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「許す」って難しくないですか?
私は根に持つタイプで、簡単に人を許せない性格が欠点です。 先日「ゴハンおごるから許してよ」と言われたのですが、言わんとする事は分かるのですが、「何でもゴハンで解決できるのなら、そんなに楽な事はないね。ゴハンおごればどんな悪事でも許されると思っているわけ?なんて誠意の無いの!」と思って、逆に怒りの感情が沸いてきてしまいます。 キリストの教えでも(私はキリスト教徒ではないですが)、「許し」が大切とされていますよね。どうしてそんなに許すことって大切なのですか? 皆さんは、どんな時に「よし。許そう」と思いますか?
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なぜ? 相手を憎み、攻撃し、許そうとしないのか。相手を許そうとするための努力をしないのか。 それは、自分で自分が嫌いだからです。「自己嫌悪」。 言葉を変えれば、自己蔑視、劣等感、コンプレックス…。 逆に、なぜ? 相手を許そうとする努力をするのか。 それは相手に、自分を受け入れて欲しいからです。 自己嫌悪の強い人は、自分で自分を受け入れてられていません。 もっと言えば、自分で自分が嫌いだから、自分で自分を受け入れたくないのです。 受け入れることが嫌なのです。 だから、人に自分を受け入れて貰うことも嫌なのです。 だから許そうとする努力をしないのです。 ところが実際のところ、そういう人は、人に受け入れられたくて必死になっているのです。 私もかつてそうでした。 ところが何時まで経っても、受け入れて貰えない。 それは「自己嫌悪」に気づいていないからです。 まさしく、エーリッヒ・フロムの云う通りだと思います。 「自分で自分を愛していない者が、どうして人から愛されようか」。 だから、執拗に相手を憎み、攻撃する人を見れば、「この人の心には強い自己嫌悪があるな」と、 すぐに分かってしまうのです。 その憎しみ・攻撃が強ければ強いほど、この人の自己嫌悪は深刻なのだな、と思います。 (逆に、自己嫌悪が強いので、迎合してしまうタイプの人などもいます。 こういう人は、自分を受け入れようにも「自分が無い~ありのままの自分に気づいていない」) 相手が自分のことを「認めてくれた」と思えれば、許すことができます。 お母さんに分かって欲しい子供。お母さんに自分を認めて欲しい子供。 「これなの?」~ちがーう。泣く。拗ねる。怒る。「じゃあこれが欲しいの?」~ちがーう! 「分かった、あーこれか。ごめんごめん」~そう! それが欲しかった。そしたら子供はお母さんを許します。 相手が分かってくれれば、認めてくれれば、相手を許すことができるのです。 自分を分かって貰いたいから、自分を認めて貰いたいから、だから相手を許すために努力をするのです。 許すことは、時には大変なことです。 私は常々から、松本サリン事件の被害者、河野義行さんを大変尊敬しています。 私自身が人を許せないで、憎しみの心を持て余している時、よく河野さんのことを考えます。 「どうしてあの人は、あれだけのことに遭っていながら、あんなに優しくて穏やかなのだろう」と。 河野さんが遭ったことと自分のそれとを比べると、自分が恥かしくなります。 「いや、これは河野さんの場合とは違う」などと思って、憎しみを相手にぶつけることもあります。 しかし結局後で考えれば、あー自分は間違っていた、これは自分の劣等感の裏返しだ、などと反省したりします。 Wikiなどを見ても、河野さんは麻原彰晃を「さん」付けで呼び、 「麻原さんは、自分の教えが間違っていたことを認めて欲しい」と仰っているのです。 麻原彰晃が間違っていた。間違ってたと判断をしているのは、河野さんです。 即ち、自分の考えを認めて欲しい。「自分を認めて欲しい」。 相手を真に許すためには、自分を認めて貰うこと。 自分が認められれば、許せるのです。だから許すための努力を続けてきた。自分が認められるための努力を続けてきた。 否、厳密には、もうすでに許しているのです。それは河野さんは、自分で自分を受け入れているからです。 麻原彰晃によって課せられた過酷な運命を、もう既に河野さんは受け入れています。 今の戦いは、厳密には、麻原彰晃に誤った教えを注がれた人達を救うための戦いという側面も強いと思います。 河野さんは、優しい人です。しかし同時に、とてもとても強い人だと思います。強くて優しい人です。 強いから優しい。優しいから強い。強くて優しいから、人を許せる。 人を許そうと壮絶な努力ができるのは、強いから。そして強い分だけ、優しい。 乗り越えてきたものが大きければ大きいほど、より強くてより優しい人になれます。 河野さんは、とてつもない運命を、誰のせいにも何のせいにもしないで、背負っています。 あの、奥さんを看病している姿などを見れば、つくづくそう思います。 