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人の不幸はおもしろい
たとえば、もし身近な人が失恋しそうだったり離婚しそうだったり、恋人や配偶者と大ゲンカしたりしたときに、表面上は「心配」して親身になって話を聞いていても 心の中では「この先の展開」をワクワクして、面白がって聞いているようなことっていうのは、人間としては特別おかしなことではないのでしょうか。 人間の心とは、本来、嫉妬、妬みなどの塊であり、人間の心は美しいと期待すれば裏切られると聞いたことがあります。 人の不幸を、自分の不幸のように受け止める姿が本来の(健全な)人間の姿なのか 表面上ではそのようにしていても、心の中ではおもしろがっているのが 本来の人間の姿なのか、どちらが本当の姿なのでしょうか。
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どうなのでしょう? 人によって、境遇が違います 他人と自分を比較して、恵まれてると思えば、嫉妬することも、妬むことも無いでしょう 聞いてる本人が満たされてれば、親身になって聞いてる余裕もあるでしょうし、満たされてなければ、面白がって聞くかもしれません 他人と比較する人、他人と比較しない人、それぞれなので一律と言うのは難しいでしょうね 本当の姿は、誰でも、気持ちに余裕があるべきでしょうけど・・・現在の世の中じゃ、難しいでしょうね
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- akiko0828
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性善説か性悪説かになってしまうと思いますが、私は前者と思います。 他人の不幸といっても別れ話や離婚話等はゴシップとして興味本位で見ることもあるでしょうが例えば身内に不幸があった人を面白がるというのは普通の感覚ではないでしょう。
お礼
身内が交通事故にあって内心喜んでるとすれば、それは心に問題があったり 家庭環境に問題があったりするのでしょうね。 回答ありがとうございました。
- hunaskin
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どちらかが本来の姿、ということでは無いと思いますよ。 他人の不幸、とひと口で言ってもその関係性や不幸の内容によって面白がれたり自分のことのように心配になったり、またその中間だったり様々です。 例えば、例えば友人同士が仲違いしたとしても「まあお互いオトナなんだからおれの知ったこっっちゃないや」と傍観者の立場で面白がったりできますが 中国の全く知らない人々の震災被害の様子を見ると気がふさいでしまったりするわけです。 離れて暮らしている妹が風邪をひいたと聞けば一応は心配しますが、すぐ忘れます。 私一人の心の中でも色々な場合があるわけです。 また、人によってその度合いというか基準は様々だと思います。 自分や我が子の不幸でさえ笑い飛ばせる人もいるし、ひいきの芸能人の離婚話に涙する人もいます。 人間の心の動きとはこういうものだ、と白黒つけることはできません。 限りなく白に近い灰色からほとんど黒の灰色の間まで様々な状態があるのだと思います。
お礼
確かに こういう面で白黒つけるのはナンセンスですね、分かりやすい回答をありがとうございました。
お礼
本人の心に余裕があるか無いかでも違ってくるかもしれないですね。 確かに人の悪口ばかり言ってる人は、現状に満足できていない人が多いような気がします。 回答ありがとうございました。