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幕末から明治にかけて活躍した人たちはえらく若いですよね。
なにか理由があるんでしょうか? いくら昔とはいえ、20代が世界を動かそうとするのは年寄りから見たら怖いとか、そうはさせんと言った動きがでそうなんですが。そういうのはあまり感じられませんよね。 とりあえず、いっぺんやらせてみて泣きつくの待ってたら、うまくやられてしまったみたいなかんじですか?
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彼らが若いというのは現代の事情から見ればの話であって、あの時代では彼らは決して若くは無いのですよ。 あの時代の人々を年代別に見れば分かると思います。 上の世代から言うと、 あの時代、60歳まで生きれば長生きとよばれました。 大部分の人は50代ぐらいで寿命を迎えたのです。 つまり60代以上の人はいないに等しい。 50代で「お迎えが来る世代」ですから、その下の40代はというと、余生をゆっくり過ごす「隠居」世代でした。 後継者がいるような場合は跡を譲り自分は現役を引退しました。 もちろん、そんな余裕が無い人達は働いていましたが。 そして、下の世代はというと 武士は15歳で元服し一人前の社会人。 町人の子も11,12歳になると丁稚奉公や女中見習いとして働き始めました。 結婚も10代でするのが一般的でした。そして子供が生まれ、その子供も同じくらいで結婚しますから、30代半ばには孫がいてもおかしくなかったのです。 女性の場合、24,5歳で「オバサン」の仲間入りしました。 この時代、20代より上の世代は30代、40代しかいなかったのです。そして下には10代の後輩や部下がいました。 こんな時代ですから、当時の感覚から見れば幕末に活躍した人達は取り立てて「若い」と言うほどではなかったはずです。 世間的に見て、20代はある程度経験を積んでいる中堅と呼ばれる世代でした。
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- debukuro
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16歳で元服(成人)ですから20台は中年
- jamiru
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No3さんに同感です。 ところで、そんな若い彼らに任せたその上司であるリーダーの決断力・判断力は気付きませんよね。 でも良いのです。 リーダーや人の上に立つ者はこの程度で良いのです。 これが世間の勘違いしているところなのです。 これこそが本当のリーダー。 見つけられないのも当然なのです。 それを必死に見つけようとする姿は哀れにも見えます。 明治維新はコソーリ大人たちが築き上げていたものを利用させてもらっただけのものです。 その頃に若かった人が老人になって振り返った時に江戸時代の遺産がなければ無理ポ。と述懐してます。 おまいら、俺たちの功績じゃねぇぞ??と喚起したのですけど、時すでに遅かったのか俺たちの実力だぜヒャッハwwwと勘違いした新時代生まれの連中は戦争に突き進んだとか。
- eroero1919
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幕末の時代というのは、現代社会に近いような気がします。全てのシステムは大人に都合がいいようにできていますが、その制度はすでに制度疲労を起こしていて時代に合わなくなっています。しかし、社会の中心である中高年は既得権益を失うことを恐れて何もしようとしません。 そのひずみは若い世代にのしかかり、そして時代がにっちもさっちもいかなくなったときに若い世代が爆発したのだと思います。 現代社会もそうですよね、中高年は正社員で身分は安定していて年金もなんだかんだいって多少はもらえそうです。一方若者は非正規雇用でワーキングプアーで昇給の希望もなければ年金も払えません。 ですから、実は幕末の志士なんてのはもう若さのエネルギーだけで乗り切ってしまったような部分が正直いってあります。幕末初期は攘夷論が主流で志士たちの多くもテロ活動をしていました。しかし彼らには特に思想的に何かがあって攘夷論ではなく、ただ時代のブームが攘夷論だったので攘夷活動をしていたのです。だから、時代のブームが開国論になるとあまり思想的に悩むことなく開国論者になって明治維新による近代化を進めています。 またその活動も相当に出たとこ勝負です。例えば、薩長軍は錦の御旗を手に入れて江戸に進軍しようとしましたが、実は全く軍資金がありませんでした。金がないのに後先考えず倒幕だーとかいって錦の御旗をもらっちゃったのです。