しかし、決してご質問者様を責めているのではありません。 勿論決して、ご質問者様と麻原彰晃を同じだと言っているものでもありません。 失礼お許し下さい。ご質問者様の自己嫌悪は、決して深刻であるはずはありません。 何故ならこうやって、ご自分でここまで気づき、ご質問をされているからです。 そして、ご質問者様を責めない理由は、実はもう一つあります。 恐らくはご質問者様の軽度な自己嫌悪は、親子関係に由来するものだと思うのです。 これはハッキリとは言えませんが、その可能性が高いと思います。 河野さんは、きっと素晴らしい親御さんに育てられた人なのだろう、と想像しています。 親に自立した心を育てて貰った人は、大人になって苦境に遭っても、乗り越えていくことができると云います。 私の親は、不幸にして自己嫌悪の強い人でした。 だから私は、なかなか河野さんのようになれなくても、深刻な自己嫌悪に陥ることはありません。 自分なりに努力を続けていこうと思っています。 先程お母さんを許す子供の心を書きました。 貴方様の幼児期は如何でしたか? どちらかと言えば、あまり親御さんに「認めて貰えなかった」と。 そんな印象がないでしょうか? もしあるとすれば、つまりは「元々自分のせいではなかった」ということを、しっかりと認識し、 「あー今まで親に甘えられなかった自分を、自分で気づいてやれていなかった」 「ごめんね。今まで寂しかったよね。今まで一人ぼっちでがんばってきたんだよね」と、 ご自分でご自分を癒すこと。許すこと。~そこから始めませんか。 それが自己嫌悪を脱することのきっかけにもなろうかと思います。 そして、もし理想の自分たる存在が強すぎるなら、それを見直しましょう。 それができれば、相手に理想を求めすぎている自分に、気づくことがあるかも知れません。 理想の自分はそれとして、現実のありのままの自分を受け入れることです。愛することです。 「自分で自分を愛していない者が、どうして人から愛されようか」
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私も根に持つタイプです。 ただ、“オトナ”ですから、表面上は『まぁ、水に流そう。』なんて言いますが、事と次第によっては絶対に許してません。“そういう奴”として付き合っています。 キリスト教の“神様”だって、“契約”を破った者に罰を与えたんじゃなかったでしたっけ? 昔々の宗教学かなんかの講義の記憶でウル覚えですいません。
お礼
神様も、契約を破った人には罰を与えていますよね。ありがとうございました。
- multi_pon
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許せない相手というのは振り返ればいないこともないですが そんな相手に物理的・精神的に支配されて時間を過ごすのは その人にとらわれていることになるので「あー ばかばかしい」と 思考を変えることにしています。 なので許すも許さないもあんまりないですね。 「ゴハンおごるから許してよ」というのは具体的にどんなことが あったのかわかりませんが、例えば殺人事件を起こした人が こんなこと言うなんてことはありませんよね。 誠意があるとは思いませんし、何故怒っているのか何が悪かったのかを あんまり理解してないんじゃないでしょうか。問題の認識の仕方が違うんでしょうね。 ですから許す・許さないの二者択一ではなくて問題に対する共通認識を もつことが大事なんじゃないでしょうか。 私もたまにはキレますが年に1回あるかないか、たぶんないほうが多いです。 怒ると疲れるし私自身も周りの人も嫌な思いをするのでなるべく怒らず、本当に ひどいと思った人のことは記憶から抹殺するよう努めますし、身近な人や 長く付き合いたい人なら感情論ではなくて議論に持ち込みます。 また、何故その人がそんなことをしたのだろうかと考えてみます。 怒りというのは自分を守るための感情ですが、自分に間違いはないのだったら 正々堂々と冷静でいれば良いのです。 根にもつということは記憶力がいいことなのですから、良いことをして もらった人にその恩を忘れないという方向に振り替えたほうが 気持ちよく過ごせると思いますよ。
お礼
ひどいと思った人の事は記憶から抹殺するように努めて、長く付き合いたい人なら議論に持ち込むのが良さそうですね。ありがとうございました。
- h1r0s13
