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ネガティブな感情
妬み、嫉みなどのネガティブな感情は、自分で持っていても、他の人に持たれていても、良い気はしないのに、なぜ存在するのでしょう。 存在意義が理解できれば毒気に当てられても日々穏やかに過ごすことができるのではないかと思い、ご質問させていただきます。 よろしくお願いします。
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- Lilyrosa
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人って何でも理由を求めてしまうけど、存在意義がハッキリわかっているものってものすごく少ないんじゃないですかね。 存在意義が理解できれば本当に日々穏やかに過ごせるんでしょうか。人間は考える事が好きだから存在意義が理解できたとしてもまたその先に理解できない事がまたポッと湧いてくるものではないですかね。 その嫌な感情の存在意義がわかったところで、私はその嫌な感情の処理方法には悩みますし。頭で理解しても心もついていかないです。 その嫌な感情の存在意義を知ろうとすると、どんどん解らない事がでてきてそれを知る為に心理学、臨床心理学、精神医学、哲学とどんどんごちゃごちゃとわからなくなるのではないかな~と思います。 ネガティブな感情はどうして存在するの?そもそも感情はどこから湧いてくるの?心ってどこにあるの?記憶はどこにしまっているの? なんていうように、私は以前考えすぎて疑問だらけになった事があります。その先に思った事は、それがわかっても何も変わらない。でした。 幅広く考えた中でいくつかなんとなく理解できた事もあったんです。でも、理解できても頭と心は別だったので上手く考えられないのです。 例えば、地震は天災なのだからと理解できても、それで全て失ってしまったものは理解できないような… こうやってしょうがないとわかっている事でも理解できないのが人間です。 少し話がそれましたが、だから理解できないものは理解する必要なんてないんですよね。そうなった「事実」があってそれに対して「感情」があるだけで。 だから、ネガティブだって存在意義なんてあるのかわからないけど存在している事が「事実」でネガティブに感じてしまう「感情」があるだけなんじゃないかなと思います。 生きてると疑問は多いけど、大体はそれらは事実を受け止めありのまま感じる事で存在意義を知る理由がなくなるのではないですかね。 逆に嫌なものだけ存在しなかったらそれはそれで都合良すぎると思いますし。だから、感情に存在「意義」は特にないのではないかな。ただ存在する、それが事実。という回答じゃダメですか?笑 難しく考えると際限ないと思います。つまり、私の回答は存在してるだけで意義はないって事になりそうです。でも、もしネガティブな感情がなかったら…何されても笑ってるとか?無感情になるとか??考えてみたらそれもなんか微妙ですよね。
- sakura-333
- ベストアンサー率10% (952/8906)
全ては欲じゃないですかね。 同じ状況下にあっても、ネガティブな感情を持つ人と持たない人がいるんですし・・ 自分に満足できていない人は、より強い感情を持つのかもしれません。 ただ、それを理解しても穏やかに過ごすのは難しいんじゃないでしょうか。 その感情が行動に変われば尚更です。 酷ければ、その存在を消そうとするくらいの強い感情に変わる事だってありますからね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 おっしゃること、とてもわかります。 しかし理解するということは、適切な感情の抑制につながると思います。 欲のままに感情をセーブできない、というのは理性を持つ人間としてはいかがなものでしょうか。