引っ込みがつかなくなってどうしたかというと、なんと攻める相手の徳川幕府に「金貸してくれ(ただし、返すアテは全くナシ)」と頼んであっさり断られています。 江戸城の徳川埋蔵金をアテに江戸まで来ますが蔵はカラッポ。薩長は勝海舟にてめー金はどこに隠しやがったと迫りますが海舟先生ひとつも慌てず、なにいってやんでぇ金がありゃー元から負けねえよ、金なんかひとつもないから幕府は潰れたのサかんらからからと一蹴されてしまいました。 今の自民党のおじいちゃんたちもそうですよね。今度の選挙でほぼ間違いなく政権交代するでしょうけど自民党のお偉方がわざとそうさせてると思っているかというとそういうわけではないですよね。今までやってきた自民党型の政治手法がもう時代に合わなくなっているけど、おじいちゃんたちは今までの手法しかわからないので時代に合わせてモデルチェンジができないのです。そういうことができなくなったのが年をとったというんですけどね。時代を変えられるのは若い世代だけなんですよ。ケネディ大統領は若かったしオバマ大統領も政治家としては若手のほうですよね。ナポレオンもヨーロッパを席巻していた頃は若かったしアレクサンダー大王はハタチそこそこで世界を征服しようとしていました。
改革など 思い切った新しいことを成し遂げるには 若もの 馬鹿もの よそもの と言われており よそ者の ペリーをはじめとする 海外の圧力と 若者である 維新の志士たちと 馬鹿者に過ぎなかった 旧権力者たち が推進力になった様な気がします。 あなたの質問に対して 思いついただけだけれど けっこう本当の様な気がする。
私も昔はけっこう若い人が活躍するので不思議に感じることがあります。 太平記の時代の北畠顕家なども10代半ばで陸奥鎮守府将軍として東北に下り、18歳で足利尊氏と戦って押し返していますから、現在で言えば高校生か大学生が百戦錬磨の大軍を手玉に取るのだから驚きです。 さて、江戸時代は隠居というと40代が多く、井原西鶴は33歳、松尾芭蕉は36歳、けっこう速い。 平均寿命は、幕末ですと38歳ですけど、これは乳幼児の死亡率が高いため平均寿命が短いので、無事成人すれば60歳くらいまでは生きられるので、何とも言えませんが、今以上に老眼や虫歯も多いので、やはり20代30代が中心と行った社会で、若者文化だったのでしょう。 それと社会の変革期は年寄りの常識は通用しなくなり、若者に引きずられて時代の幕が開くんだと思う。
- bismarks05
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幕末に関しては極めて歪んだ理解が支配的ですが、簡単にいえば、 若いのだけが明治まで活躍して名前を残しただけでしょう。 つまり、幕末期に高齢の維新志士は明治で功績を残さないので知名度が低いだけでしょう。 いわゆる生き残りが有名になっているだけ 中堅は新時代の到来の前に自らを引き籠もった部分もあるでしょうし、 逆に新政府が中堅を無視・阻害して目立っているだけとも言えるでしょう。
- tanuki4u
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江戸時代で言えば、まぁ将軍は抜いても 阿部正弘 25歳で老中首座 水野忠邦 40歳で老中、43歳で天保の改革着手 松平定信 28歳で老中首座 保科正之 40歳で家光に後事を託される 田沼意次 32歳で御側御用取次 ってな感じで、主君の信頼とそれなりの家格さえあれば、年齢はあんまり関係ない。田沼のように家格が低いために、表だった役職は低くとも、主君の信頼で政治を主導するというのは当たり前の時代です。
- takuranke
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あの当時ではそれほど若い年齢ではないです。 幕末の平均寿命は40代位と言われています(30代半ばとも)。 普通に暮らして50歳位が寿命であれば、 20代は現代で言うところの40歳前後で(80歳寿命として)、壮年期ですね。 ただ、榎本武揚、は70歳以上生きていました、山縣有朋は80過ぎまで。 明治になって食の事情が大幅に改善され、栄養が取れるようになったからとも考えられます(二人とも30歳くらいで明治維新がおきている)。
- dogday
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平均寿命が50歳程度なんですよ。 年寄りもいますが、隠居したら意見は出せない社会ですし。 今の社会で、60代である団塊の世代より上の意見と立場をカットできたら、20代でも社会を回せる気がしませんか?
補足
うーん。わたしは若さを過信していないのでちょっと同意しかねますねwww あと、時代にあった政治手法とかむかしはよかった論は結果論ですから、当時の人はあなたと同じようにきっと文句言ってたと思いますよ。