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相手がまだその境地にない時などはそうですね。 余白がありますので、気休めに読んで下さい。(自作) 五話 今は晩秋の頃、亜衣姫と羅夢王は天空を飛んだ。 可憐に、野原に咲き乱れていた赤やピンクや、白い色のコスモスの季節が過ぎ、深紅の彼岸花も消え、草原はススキの季節となった。今は西暦三千年代の中期である。亜衣姫と羅夢王は、ダイナミックに山肌を飾る、真っ赤な楓やモジミの紅葉に見ほれていた。 「亜衣ちゃん。この間は、神様はあえて方便として嘘をつかれた、と言っただろう」 「ええ、科学の進歩のためにでしょう」 「そう。それで不浄仏霊がたくさん出てきた。もう死んでいるのに、まだ自分は生きていると思っている人達が大勢いたんだ。それはそうだろう、唯物科学では、死んだら無になると、みんなが考えていたからな」 「でも、まだ肉体の意識が残っている。だから自分が死んでいるってことが分らない」 「そうなんだ。行く場所も分らなくってしまった。天使も助けに来てくれない。でも、それはそれで良いんだ。ここで問題なのは体の表面を覆っている意識なんだよ。表面意識は肉体を守ろうとする意識なんだ。恐いなあ、なんて思ってる恐怖心が、その意識なんだ。亜衣ちゃん、人間には幾つもの階層に意識があって、最終的には一番奥にある意識は、この宇宙の創造主様と繋がっているんだよ」 「神様を信じようと信じまいと」 「そう。亜衣ちゃんは、もちろん知っているよね」 「今の人達はみんな知っているわ」 「でも昔の人はそうじゃなかった。まるで暑い日に、吐き捨てられたガムを踏んづけた靴底のように、霊魂と肉体の表面の意識がべったりと、くっついていた。なぜだと思う。亜衣ちゃんには分るよね」 「それは自分が一番かわいくて、一番悲しかったから、自分が不幸だと思っていたから、そういう習慣が身についたと思うわ。永遠の自分がいるということを知らなかったから」 「うん。永遠に輝き続けている、幸福な神の子である、自分の本当の姿を知らされなかったもの、無理はないね」と羅夢王は、遠くを見つめた。 「愛を叫び、幸せを叫び、世界平和を叫んでも、悲惨な戦争は起き、地軸がずれてしまって、天変地異が起きた。そして貧富の差が生じ、どこの国でもホームレスがあふれた。まだタイ北部に、救世主がお生まれになる前の話なんだ」と羅夢王は言った。 「その救世主さまは、どのようなお話をされたの」と亜衣姫は聞いた。 「赦しだ」と羅夢王は言った。 「まず、赦すことから始めなさい」と申されておられたんだ。 「全ての国家も、他国の国民も、人々も、己も他者も、まず一切を赦すことから始めなさい」と申されたそうだ。 「そしてこれより後、一切の国、人は、後ろを顧みず、不純な気持ちを持たず、新たに生まれ変わりなさい。国も人同様、その自己保存の意識を捨て去り、その欲を捨てなさい。全ての国は互いに喜捨をし合い、奢りを捨て、そしてまず、真心から他国を赦すことより始めなさい」と仰られた、と羅夢王は、遠くを見つめながら言った。 「国にも意識があるの」と亜衣姫が聞いた。 「在る」と羅夢王が言った。 「その国、その国にも霊界の国があって、更に上の階層に行くに従って、それぞれの国の垣根が無くなって、一つの地球国家となっているんだ」 「へ~え、今の世界のように」と亜衣姫が言った。 「そうだよ」 そうして羅夢王は、真っ赤なモミジの葉っぱを亜衣姫に渡した。 亜衣姫は「そうなんだ、国にも恐怖心から来る、自己保存の表面意識があるんだ」と言って、モミジの葉っぱの軸を持って、くるくるくるくると指で回した。 「国が亡んだって良いじゃないか、他国に攻め入るよりずうっと良いんだ。霊界には、素晴らしい国が在るし、その国は亡ばない。これは人間にも当てはまることなんだ。僕の肉体が亡んだとしても、僕の本当の意識は霊界にもあるし、神界にもあるんだ。亜衣ちゃんなら分ると思うよ。人はいつか人を赦さなければ、天国にも行けず、成仏もしないんだ。国も同じなんだ。その自己保存の猜疑心から開放しなければ、国も地球も進化しないんだ。お釈迦様が、ひもじい虎の前で、我が身を投げ出されたことを思い出してごらん。そこにヒントがあると思うよ」と羅夢王は言った。 「ふ~ん」と亜衣姫は楓の落ち葉を、羅夢王にいっぱい降りかけてにっこりと笑った。 ああーあ、書いちゃった…ごめんなさい。
お礼
芸術家ですね。ありがとうございました。
- arpege9
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そもそも許さなきゃいけないほど怒ることはあまりないので、許すこともあまりないのですが・・・ 本当に相手が反省して、「本当に悪かった。ごめん」と心から言ってきていることがわかれば、相手を信じようとも思えるし許す気にもなれます。 「ご飯おごるから許してよ」というのは、私もとても誠意を感じないしむしろ怒ります。「許してよ」なんて、許してもらう身分でなぜ要求できるのか、傲慢な人だなぁと思います。 本当に申し訳ないと思っているなら、「許してくれなくてもしょうがない」と思うのでは? 誠意のある人が一番ですね。
お礼
決め手は誠意が感じられるか感じられないかですよね。ありがとうございました。
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お礼
河野さんって、あんなにひどい事をされたのに、とことん穏やかですよね。本物の人格者ですね。大変参考になりました。ありがとうございました。