良い質問ですね~(笑 確かにその存在意義が分かれば、自分の事のように相手にも同じ気持ちを持てるのかも知れません。 詰まる所、人は常に自分と他人とを「比較」しながら生きている動物だと思うのです。 例えば、暗闇の中で光があれば、誰しもそちらを見る訳で。。。 他にも闇に紛れている人達がいるかも知れないけど、そこは暗闇。 周りの人達も「本当にそちらを見ているのか」分かる訳はありませんよね。 でも「自分も見ているなら周りも見ているだろう」と思う訳です。 人ならそこで、どう思うのでしょうかね? 「自分もそこに立ちたい」と? それとも「同じ闇に引きずり込みたい」と? 自分の立ち位置、相手との距離、遠ければ遠い程、実感すれば実感する程、自分の無力さを痛感する訳ですな。 しかしまた一方で、光の中にいる者から、闇は見えません。 光の中からでは「ここが光だ」とは思えないでしょう。 だって「闇があるからこそ光を実感出来る」訳ですから。 本当の光もまた無し。 みなそれぞれ、自分の中の幻想を追っているのでしょう。 そう言う意味では、ネガティブな感情、負の感情もまた然り。 ポジティブな感情や善の感情を引き立たせる意味では、無くてはならないものなのかも知れませんね。 ま、もっともその「光」と「闇」の認識が本人に出来ていれば、の話になりますが。。。
お礼
ご回答ありがとうございます。 光や闇は、どこでどう作られているのでしょう。 自分からみても他者からみても「あそこは光であっちは闇だ」と共通して認識できる場所はあるのでしょうか。 マスコミで一時期言われていた負け組勝ち組のように何歳までに◯◯できるできない、などといったことが光と闇の境目なのでしょうか。 自己満足できたり相手に優越感を感じる場所が光で、劣等感を感じる場所が闇であれば、各々の主観に基づくものなので一致はしていないですよね。 また、私個人で感じる光を言葉で表すとすれば、幸せだったり温かさだったりします。闇なら愛情を感じられない時の孤独感、自己嫌悪などです。これも主観に基づいて感じるもので他者と一致することはありません。 光や闇は個人の中でつくられるものであって、万人共通の境界線などないと思うのですがいかがでしょう?
補足
お礼の問いに関しまして >みなそれぞれ、自分の中の幻想を追っているのでしょう。 という文で既にお答えいただいていることに後で気付きました…失礼いたしました! 自らの闇に気付いてはじめて光の実感を得られるということですね。 深いです!
なぜ存在するのか・・・私も長い間葛藤してきました。 ・・・で、現時点での結論ですが。 生きるためではないでしょうか。自分が生きていくために邪魔なものは排除したいという、動物的なものかと思っています。 受精のときを考えて見てください、沢山の精子の中から最も優れた、勝ち抜いたエリートだけが卵子と結合が許されているのです。産まれた時点でNO1,だったのですね。 そのように、産まれてからも生きることは勝ち抜くこと、そのためには邪魔者を排除したい!っていうのが、生命としての衝動といいますか、そんな感じなのかな、と。 そんな競争の中、日々穏やかに過ごすのは結構大変です。一人の時間をなるべく多く持つ、っていうことぐらいしか、考えられないのですが。 どんなに優しい人でも、そういったネガティブな感情がないってことは、ないと思います。 生きている以上仕方がないと、思っています。 イロイロと理論的に理性的に解説しているものも沢山ありますね、けれど感情というのは理性に勝ってしまう、それ程強い衝動と認識しています。 あ、これはあくまで個人的な感想です、決して押し付けてはいませんよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。個人的なご意見歓迎いたします! 社会の仕組みが競争社会である以上、比べられたくなくても人と比べられたり、優劣によって待遇の差がでてきますものね。 競争は競争でも世の中の価値が人に優しくできた人が勝ち!とかですと、ネガティブ感情がおこることは少なくなるのではと思います。 もし世界で自らの給料や待遇などを弱者のために役立てるようなことをすることがトップになれる条件として確立されたなら、このような感情にさいなまれることはあるのでしょうか。
- eeb33585
- ベストアンサー率18% (283/1495)
