってきた」みたいな感じです。

kingyo1200
質問者

お礼

長年の謎がようやく解けました。ありがとうございます。 インターネットでいろいろ調べていたら興味深いものを見つけました。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1015057120?fr=rcmd_chie_detail 私の場合は「自分とはなんだ」と考えながら鏡を見ていたのが引き金になったと考えていますが、上記のリンク先記事と内容が酷似しています。 ネット上では半ば都市伝説のように扱われているようですが、本当に危険なことだと身をもって実感しました。

  • youchan37
  • ベストアンサー率37% (248/669)
回答No.1

離人症性障害の一種ではないでしょうか。 自分を見ている自分がいる、というところがポイントです。 ごく軽度のものは、自身体験したことがあります。

kingyo1200
質問者

お礼

ありがとうございます。 離人症性障害を調べてみた所、かなり一致しますね。 一過性のものは問題ないようで、とりあえず一安心です。 でも、あの時は、本当に恐ろしく、精神に異常を来たすとは、こういうことなんだと身をもって実感しました。 きっかけは、「自分とはなんだろう」と考えながら鏡を見たことなので、それ以来恐ろしくてできません。