神様が、感情を持たないロボットではなく、感情を持つ人間をお造りになったから。 私は、ものごとを次のように考えています。 ブスが居るから、美人が目だつ。 足は長いが、胴のほうがもっと長い。 ある程度のネガティブな感情が、向上心の源になって、頑張り発展してきた。 どんな感情にも個人的なバラツキが有るが、それが無い世界を想像してみてください、 恋愛も芸術も無いロボットが工場で働くような世界になってしまいます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ネガティブな感情が向上心の源というのは、そのネガティブな感情を乗り越えてはじめておこるものではないでしょうか。 乗り越えてさらなる向上心へ結びつけられる人は、その強い負の感情を正のエネルギーに変換できていますよね。 乗り越えられない人はいつまでも対象の相手を気にしたり攻撃したりしていると思います。
- sumin96
- ベストアンサー率41% (185/447)
以前、私も女性より男性の方が嫉妬心が強い、 という話を聞き、ギモンに思って色々調べたことがあります。 人間にしかない感情、おもしろいですよね。 「嫉妬」というものはごく自然な感情で、 自分よりできる人間とか満たされている人間、 もてている人間を見たときに生じる不快感、 攻撃性みたいなものですよね。 ですから、逆に言えば嫉妬心がない人間というのは ある意味で「無感動に生きている」という場合が多く、 おおらかに見えるけれども、たとえば自分よりできている人間とか 自分よりもてる人間を見て「羨ましい」とか「なにくそ」とか 思えない人間=向上心のない人間と言うこともできるかもしれません。 だから、嫉妬心そのものは私は否定的にとらえるつもりはありませんし、 嫉妬心が強いことをバネにして出世するだとか、よりきれいになっていくとかは 往々にしてあると思います。 ただ、年をとっていろんなことにあきらめがつくと 嫉妬心が薄らいでくるというのはあるでしょう。 それに代替するものを「老人力」と言っていますよね。 この老人力を考えると、逆に考えれば嫉妬心というのは 若々しさの象徴でもあるわけです。 たとえば、60歳以上の老年の人が 「20代のガキがもててるのが悔しい」と言って 「俺は金の力でもててやるぞ」というのは精神的には若いということになるのです。 60歳の女性が「若いものには負けないわ」と言って 20歳の男をボーイフレンドにするというのも、 やはりそれは若さの象徴になるわけです。 つまり、嫉妬心の強さは精神的な若さにつながる部分もあるのです。 さて、嫉妬には種類がふたつあり、ひとつは「ジェラシー型」。 嫉妬の対象に対して負けないように頑張る、 つまり負けた相手に対して見返すと同時に自分も向上する嫉妬です。 もうひとつの嫉妬は「エンビー型」。 「そいつが落ちたらいいのに」とか、その人が悪口を言われていると 「ざまあみろ」とか思って一緒になって乗ってしまうとか、 そういう破壊的な嫉妬です。 嫉妬心を持つ人は若い心を持つと言ってもいいのですが、 できれば自分を磨き向上させる「ジェラシー型」の嫉妬がいい。 ネガティブな感情を逆手にとって、向上していけばいいのです。 ならば存在意義があるかも知れませんね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 以前にお調べになったことをここでご教示くださり感謝いたします! 相手と比較して負けたと自認した時に出る感情ですよね。 そのまま負けてもいいや、と思うなら嫉妬にまで発展せず、あの人に負けたくない、といった現状に抗う気持ちが嫉妬となるのでしょうか。 なかなか奥深いですね!
お礼
ご回答ありがとうございます。 結論を拝見させていただき、とても、哲学的だなと思いました。 我思うゆえに我あり、という言葉をおもいだしました。 事実を受け止めありのままを感じることも、大切ですよね。 たしかに、そういったネガティブ感情は理屈ではないものなので存在意義がわかるだけではスッキリ解消!とまではいかない問題だと思います。 おそらく人間の本能と結びついているものでしょうし、本能がかわらない限りなくならないものと思います。 ある程度のネガティブ感情は、たとえば恋人をだれかにとられそうになった時に平然としてたらとられてしまうので、嫉妬することにより外敵から身を守るために必要なものなのではないかと思いますが、ゆきすぎると恋人がうんざりしてしまって離れていってしまう、ということになりかねませんよね。 私は理解するということを通じて、感情のコントロールをしてバランスを保とうとしています。 ここで答えてくださった皆様のご回答を、自分が自身の感情にふりまわされそうになったときに思い出し、冷静になろうと思っています。